スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

探索さんぽ‐沼袋・野方コース

2月19日(日)
空の青さは濃く深く吸い込まれそうな色だった。気温は5度、北風が強く吹きつける。この風が雲を払い空の青さを作り出しているのだろう。気分的にはウォーキングに出かけたかったが、あまりにも寒い。時々外を見ながら様子を伺った。昼食を終える頃には風は止み、どうにか出かけるのに耐えられる状態になってきた。

ウォーキングコースは西武鉄道が出しているパンフレット「探索さんぽ」から選んだ。西武池袋線沿線は行った所が多かったので新宿線沿線で探した。「悠久の歴史を感じながら“時の旅人”となる沼袋・野方コースというのがあり、距離的にも時間的にも午後から出かけるのに丁度いい。新宿線は池袋線からは行きにくい。考えた結果自転車で行くことにした。新青梅街道をひたすら走り続ける。20分ばかり走り、江古田2丁目のバス停を過ぎると、歴史民俗資料館がある。行ってみると休館日だった。月曜日と第3日曜日が休みで丁度ぶつかってしまった。

歴史民俗資料館→明治寺→禅定院→氷川神社→平和の森公園→中野刑務所跡の門→清谷寺→庚申塔・地蔵尊・二十三夜碑→野方の笑い地蔵

歴史民俗資料館
1984年に名誉都民である山崎喜作氏から資料館用地に役立ててほしいと土地2600平方メートルを寄付されたことを契機に、郷土の文化遺産を保存し展示活用していくために、1989年「山崎記念中野区立歴史民俗資料館」として開設した。

沼袋・野方コース001_convert_20120220082733 山崎記念中野区立歴史民俗資料館

新青梅街道を斜めに入る道があり、しばらく行くと明治寺に出る。境内には玉井稲荷神社やなかなかお墓をもてない人のために、納骨堂である多宝塔がある。もちろん一番目を引くのは寺院のかなり広い一画を占める観音像の多さである。約180体の観音像が奇岩、奇石と共に林立している。これだけの観音像を作り、集め、配置することを可能にしたのは信仰のなせる業だろう。

明治寺の裏手に禅定院があり、山門横の大イチョウが目に入る。中野区内で一番大きいといわれている。4月にはボタンが咲き、木々に覆われた境内は四季折々の景観を楽しませてくれる。

そこから沼袋駅に向い駅にぶつかって左に曲がると西友があり、さらに行くと線路際に氷川神社がある。一の鳥居と、二の鳥居を潜って前を見ると、新郎新婦が拝殿に向って手を合わせている。神前での結婚式を終わった所だったのだろう。神社のあちこちに行って写真を撮っている。二の鳥居の横に七福神の石像が立っていた。1箇所七福神で、ここだけで七福神めぐりが出来てしまう。1箇所七福神は東京都で24ケ所あるが、氷川神社は載っていなかった。まだ新しいので知れ渡っていないのだろう。

百観音明治寺(新浮侘落山 世尊院 真言宗東寺派)
当山の開山は松田密信大和上、開基が草野榮照法尼。「百観音」とは、西国三十三観音と、関東地方の坂東三十三観音、秩父三十四観音の札所を総称したものである。明治45年7月明治天皇の病気平癒を祈願して草野栄照尼が現在地に観音石像一体を造立し、その後も多くの賛同者の寄進を受けて次々に観音石像が立ち並んだ。大正6年には本堂が完成した。

沼袋・野方コース017_convert_20120220105903 明治寺本堂

沼袋・野方コース003_convert_20120220115629  沼袋・野方コース006_convert_20120220115650
 玉井稲荷神社                        多宝塔

沼袋・野方コース008_convert_20120220105815  沼袋・野方コース014_convert_20120220105837
 百観音

禅定院(瑠璃光山 薬王寺 真言宗豊山派)
南北朝時代の中期、貞治元年(1362)の開創と伝えられる寺院である。開創の地は、後世の新橋村(沼袋村から枝分かれした村)であったが、後に現在の寺地に移った。草創期のご本尊は、薬師瑠璃光如来あり、山号と寺号はこのことに由来している。現在のご本尊は鎌倉時代後期の作とされる不動明王立像。本山:総本山長谷寺

沼袋・野方コース023_convert_20120220105942 禅定院本堂

沼袋・野方コース028ed_convert_20120220115706  沼袋・野方コース026_convert_20120220110014
 山門                             イチョウの巨木

沼袋氷川神社
御祭神は須佐之男命。南北朝時代、97代後村上天皇の正平年間(後光厳院の貞治年間)に、武蔵国一の宮である大宮(現在さいたま市)鎮座氷川神社より御分霊を戴いて、当地に奉祀したのに始ると伝えられている。

沼袋・野方コース041_convert_20120220110118 氷川神社本殿

沼袋・野方コ_convert_20120220232257  沼袋・野方_convert_20120220232033
 一の鳥居                           二の鳥居

沼袋・野方コース035_convert_20120220110203 沼袋・野方コース037_convert_20120220110251 沼袋・野方コース036_convert_20120220110321
 御嶽神社                 稲荷神社                天王社

沼袋・野方コース043_convert_20120220110448  沼袋・野方コース044_convert_20120220110520
 七福神

沼袋駅脇の野方寄り踏み切りを渡り、妙正寺川を越えると平和の森公園というかなり広い公園の入口がある。野球場や芝生広場などの開かれた空間と同時に、木々が鬱蒼と茂り、池もあって夏は木陰に覆われ涼しいことだろう。公園に隣接して赤レンガ色の中野刑務所跡の門がある。法務省矯正研修所の建物も並んであるが、それは普通の建物だ。

中野刑務所が拘置所として使われていた時に、一度知合いの人の面会に行ったことがある。東京拘置所が一杯で回されてきたそうだ。71年の秋に街頭闘争で逮捕され起訴され保釈まで半年ばかり独居房に収容されていた。ともかく古い建物で部屋には小さい窓が高い所あり北向きで全く日は差さず、レンガの壁には黴が生えていた。コンクリートに囲まれ隙間風が入り凍えるような寒さだったと話していた。

平和の森公園
区民・区議会・行政が一体となった運動により中野刑務所の跡地を防災公園とすることができた。工事の過程で弥生時代の住居址と多数の土器などが発見されたため、少年スポーツ広場の南側には復原住居がある。この公園の南側の部分は東京都の下水処理施設上部に整備されたもので、自由に使える区内最大規模の草地広場がある。

沼袋・野方コース048_convert_20120220110600  沼袋・野方コース053_convert_20120220110638
 竪穴式住居復元                    公園内池

中野刑務所跡の門
若き天才建築家といわれた後藤慶二が設計した刑務所跡の表門。70年余りの間、首都圏における行刑の要所として大きな役割を果たした。中野刑務所(及びその前身の監獄)には、作家で社会運動家の大杉栄や、蟹工船の作者・小林多喜二が収監されていた。

沼袋・野方コース050_convert_20120220110743 中野刑務所跡の門

公園から妙正寺川を渡り、清谷寺に向う。道が狭くかなり入り組んでいて何処を行っても行き止まりになってしまうという程だった。まともにたどりつけた人などいるのだろうかと思うほど分かりにくい。東京の地図を持ってきていたので住所を頼りにやっとたどり着いた。23区の1万分の1の地図は非常に便利だ。ウォーキング・コース案内などにある地図はかなり簡略化されているので、それだけを頼りにすると目的地にたどり着けないことがある。東京の地図を持ってきていれば住所で目的地を探したり、現在何処にいるのか確かめたりするのに役に立つ。

清谷寺の十三仏板碑が中野区の文化財に指定されているということで探したが、板ではなく石で出来たものだった。野方駅に向って進んでいるつもりだったが、道を間違えて、行くつもりはなかったが目の前に突然庚申塔・地蔵尊・二十三夜碑が現れたといった感じだ。そこから改めて正しいルートの戻り野方駅までの道を進んでいった。

環七通りを突っ切りしばらく行くとパチンコ店があり、その横を曲がると笑い地蔵があった。パチンコ店の客の自転車が地蔵堂の祠の傍まではみ出てきていて、全く風情も何もないという感じなのだ。だがそもそもこの地蔵は商売繁盛を祈願する駅前商店街のシンボルなのだから庶民的な雰囲気の方が似合っているのかもしれない。笑い地蔵を訪問場所の最後として岐路に着いた。帰りは30分位かかった。結局13時に出て家に着いたのが16時で、3時間もかかったことになる。

清谷寺(珠光山地蔵院 真言宗豊山派)
かって当寺は本村内出に在り地内は古来より地蔵堂屋敷であった。惠深大法師が当地に来て一寺を建立し、地蔵を本尊とした。特に当寺は村中の鎮守、氷川神社、八幡神社、第六天など往古よりあった宮を支配して来た由緒ある古跡であると記録されている。

沼袋・野方コース055_convert_20120220115721 清谷寺本堂

十三仏板碑
清谷寺には梵字で十三仏が刻まれている珍しい板碑がある。応永6年(1399年)の銘があり、この時代にこの地方一帯を大飢饉が襲い、多くの村人が餓死したのを供養した碑といわれている。

沼袋・野方コース057_convert_20120220110852 十三仏板碑

庚申塔・地蔵尊・二十三夜碑 
庚申塔には、大洋と着き、青面金剛、3匹の猿、にわとりなどが彫られている。石の側面には享保21年(1736)と彫ってある。台石には「右中村道 左さぎのみや道」と記され、道標の役を果たしていた。地蔵尊は、延享元年(1744)9月建立された。台石には、秩父、坂東、西国の観音霊場百ヶ所をめぐり、長寿福楽と来世での安穏を願った旨の文字が読みとれる。二十三夜の碑は、昔このあたりで疫病がはやったことがあり、祈祷師から以前にこの地にあったはずの二十三夜塔を再建するようにとのお告げがあり、昭和2年(1927)に建てられたものと伝えられている。

沼袋・野方コース062_convert_20120220110921  沼袋・野方コース061_convert_20120220115737

野方の笑い地蔵
戦後の苦しい生活の中で、笑いを通じて人々が元気を取り戻し、商店街が町とともに繁栄することを願って造られ、今は地元の保存会によって大切に受け継がれている。

沼袋・野方コース063_convert_20120220111021  沼袋・野方コース065_convert_20120220111048

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

最近の記事
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。