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松戸地区散策コース

2月21日(火)
常磐線沿線に用があった。用件は午前中で終るので、どこかふらりと散策でも出来る所はないかと探してみた。柏市や我孫子市は手賀沼が主要な観光名所だ。暖かくなれば丁度いい場所があるだろうが、まだ時期が早い。梅の開花時期もまだしばらくは到来しそうもない。

松戸市の観光案内で調べてみると松戸地区散策マップに、ウォーキングコースとして戸定邸、浅間神社、江戸川松戸フラワーラインが紹介されていた。フラワーラインは4月にはレンゲが、秋にはコスモスが咲き誇るという。今は時期外れなフラワーラインを外して、浅間神社から旧水戸街道に出て、街道沿いの神社仏閣めぐりをすることにした。

戸定邸は松戸駅東口から歩いて10分位の所にある。戸定邸は戸定が丘歴史公園の中にある。公園の入口には後に戸定邸で暮らすようになった徳川昭武が1867年パリ万博博覧会に将軍の名代として派遣された記念のモニュメントが立っている。

その横に広い駐車場があるが、戸定邸に来る人のためと考えると広すぎる気もする。梅林があって梅の季節には公園への訪問客は増えるだろうがそれにしても広い。戸定が丘歴史公園に隣接して千葉大学園芸学部の広大な敷地があるが、大学関係者のための駐車場でもあるのだろう。

戸定邸・戸定が丘公園
松戸市街を一望出来る高台にある。「戸定」とは古く中世の城郭に起源を持つ地名である。松戸市は江戸幕府の直轄地で、水戸藩ともゆかりの深い土地だった。戸定邸は、最後の水戸藩主であった徳川昭武(あきたけ)(15代将軍慶喜の弟1853~1910年)によって明治17年に建てられ、昭和26年に徳川家から松戸市に寄贈された。芝生を使い、洋風を取り入れた庭園は千葉県の名勝に指定され、建物は明治前期の上流住宅の姿をよく伝えるものとして平成18年に国の重要文化財に指定された。併設する戸定歴史館では昭武が趣味とした当時の写真やゆかりの品々を展示している。

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 戸定が丘公園入口                     戸定邸玄関 

茅葺屋根の門を潜ると左側に松戸市戸定歴史館がある。徳川昭武の遺品を中心とする松戸徳川家伝来品や彼との交流が深かった慶喜の遺品が収蔵されている。昭武は写真と狩猟が趣味で、多くの写真が展示されている。

歴史館と戸定邸の共通入館料は240円だったが、戸定邸やその庭園は管理、維持費が必要だろうなと思わせるほど整備が行き届きいていた。屋敷には部屋数が15,6あって迷ってしまうほどだ。客間を中心として表座敷棟と、居住場所である奥座敷棟がある。さらに化粧室や衣装室まである。

建物南側の客間の前に広がる庭園は起伏のある芝に丸く刈り込んだ樹木を配している。座敷の玄関口に受付があるが、その受付の人が客間の前の庭に珍しい梅ノ木がある。緑萼梅(リョクガクバイ)という。白梅であるがまだ蕾もつけていないが緑色の萼(ガク)が生えてきていると教えてくれた。

客間の西側は眺望が開け、富士山の絶景ポイントに認定された場所と書かれた看板があった。天気は良かったが少し雲がかかって富士山を見ることは出来なかった。屋敷内を見回るだけでもかなり時間がかかった。

屋敷を出て戸定が丘歴史公園内を散策する。竹林の脇に東屋が有り風情を感じさせる。歩道の中央は瓦で作られていてそれも趣がある。10数本の梅の木があったが、2本だけ紅梅が花を開いていてその外は蕾すら付けていないような状態だった。
                   
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 戸定歴史館                         戸定が丘公園の東屋と竹林

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 戸定邸庭園の緑萼梅(リョクガクバイ)          戸定が丘公園の紅梅

歴史公園の脇を線路に沿って浅間神社に向う。5分位行くと線路を越える歩道橋がある。地図には歩道橋を渡ると書いてあるが歩道橋を渡ると線路の向こう側に行ってしまって浅間神社とはどう考えても方向が違う。傍を通りかかった人に聞いてみると、歩道橋の中ほどに階段があり、線路と線路の間の場所に出る。しばらく行くと浅間神社があると教えてくれた。この行き方は地図では分からない。聞いてよかった。

浅間神社に着くと工事中だった。去年の3.11の震災の時に神社を囲む石の垣根や石像が倒れ、階段の手すりや、神社内部もかなり破損してその改修工事をやっているということだった。入口にある掲示板に神社周辺の破損状況の写真があった。寄付を集めて今になってやっと工事を始められたのだろう。神社は階段を上がった所にある。

工事関係者に聞いたら行ってもいいと言われたので上がっていった。神社まで上がって行ったが、そこにいた別の工事関係者から危険なので立ち入り禁止になっていると言われた。神社自体もブルーシートに覆われていて見るべきものもなかったので階段を降りていった。階段の途中に獅子や猿の石像があり、守護の役割を持っているのだろう。階段の中ほどに神木もあったが、神社の丘をおおっているのは「極相林」と呼ばれる森林だということだ。

線路を渡り、旧水戸街道を坂川に沿って進んで行く。坂川は、かつては「日本一汚い川」といわれていたが、近年の「河川再生事業」によってアユ、ウナギ、カニ、エビや、ハグロトンボをはじめとする20種類のトンボなど様々な生き物が生息する清流によみがえったということだ。旧水戸街道沿いだということもあって、戸定邸に行く時に歩いた線路の東側の新しい町並みとは違い、神社や寺院が立ち並び、明治時代かそれ以前に造られたと思われる商店や民家も所々見られる。

浅間神社
富士信仰に基づいて富士山を神格化した浅間大神、乃至は浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命と見てこれを祀る神社で、富士山南麓の静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社が総本宮とされる。
                          
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 浅間神社鳥居                        工事中の浅間神社本殿

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 神楽殿                            下浅間神社

浅間神社の極相林
森林が形成されるまでには、その内部で、日照・気温・湿度等の自然環境に適応できない樹木の淘汰がすすみ、やがて生育に適した植物のみが層位(高木・亜高木・低木・草本)ごとに定着して、「極相林」と呼ばれる長期的に安定した森林を形成する。浅間神社には、タブノキ等を主体とするこうした植生が今も維持され、千葉県指定天然記念物となっている。

松戸散策045_convert_20120222103314 旧水戸街道から見た浅間神社の極相林

最初に松龍寺という寺院が線路際にあった。山門は1650年寺院が再興された時からのもので歴史を感じさせる。鐘楼の回りが岩で囲まれ、地蔵像が彫られているのが珍しい。境内に「すくも観音堂」がある。昔、宿はずれにあった「すくも塚」(相模台合戦の戦没者を葬った塚)を祀ったものである。

坂川沿いをしばらく行くと松戸神社がある。松戸の地域の鎮守である。丁度神社に着いた時に4,5人の氏子の人達だろか白装束を着て掃除をしていた。白石が敷かれた境内はきれいに箒の跡が付けられ水が打たれ、すがすがしい気分で神社を見学することが出来た。

松龍寺(広大山高樹院 浄土宗)
元和元年(1615年)東漸寺末寺として小山に創建され、慶安3年(1650年)当地へ引寺し再興された。本尊は阿弥陀三尊。境内には、松戸宿最初の旗本領主 高木筑後守の五輪塔墓など松戸宿代々の名主の墓がある。小金牧での鹿狩では八代将軍吉宗など将軍休憩所となり寺勢を誇った。

松戸散策048_convert_20120222103347 松龍寺本堂

松戸散策050_convert_20120222112528 松龍寺境内のすくも観音堂

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 松龍寺山門                庚申塔                 鐘楼       

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 鐘楼を取り囲む地蔵像                  百体地蔵                 

松戸神社
寛永3年に創立した松戸の鎮守府で、水戸光圀公も訪れたという由緒ある神社。祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)で、東征の際に随行の吉備武彦連(たけひこのむらじ)・大伴武日連(たけひのむらじ)らと待ち合わせた陣営の地に社殿が建てられたと伝えられている。境内には秋葉神社、水神社、松尾神社など多数の神様が祀られている。本殿に掲げられている「日本武尊」の額は、有栖川宮熾仁親王の筆による。本殿の格天井(ごうてんじょう)の絵画は、谷文兆の高弟佐竹永湖(えいがい)の作

松戸散策057ex_convert_20120222103758 松戸神社拝

松戸散策061ed_convert_20120222103853 秋葉神社拝殿

松戸散策069ed_convert_20120222104155 御神水

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 市神社                 金比羅神社                 水神社

松戸神社から旧水戸街道に戻り、春雨橋を渡ると宝光院、善照寺、西蓮寺と続いている。宝光院にある88体の弘法大師の石像には驚かされる。「四国八十八ヵ所霊場」を再現しようという試みだろうか88体の弘法大師像を配置し、その台座に霊場88ケ所の寺院名が刻まれている。

旧水戸街道には古い商店が残っている。原田米屋の建物が目に留まった。外にも4,5件あったが商店だったのか、民家だったのか分からなかった。伊勢丹の大きな建物や高層の近代的なマンションに囲まれた中に古い建物が残されているという風景は、歴史の大きな流れを感じさせる。西蓮寺を散策の最後にして松戸駅に向った。寺院から駅までは5分とかからない。駅前の繁華街に寺院が並んでいるといった感じだ。

宝光院(梅牛山林泉寺弘蔵坊 真言宗豊山派)
明治まで宝光院の歴代住職は、別当として御嶽社(祭神は蔵王権現。現在の松戸神社)の護持と管理に努めた。現在の社殿を幕末期に造営した高城義海大僧正は、宝光院で出家し、後に東京の護国寺、奈良の総本山長谷寺や室生寺の住職を歴任した明治の高僧。本尊は不動明王。

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 宝光寺本堂                               千葉周作・修行の地の碑  

境内には、「四国八十八ヵ所御砂踏み霊場」の他、幕末三剣士の一人で、千葉周作の実父 千葉忠左衛門(後に「浦山寿貞」と改名)と、周作の剣の師で義父でもある浅利又七郎の墓がある。

松戸散策080_convert_20120222104428  松戸散策074_convert_20120222104525 松戸四国八十八ヵ所霊場

千葉周作 修行の地
千葉周作の父の忠左衛門は馬医者としてこの松戸に開業したのが文化6年(1809年)。息子の周作を松戸宿の小野派一刀流・浅利又七郎の道場に通わせた。周作が日々稽古に励んだ浅利道場が宝光院の付近にありました。才能を認められた周作は、江戸の中西忠兵衛道場に学び、そのご諸国武者修業を経て、北辰一刀流を創始しやがて神田お玉が池に道場「玄武館」を構える門下生は三千とも五千人ともいわれた。

善照寺(松戸山 真言宗豊山派)
流山市(旧名都借村)の清瀧院の末寺として、松戸字向山に創建された寺院で、慶長16年(1611年)に現在地に移転された。本堂の本尊は聖観音で、現在の不動堂は、文化6年(1809年)に焼失後、同8年に再建されたと伝えられている。境内には、松戸七福神の一つ「布袋尊」が祀られている。

松戸散策081_convert_20120222104718 善照寺本堂  

松戸散策082ed_convert_20120222105808 不動堂と布袋尊

西蓮寺(光明山 浄土真宗大谷派)
京都市の東本願寺の末寺として江戸時代初期、文禄3年(1594年)に下矢切に創建され、慶長18年(1613年)に現在地に移転された。本尊は阿弥陀如来で、現在の本堂は、嘉永4年(1851年)の再建と伝えられている。西蓮寺の歴代住職は教育熱心で、江戸時代末期に、本堂で寺子屋を開き近隣子弟の教育に当たっていたと伝えられている。

松戸散策085ed_convert_20120222105701 西蓮寺本堂

原田米屋
旧水戸街道沿いにある米屋で、明治末に建築されました。軒を出桁造とし1階正面をシトミ戸(上げ下げの板戸)とするなど幕末以来の2階建商家の形式を踏襲しています。骨組の木も太く、丈の高いシトミ梁を通し重厚な建て構えをしています。

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 原田米屋                          旧水戸街道沿いの古い建物

(参考資料: 松戸市公式HP-水とみどりと歴史の回廊マップ・松戸地区)

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