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曽我梅林

3月12日(火)
以前から曽我梅林に行って見たかった。その規模の大きさは外の梅林と比べて桁外れに広い。今年は梅の開花が遅れている。3週間から1ケ月遅れだということだ。曽我梅林のホームページで開花状況を見ていたが中々咲かない。3月8日のホームページで一斉に咲き始めたという書いてあり写真も掲載されていた。これでやっと見に行ける状況になった。梅まつりは3月6日終る。終ってから咲き始めたという何とも困ったものだ。

1月28日から始まった梅まつり期間中毎週土日には、別所梅林の中にある野外ステージを中心に、郷土芸能の寿獅子舞や小田原ちょうちん踊り、流鏑馬(やぶさめ)など様々なイベントが行なわれていたが、花が咲いていない枯れ枝の下でやっていたことになる。今日当たり梅見には丁度いいだろう。天気予報は一日中晴れで富士山が見えるかもしれない。梅まつりも終ったことだし、それ程込み合ってもいないだろう。行き当たりばったりの所もあるが結局次のようなコースを巡った。

下曽我駅→原梅林→別所梅林→下曽我バス停(見晴台入口)→法蓮寺→満江御前の墓→見晴台→二宮尊徳遺髪塚→公民館(旧満江御前屋敷)→東光院→尾崎一雄文学碑→宗我神社→城前寺→下曽我駅

曽我梅林: 小田原の中心街から北東へ約7kmの丘陵に ある曽我梅林は、中河原、別所、原梅林の総称で、約3万5000本の白梅があります。毎年2月、霊峰富士と箱根の山々を背景に咲き誇る姿は、まるでバックにそびえる富士の霞のごとき美しさ。温暖な気候と梅酒・梅干用である主力品種の“十郎” が早咲きのせいも手伝って、熱海につぐ早い開花が特徴。別所梅林では、特産の十郎をはじめ、白加賀、南高、杉田、枝垂れ梅等、数多くの品種を栽培しているため、長い期間にわたって梅の花を楽しむことができる。(花の名所案内より)

原、別所梅林
池袋から国府津まで湘南新宿ラインで行き、国府津から御殿場線で一駅目の下曽我駅で降りる。御殿場線は1時間一本なので時間を合わせて行く必要がある。国府津や小田原から梅まつり期間中は臨時便がかなり出ていたらしいがそれも終っている。駅から5分位歩くと原梅林の白梅の林が連なっている。梅まつり終了後は農作業が始まるため畑の中へは入れないが、歩道、農道からの観梅はできる。土産物品の販売の方もテントに縮小し品目も絞って、11日までは営業していたがそれも既に終っている。

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原梅林では十郎をはじめ、白加賀、南高、杉田などの白梅が中心で所々に紅梅がアクセントとして植えられているといった感じだ。花は満開で花見には一番いい時期に来ることが出来た。原梅林に隣接して別所梅林がある、種類は原梅林と同じで梅林は真っ白く染められた風景を作っている。別所梅林のふじみ食堂周辺が富士山を背景に梅の写真を撮る撮影スポットであると案内図に書いてあった。しかし天気は良かったが富士山周辺だけに雲がかかり見ることができなかった。別所梅林を梅を観賞しながら回ったが、白梅ばかりで同じような風景が続く。

見晴台行ってみる事にした。着く頃には富士山が見えるかもしれない。下別所バス停の横の道から登り道になる。見晴台まで徒歩20分とある。途中法蓮寺、満江御前墓などを経て見晴台に向って登っていく。かなりの急坂で、登りはかなり体力的に厳しい。休み休みやっとのことで見晴台に着いた。苦労して30分以上かかってしまった。途中の眺望もなかなかいい。富士山は結局姿を表すことはなかった。見晴台からは別所梅林や原梅林の全景が見渡せるだけでなく、相模湾や箱根連山、足柄平野が一望できた。

法蓮寺(千葉山 日蓮宗)
慶長19年(1614)の創建、開山は大乗院日相大徳。本尊は塔中の妙蓮華経を中心とし左右に釈迦牟尼仏、多宝仏の二仏、それに釈尊の脇士上行等の 四菩薩が付き従う、一塔両尊四士である。また、安永3年(1774)酒匂の漁夫によって、海中より 引き揚げられ出現した毘沙門天像があり、霊夢をあらわし、開運の霊験あらたかとして 毘沙門堂が建てられた。

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 法蓮寺本堂                          法蓮寺毘沙門堂

曽我兄弟の母、満江御前の墓
墓石は卵形の自然石で曽我兄弟の母、満江御前の墓と伝えられており、武藤家の子孫がこの墓の供養を現在も続けている。

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 満江御前の墓                        墓から箱根連山を望む 

見晴台
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 相模湾方面                         箱根連山方面

二宮尊徳遺髪塚
尊徳の母よしの実家は、旧曽我別所村の川久保太兵衛宅であった。太兵衛の次男、民次郎は下野の国の桜町(栃木県二宮町)仕活時代尊徳に仕え、尊徳の死後、その遺髪を得て、曽我へ帰った。この遺髪塚は、民次郎の遺言により孫の興三郎が、昭和13年に建立。

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 二宮尊徳遺髪塚                      公民館(旧満江御前屋敷)前の看板

見晴台からの下りは別所梅林バス停方面に行った。かなりの急坂を下った。途中今は公民館なっている旧満江御前屋敷や二宮尊徳遺髪塚に寄った。下りは体力的には全く問題なかったが、見晴台への登りがかなり身体に負担をかけたようだ。中河原梅林まで2kmある。往復1時間を歩く元気はなかった。下曽我駅周辺の神社仏閣を回ることにした。東光院→尾崎一雄文学碑→宗我神社→城前寺→下曽我駅というコースを巡った。

宗我神社の大鳥居は県道72号線から少し入った所にある。しかしその鳥居から神社の本殿まで10分程の道を登らなければならない。そんなに距離があるとは思わなかった。城前寺は幼稚園が併設されていて、境内は幼稚園児の遊び場になっていて入ることは出来ない。境内裏の墓地には入ることができる。

この寺は曽我兄弟ゆかりの寺だということだ。曾我兄弟の仇討ちは赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。後に『曾我物語』としてまとめられ、江戸時代になると能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などの題材に取り上げられ、民衆の人気を得た。観光協会では「曽我の里散策コース」をつくり、曽我兄弟の関連施設を回るようなコースを設定している。

下曽我駅に着いたら丁度小田原行きのバスが出発する所だった。御殿場線は1時間1本なので何時来るかわからないので、そのバスに乗って小田原駅まで行って、帰りは小田急線で帰ることにした。ロマンスカーは30分おきに出ている。往きはJRを利用したが池袋から下曽我まで普通列車で1620円かかった。小田急線だと特急料金を含めてもあまり変わらない。普通の急行で行けば節約できるがJRで行ったと考えてロマンスカーを利用することにした。新宿まで途中町田に止まっただけで1時間10分で着いた。

東光院(真言三宝宗)
剣沢の東にあった南谷(なんこく)寺で文禄2(1593)年に現在地へ移転した。徳本の名号碑ほか石造物群がある。

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 東光院参道と山門                     東光院本堂  

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 徳本の名号碑               延命地蔵

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 東光院石造物群

尾崎一雄文学碑
尾崎一雄は、宗我神社の神主の息子で、小田原中学をを卒業。1937年(昭和12年)第5回芥川賞を受賞。作品は生まれ育った下曽我を題材にしたものが多いそうで、文学碑は「虫のいろいろ」の一節が刻まれている。

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 宗我神社の大鳥居                     尾崎一雄文学碑

宗我神社
長元元年(1028年)、宗我播磨守保慶が祖先宗我都比古命の御霊を分霊し当所に下り宗我都比古神社の神号を請い、併せて武内宿祢命をも祀り、社を創建した。九百年前頃、曽我祐信に依って神社として今の祭神(小澤大明神、宗我都比古、宗我都比女)を再興した。明治初年の神仏分離に依って宗我都比古、宗我都比女を主祭神にして、永く当地曽我郷の総鎮守産土神として祭祀される。

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 宗我神社鳥居                        宗我神社本殿

曽我兄弟の敵討ち
源頼朝が、1193年(建久4年)に行った富士裾野の巻狩りで、曾我兄弟による仇討ち事件が起こった。曾我十郎祐成と五郎時致兄弟は、親の仇である工藤祐経を見事討ちとった。祐経を殺害したあと、兄の十郎祐成は仁田忠常に討たれ、五郎時致は捕らえられた。

城前寺(浄土宗芝増上寺の宗寺)
城前寺(じょうぜんじ)は曽我兄弟の菩提寺です。建久4(1193)年、兄弟が仇討ちに成功して世を去った後、叔父の宇佐美禅師が遺骨をこの地に運び庵を結んで菩提を弔ったのがこの寺のはじまりといわれている。境内には十郎・五郎の兄弟のほか、継父祐信、母満江供養墓があり曽我兄弟および虎御前の木造等、兄弟ゆかりの品々が伝わっている。この寺では毎年5月28日に「傘焼き祭」が行われる。5月28日は曽我兄弟の討ち入りの日で、深夜に仇を襲撃したため兄弟は傘を燃やして松明にしたという故事が残っている。これにちなんで兄弟の霊を慰めるのが「傘焼き祭り」である。

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 城前寺本堂

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 曽我兄弟遺跡

(参考資料:小田原市観光協会HP・観光スポット、曽我別所梅まつり観光協会公式HP)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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出所しました

数年来の願望達成,おめでとうございます。

 富士山は,むずかしいですね。
 自分のいる所が晴れているから見えるかと思うと,現在位置と富士山のあいだのどこか一点でも,もやっていると,もう見えない。
 でも,花はちょうど見ごろなのに,梅まつりも終わっていて人出も少なく,静かに観賞できたのは,うらやましい。
 そのうえ,ロマンスカーにまで乗れて,いい旅でしたね。

 通過駅のホームにうごめく電車待ちの客を見下ろして,優越感にひたる。
 まぁ,これは,わたしだけかもしれません。(^_^;)

梅見

思ったより早く戻れましたね。今回は発熱などの副作用がなかったようで何よりです。後は奏効している事を願うほかありません。

国府津からの御殿場線の乗客は120%位の混み具合で、殆どが下曽我で降りましたが、実際広大な梅林ではあまり人と会うことはありませんでした。ふじみ食堂あたりでは何人かたむろしていました。見晴台に行く道では誰とも会いませんでした。休んでいると4人連れが来た位です。

ゆっくりと梅見ができたのには今回のように梅まつり期間を過ぎてから満開になったからでしょう。混んでいれば混んでるで列を作って見学するのはうんざりですが、イベントや出店など何もやっていないというのも少し寂しい気がします。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
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