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余命を宣告された時どう生きるのか

6月13日(月)
 ある小学校で「いのちの授業」が行なわれた。授業の中で司会のIさんは生徒一人一人に「もし余命宣告されたら何をしたい」と順番にマイクを回して聞いていった。69名全員に聞いた。一番多くの応えは「家族や友人と一緒にいたい」だった。それ以外「普通の生活を送りたい」「遊びたい」「 いっきりゲームをしたい」など様々な応えが出た。学校で勉強したいは一人もいなかった。ここでの回答で特に印象に残ったのが「普通の生活を送りたい」というものだった。

生徒は突然の「余命宣告」についての質問に戸惑いながらも一生懸命応えてくれた。そのことによって頭を働かし自分の中の考えを引き出しまとめて行くことが出来る。質問への応えでかなり時間をかけたので45分の授業は終了時間になってしまった。

「普通の生活を送りたい」何人かが「余命宣告されたら何をしたいか」としてこの言葉をあげた。生徒が余命を自覚した時、今の生活の持つ意味を改めて認識してこの言葉が出たのだろうか。話し手のHさんの話の中にもあったように、病気になって普通の生活が送れなくなった。その事を経験した事によって、生きていなかったら、命がなかったら好きなこともできないということを嫌というほど感ぜざるをえなかった。普通の生活が送れるということ、同じ明日がまたやってくる ということの意味は患者にとってどれ程の大きな意味をもっているのだろう。

 生徒はどういった問題意識で「普通の生活」の意味を受けとめているのだろか。「命がなかったら、好きなこともできないし好きな場所にも行けない。泣いたり 笑ったりもできない。家族や友達をお話ができない」とか「生きていなかったら、命がなかったら好きなこともできないし、おいしいものも食べられない。友達とも会えない。命があるからこそケンカして泣いたりできる、今日皆と会う事もできる。」といった内容がアンケートの回答にも書かれていた。

生徒の出した「普通の生活が送りたい」という回答は、日常性の持つ意味とその重要性、そのあまりのも当たり前の大切さに気がついて、死というものを考えて命の大切さを知ろうとするものではないか。「今生きて、ここにいる」それだけで「かけがえのない、すばらしいこと」そのことを無意識的にも自覚した答えなのかもしれない。普通の生活の中に人生の最大の意義が埋もれているのだ。

 ガン体験者が語る次のような言葉はそのことを語っている。
「人の命は明日をも知れないと実感してからは一日一日が密度の濃い時間に変わりました。」 (小林茂登子『あたりまえの日に帰りたい』)

「病によって以前全く想像していなかった世界の中に導き入れられた。私は毎日のように今日も生きていて良かったと思う。」(阿部幸子『病棟の光と翳』)

「がんのおかげで今日という日のやり直しのきかないことを嫌というほど思い知った。だから時間 を自分の手の中にしっかりと握って生きる。」 (ワット隆子『がん患者に送る87の勇気』)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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