スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「いのちの授業」座談会

8月21日(土)
「ももの木交流会」の前に「いのちの授業」の座談会が行われた。座談会は、通常、14時から行われる交流会と同じ日の午前中に行われる。2ヶ月1度のペースだ。内容は参加者・いのちの授業のスタッフの現状報告、体調・病状報告と、前回の座談会から2ケ月の間に行われた授業の反省と、感想、今後の授業のスケジュール調整などが話される。

ある小学校から生徒の感想文が送られてきた。感想文を読むのが授業後の最大の楽しみだ。感想文は授業をやって生徒がどんな反応をするかを知る唯一の手段なのだ。かなりの分量だったが感想文を回し読みした。

80人分位ある。皆思い思いに感想を書いている。読んでいくうちに何か違和感を覚えた。どの文章も何故か同じ内容に思えてきた。「死が人生のゴールといった言葉は、今まで考えていた暗く、悲しく、辛いものといった死のイメージを変えてくれた。そのゴールに向って精一杯生きていこうと思う」どの感想もおおむねこういった内容が含まれていた。

死や生に関しての子供達の考え方は多種多様で、授業の感想のどれ1つとして同じ物はないはずだ。確かに話の中で印象的な所に関しては共通な所もあるが、その受け止め方は一様ではない。学校の方針として道徳教育に熱心で、生徒への指導、教育が徹底している所の生徒は、授業に対しての集中力もあり、静かに熱心に話を聞いてくれる。授業中の質問も積極的だし感想を求めれば答えてくれる。

おそらく授業後に「いのちの授業」で話されたことへの反省会も行われたのだろう。その結果先生の言った授業内容の骨子を生徒がコピーする結果になってしまったのではないか。それが「同じような感想文」となってしまったようだ。結局生徒指導ということの中に、学校や教師の持つ1つの価値観の枠内に生徒の考え方を収めようとする傾向がどうしても出てこざるを得ない。道徳教育に熱心な学校であればあるほどそういった傾向が強まってくるのは否めない。

確かに書かれた感想文は1つずつ見れば優等生的に素晴らしいが、何人かの者を次々と読んでいくとその均一さに生徒の個性を見出す事が出来なくなってしまう。生徒指導ということの難しさを感じさせる感想文であった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

最近の記事
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。