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染井霊園

4月2日(月)
都内の桜の名所では既に咲き始めの所が幾つか出てきている。入院前にもう1ケ所位近場で行って見たい。まだ咲いていなかったらしょうがない。巣鴨だったら近い。午後から出かけて、1,2時間の散歩コースとして染井霊園を選んだ。公園だとすぐに回ってしまう。染井霊園だと、桜並木有り、著名人の墓があり、近くにある寺院めぐりも出来るので時間的にも丁度いいだろう。

巣鴨駅で降りて、まず山手線の線路際の桜並木を巡る。この程度咲いているのならば、染井霊園の桜もみられるだろう。巣鴨駅から10分も歩かないで染井霊園に着く。巣鴨門から南そめいよしの通りに入って行き、桜を見物しながら、著名人の墓を探す。

巣鴨駅前線路際の桜並木
染井霊園004_convert_20120402164426  染井霊園003_convert_20120402164358

染井霊園

都立霊園の中で最も規模が小さく、桜の古木が点在する中に、歴史を感じさせる墓地である。著名な芸術家や文学者の墓地がある。水戸徳川家墓所。水戸徳川公爵家や府中松平家の江戸期の墓。徳川斉昭の生母や徳川昭武の生母、側室高橋悦子の墓がある。開設は明治7年で面積は67,911平方メートル、およそ5,500基の墓がある。

園内には約100本のソメイヨシノが植えられ、遊歩道の一部は桜並木になっており、霊園の西側には本妙寺や慈眼寺などの寺があり、広大な岩崎家の墓所に隣接していることから静寂な地となっている。ソメイヨシノの「染井」とは、江戸時代のこのあたりのことで、当時の染井村には植木屋が多く、幕末に品種改良の上「吉野桜」と称して売り出されたものがソメイヨシノとして広まったといわれている。(「公園に行こう」より)

染井霊園012_convert_20120402165339 南そめいよしの通り

染井霊園017_convert_20120402165409 南そめいよしの通り

染井霊園021_convert_20120402165447 花吹雪広場

染井霊園025_convert_20120402165555 花吹雪広場

染井霊園041_convert_20120402165619 霊園事務所付近

染井霊園051_convert_20120402165801 西そめいよしの通り

染井霊園070_convert_20120402165729 谷戸川土手付近

染井霊園の墓

染井霊園019_convert_20120402165527  染井霊園024_convert_20120402165845
 高村光太郎、智惠子の墓                 岡倉天心の墓

高村光太郎(1883年~1956年):日本の詩人・彫刻家。本職は彫刻家・画家であるが、今日では『道程』、『智恵子抄』等の詩集が著名である。
高村智惠子(1886年~1938年):日本の洋画家。夫は彫刻家・詩人の高村光太郎。夫の光太郎が、彼女の死後に出版した詩集『智恵子抄』で有名である。

岡倉天心(1863年~1913年):東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、日本美術院の創設者としても著名である。近代日本における美学研究の開拓者で、英文による著作での美術史、美術評論家としての活動、美術家の養成といった多岐に渡る啓蒙活動を行い、明治以降に於ける日本美術概念の成立に寄与した。

染井霊園032_convert_20120403220131 長谷川辰之助(二葉亭四迷)の墓

二葉亭四迷(1864年~1909年):写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の鼻祖となった。また、ロシア文学の翻訳も多くてがけ、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた。

染井霊園030_convert_20120403221026  染井霊園033_convert_20120402170042
 緒方正規、則雄の墓                    水原秋桜子の墓

緒方正規、則雄(1853年~1919年):日本の衛生学者、細菌学者。東京帝国大学医科大学学長、東京帝大教授。日本における衛生学、細菌学の基礎を確立した。息子の緒方規雄も細菌学者である。

水原秋桜子(1892年~1981年):1931年に主宰誌『馬酔木』に『自然の真』と『文芸上の真』を発表し『ホトトギス』から独立。これをきっかけにして青年層を中心に反伝統、反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こった。主宰誌の『馬酔木』には、『ホトトギス』の沈滞したムードを嫌った五十崎古郷と門弟の石田波郷や若手の俳人達が集い、さらに加藤楸邨、山口誓子なども加わり、やがてホトトギスと対抗する一大勢力となった。

慈眼寺(正寿山 日蓮宗)

了現院日盛が深川六間掘猿子橋に創建した。元禄6年(1693)本所猿江に移転、のち身延山久遠寺末から水戸久昌寺末となった。明治45年(1912)谷中妙伝寺と合併の上、当地へ移転、山号を正寿山と改号した。

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 慈眼寺山門                          慈眼寺本堂

染井霊園060_convert_20120402170418 芥川龍之介の墓

染井霊園061_convert_20120402170448  染井霊園064_convert_20120402170600
 司馬江漢の墓                       斉藤鶴磯の墓

芥川龍之介
(1892年~1927年):日本の小説家。その作品の多くは短編である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。

司馬江漢
(1747年~1818年):江戸時代の絵師、蘭学者。浮世絵師の鈴木春重(すずき はるしげ)は同一人物。

斎藤鶴磯
(さいとうかっき・1752年~):江戸時代後期の儒学者。地誌研究家。水戸藩士の子として江戸に生まれた。寛政8,9年(1796-7)から文化13年(1816)頃までの約20年間、江戸から離れて所沢に住み、鈴木牧之(ぼくし)(秋月庵)の『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)や赤松宗旦(義和)の『利根川図誌』と並ぶ江戸時代の地誌『武蔵野話初編』を文化12年(1815)に完成させた。

専修院(正業山迎接寺 浄土宗)

西久保天徳寺末として元和3年(1617)浅草新寺町に創建、東京府による市区改正事業のため明治41年に当地へ移転したという。北豊島三十三ヶ所霊場27番札所。この土地は、江戸時代に多数の植木屋が集住していた上駒込村を代表する伊藤伊兵衛の屋敷跡と考えられている。

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蓮華寺(法林山 顕本法華宗)
京都妙満寺末。元和4年(1618)下谷車坂に創建、明治40年当地に移転した。

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勝林寺(萬年山 臨済宗妙心寺派)

元和2年(1616)御殿医中川元享が湯島天神前に創建、明暦3年(1657)本郷へ移転、明治41年当地へ移転したという。境内には中興開基となった田沼意次、意知の墓所がある。

染井霊園076_convert_20120402213439  染井霊園077_convert_20120402170821

(参考資料: 猫の足あと・首都圏の寺社情報サイト)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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No title

全部回られたのですか、散歩時間1・2時間との事ですがお疲れになりませんでしたか?詳しい説明書が付いていて何だか嬉しくなりました。

No title

入院してしまうと何処にも出かけられなくなります。せめて外にいるうちはいける限り行って見たいと思っています。今デキサメタゾンを先週の金曜日から4日間服用しているので、体調は結構いいです。そういったことで出かけるのは可能です。IgMの方は治療はしていないので結構上がっているかもしれません。どちらにしても2,3日後入院で治療に入ります。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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