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入院21日目-早朝散歩

4月24日(火)
一週間近く曇りか雨だった。久しぶりの快晴だ。東の空が明るくなり始めるとすぐにその明るさが空全体をつつみ始める。最初は橙の光が建物を色づけ始めるが、それが段々と白く変わっていく。

立ち並ぶ建物全体が白く染まり、まるで白亜の建物が足下に広がっているような気分になる。そこには都会の喧騒も雑踏もなく澄んだ空気の中、青い空を背景にしてより一層白さを増してくる立ち並ぶ建物があるだけだった。

病院周辺001ed_convert_20120424095559  病院周辺005ed_convert_20120424095645

昨夜雨が降ったのだろう草木の匂いを吸った湿った空気すがすがしい。朝の散歩は病院内から周辺へと足を伸ばした。町はまだ静まりかえっている。病院周辺でもまだ回っていない方面もある。病室から、吉祥寺方面とは反対方向に木々が茂った所がある。そこを回ってみようと思い、そちら方面に向かった。

着いてみると何の変哲もない公園だった。そうはいっても公園に生い茂った木々は新緑に覆われ雨に洗われた葉は日の光を受け輝いている。昼間であれば、公園があるな位にしか思わず、通り過ごしてしまうような公園でも、全く別の姿を表しているようだった。

病院周辺014_convert_20120424095822  病院周辺015_convert_20120424095908

つつじ003_convert_20120425084442  病院周辺022_convert_20120424210250
 散歩の途中住宅に咲くヒラドツツジとシャクナゲ

26日の血液検査で白血球は上がっているだろう。例え十分とはいえないとしても、今までそういった状態でも通院を続けていたのだから週末の退院許可は出るだろう。今はダメ押しの抗生剤とG‐CSFの点滴を行っている。退院前に念のため赤血球と血小板の輸血をするかもしれない。退院を待つだけの入院生活だと何か張り合いがない。退院までに持ってきた本を読んでしまおうなどと考えるが、あまり進まない。集中して何をするという気分にならない。

人間の体とは不思議なのもので、熱があったりだるさが強かったりしている状態だと、何時間寝ていても退屈ということがない。元気な時は、朝4時頃眼が覚めてしまった時などじっと寝ていられない。家にいれば起き出して何かをしてしまう。病院だと起床時間6時までベットに横たわっていなければならない。10分おき位に時計を見て早く6時にならないかと思う。特に何かをしなければならないことがある訳ではないがじっと寝ているのが退屈なのだ。

病院にいるとやることが限られている。本を読み続けると疲れてしまうし、何もせずぼんやりと窓の外に広がる空を眺めていたりすることがよくある。「何もしないでいる時間が持てることの幸せ」と言った人がいたが、中々そういった心境にはなれなかったが、やっとそれがどういったものであるか分るような気がした。

「限られた人生を生きる」ということと「何もしないでいる」このことは矛盾するように聞こえるが、実は限られた人生を自由に選択できる、つまり何もしないという選択も可能だという精神の幅広さを意味するのではないかと思えてきた。限りあると自分を縛ることによって「あれもこれもやろう」などと思って逆に自分の人生を切縮めていってしまうことになりかねない。「何もしなでいる時間」は、自分自身が作った精神の呪縛から解放してくれる。このことの持つ意味を改めてかみしめてみたい。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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