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ねりまの散歩道-城北中央公園コース

5月27日(日)
 曇りの気配を全く感じさせないいい天気だ。風もさわやかだ。2時間ばかりの散歩に出かけるには絶好の日和である。「ねりまの散歩道」を見ていたら近場で手軽でまだ行ってない所があった。城北中央公園コースだ。出発駅の氷川台までは有楽町線に乗れば5分とかからない。

歴史の香りがただよう城北中央公園コース: このコースは、城北中央公園を中心に練馬北部に位置する。城北中央公園を中心に、由緒ある史跡や寺院、神社が数多く点在し、散歩道に歴史の香りをただよわせている。

有楽町線氷川台駅→氷川神社→光伝寺→荘厳寺→城北中央公園→栗原遺跡の竪穴住居跡→田柄川緑道→円明院→金乗院→北町1丁目バス停→平和台駅

 氷川台駅から氷川神社へは5分位だ。境内でラジコン飛行機を飛ばしている大人の人がいた。広い所といえばすぐ傍に城北中央公園があるのでそこでやった方が気持ちいいのではないかと思う。ラジコンといえば、昔子供にかこつけてラジコンのスポーツカーを組み立てて走らせたものだ。知り合いにラジコン飛行機が趣味の人がいて毎週のように近くの河川敷まで行って飛ばしていた。ラジコンはどちらかというと大人の遊び道具のような気がする。

氷川神社の境内には、練馬の名木となっているムクノキがある。高さ23m、幹周2.9mという大きさで、この木を中心として木々が生い茂り、また竹林もあってひっそりとしたおごそかな雰囲気を作り上げていた。

氷川神社から城北公園通りを渡って光伝寺に行く。木々に覆われた参道を通り山門を潜る。山門の横に、枯山水庭園を模したものか、庭園がある。岩と芝と土の組み合わせでそれなりの雰囲気を出している。本堂のほかに十一面観世音菩薩堂がある。また誠心堂又は閻魔堂ともいわれている建物があり。閻魔十王、三十三観世音菩薩が安置されている。六地蔵も由緒のあるものらしい。本堂の前の高野槙(まき)は、横に立て札があってどういった内容か分からないが「NHKのニュース番組で放映されました」と書いてあった。

城北中央公園に向う途中に荘厳寺がある。光明真言塔のいわれが横の立て看板に書いてあった。1748年に当地に住んでいた175人の人達によって立てられたものだそうだ。宝篋(ほうきょう)印塔が本堂の横にありこれについても由来が書かれていた。「源流は中国で、呉越の王「銭弘俶」が宝篋印心呪経を籠めた小銅塔を八万四千個造立し、全国に配布したと伝えられている。宝篋印塔という名前は鎌倉時代から使われており、塔の中に宝篋印陀羅尼経を納めることから出たといわれている。段状の笠(屋根)と隅飾と呼ばれる四隅の突起が最大の特徴である。」

氷川神社
古くから下練馬村の鎮守だった。社伝によると、もとは石神井川付近、泉が湧きでていた「お浜井戸」のところにあり、長禄元年(1457年)に渋川氏が足利氏との戦いの途上、武運長久を祈って建てたと伝えられている。現在でも当社は参拝者が多く、「鶴の舞」などの伝統的行事とともに、地域の人々からも親しまれている。

城北中央公園コース004_convert_20120526220027 氷川神社参道

城北中央公園コース003_convert_20120526220101 氷川神社本殿 

城北中央公園コース011_convert_20120526220154  城北中央公園コース012_convert_20120526232240

光伝寺(大明山無量院 真言宗豊山派)
始めは浄土宗に属していましたが、江戸時代に真言宗に改宗したといわている。第18世の教海和尚は、正久保橋(旧弥右衛門橋)が腐りやすい木橋であったので、私財を投げ出し、江戸から2人の石工を呼び寄せて堅固な石橋に造り替えるなど、衆人の徳を集めた人物とされている。

城北中央公園コース032_convert_20120526220913 光伝寺山門

城北中央公園コース026_convert_20120526220747 城北中央公園コース020_convert_20120526225827
 光伝寺本堂と境内にある練馬の名木・高野槙(高さ14m、幹周2.4m)

城北中央公園コース013_convert_20120526220447  城北中央公園コース025_convert_20120526220712
 十一面観世音菩薩堂                  誠心堂・閻魔堂(閻魔十王、三十三観世音菩薩安置)

城北中央公園コース022_convert_20120526232338  城北中央公園コース028_convert_20120526220822
 六地蔵菩薩                        光伝寺庭園

荘厳寺(医王山不動院 真言宗豊山派)
創建の歴史は古く、天正年間(1573~1592年)以前と推定されている。最近、この寺に安置されている無量寿仏(阿弥陀如来)の胎内から、文書が発見された。寛文10年(1670年)に住職雪峻叟が記したもので、文書には、この寺に新しく無量寿仏を造立するにあたって、喜んで協力した多くの信者名が書かれている。

城北中央公園コース035_convert_20120526220954 荘厳寺山門

城北中央公園コース041_convert_20120526221049 荘厳寺本堂

城北中央公園コース043_convert_20120526221127  城北中央公園コース037_convert_20120526221207 宝篋印塔と光明真言塔

 荘厳寺から道路を渡ると城北中央公園が広がる。野球場2ケ所、少年野球場2ケ所、陸上競技場1ヶ所、テニスコーと公園のかなりの面積がスポーツ施設で占められている。その周りが林になっていて散歩やジョギングのための遊歩道が整備されている。また石神井川沿にも遊歩道があり散策する場には事欠かない。競技場の周辺は深い木々に囲まれ近くに住む人の憩いの場になっているのだろう。

栗原遺跡の竪穴住居跡を見て、縄文時代や弥生時代ならまだしも奈良時代においても庶民の生活はかなり悲惨であったのではないかと思う。何時の時代でも同じだが、為政者は都の建設や自分たちの生活には惜しみみなく金を使うが、庶民を貧困の中におくことには何らの痛みも感じないのだろう。、

城北中央公園

区の東部、板橋区にまたがり、石神井川の左岸台地に広がる。昭和17年に防空緑地として位置づけられ、昭和32年から上板橋公園として開園し、昭和45年に現在の名に改められた。緑豊かな木々に囲まれた野球場、競技場、テニスコートなどがある。

城北中央公園コース049_convert_20120526221414  城北中央公園コース045_convert_20120526221445
 陸上競技場と野球場周辺の遊歩道

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 公園の木々

栗原遺跡の竪穴住居跡
この住居跡は、今から約1200年以上も前の奈良時代の竪穴住居。昭和30年に運動場を建設した時、この敷地内で先土器時代から縄文・弥生・奈良時代にわたる遺構や遺物が発見された。この竪穴住居は竪穴の上に屋根を復元したもので、内部に4本の柱とカマドがあり、庇のついた出入り口が造られている。住居跡はこのほかに18戸も発見され、ここに集落があったことがわかり、鉄製の鎌、鋸、手斧、のみなどが出土している。奈良の都の華やかさに比べ、当時の地方農民の生活がどのようなものであったかが推測できる。

城北中央公園コース046_convert_20120526221254  城北中央公園コース048_convert_20120526221338

 城北中央公園から田柄川緑道を歩きながら金乗院に向う。途中に円明院がある。ここには色々な石像が陳列されている。山門の左右には8体の地蔵尊や観音像が並べられている。中でも昔からご利益があると知れれているのが山門左の一番道路側にある地蔵尊で血の道地蔵、またはいぼとり地蔵と呼ばれている。境内の中にも幾つかあり、なぜ地蔵(合掌地蔵)、六地蔵、水子地蔵、聖観音、興教大師像などが点在している。寺院によって特徴があって面白い。

今日の予定の最後である金乗院に向う。山門脇の大イチョウに目を奪われる。大イチョウの説明書には「区内で最も大きく、徳川家光のお手植えと伝えられ地域のシンボルとなっている」とあった。それで練馬の名木として指定されたそうだ。氷川神社のムクノキ、光伝寺の高野槙(まき)、そして金乗寺の大イチョウと神社仏閣には銘木が多い。それだけ歴史があるということだろう。最近は寺院も改築の時鉄筋コンクリートで市民会館風な建物を作り歴史を感じさせるものは全くない。せめて名木が建物に変わって歴史を語るのであろうか。

田柄川緑道
地域の人たちから“グリーンベルト”として親しまれている「田柄川緑道」は、光が丘「秋の陽公園」から「城北中央公園」まで東西5キロメートルほど続く、田柄川を暗渠にした遊歩道である。遊歩道沿いには木々も植えられ、トイレや水道、ベンチも設けられているため、散歩を楽しむ人も多い。

城北中央公園コース055_convert_20120526221724  城北中央公園コース074_convert_20120526222335

円明院(慧日山円明院西光寺 真言宗豊山派)
開山僧行真、開基賢栄阿闍梨と伝えられ、賢栄阿闍梨の名を刻した文亀2年(1502)の板碑が境内から発掘されていることから、1500年前後の創建と考えられる。門前の三体の地蔵の最も道側の小さい地蔵が血の道地蔵だった。またお祈りをするといぼが取れることから通称いぼ地蔵あるいはいぼとり地蔵といわれている。

城北中央公園コース057_convert_20120526221908 円明院山門

城北中央公園コース005_convert_20120526232312 円明院本堂

城北中央公園コース065_convert_20120526222047 城北中央公園コース067_convert_20120526222121 城北中央公園コース070_convert_20120526222200
 聖観音                  合掌地蔵(なぜ地蔵)          水子地蔵

城北中央公園コース072_convert_20120526233210  城北中央公園コース060_convert_20120526233131 
 興教大師像と血の道地蔵・いぼ地蔵(山門横の塀の前の一番左側の小さな地蔵)   
 

金乗院(如意山金乗院萬徳寺 真言宗豊山派)

本尊は愛染明王。元禄年間(1592~1596年)の建立と伝えられています。慶安2年(1649年)、3代将軍家光公から12石1斗のご朱印を賜った歴史のある寺で、周辺の寺を末寺としていた。木造、かわらぶきの朱塗りの山門は、家光の専用門といわれ、本堂前には、家光の手植えと伝えられる大イチョウがある。

城北中央公園コース075_convert_20120526222435 城北中央公園コース084_convert_20120526222902 
 金乗院入口周辺と大イチョウ(練馬の名木・高さ18m、幹周5m)

城北中央公園コース083_convert_20120526222510 金乗院山門

城北中央公園コース079_convert_20120526222549 大師堂

城北中央公園コース082_convert_20120526222639 金乗院本堂

 田柄川緑道は川越街道にぶつかる。そこから東武線の練馬駅の傍を通り、光が丘公園に向う。川越街道からどうやって帰るか考えた。丁度東武東上線の練馬と上板橋の真ん中だ。緑道から川越街道に出ると、目の前に「北町一丁目」のバス停があった。平和台駅を通る。東武線に乗ると池袋で有楽町線に乗り換えなければならない。平和台からだと一本でいける。このバスを利用することにした。1時間3本しか出ないが時刻表では間もなく来る。しかし川越街道は渋滞している。結局15分待ってバスはきた。

(参考資料: 練馬区公式HP・ねりまの散歩道)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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