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藤沢周平 『橋ものがたり』

7月1日(日)
51l4_convert_20120701072204.jpg『橋ものがたり』とは

 『橋ものがたり』は橋を舞台にした10の短編で構成されている短編集である。この橋を軸としながら、橋で出会い、橋で別れるそういった中で、人生のさまざまな喜怒哀楽が展開する。

橋は人生の交差点である。そのまま真直ぐ進むことも出来るが右にも左にも進める。舵を取るのは自分自身だ。この橋を経由して起こる人の心の変遷を印象的深く描き、読者に「人であるといることはどういったことであるのか」を考えさせる短編集である。

『橋ものがたり』を読んで、今ではどこに行っても聞くことが出来なくなった「人情」という言葉の意味を深くかみ締めることになった。人情というのは、人間の自然な心の動き、人間のありのままの情感、人としての情け、他人への思いやり、を意味する。

そしてそれは本来人間の中に備わっているものであるはずだ。しかし過酷な社会生活の中で、他人を思いやる心は失われ、競争の原理の中で他人は敵として蹴落とす対象でしかなくなっていった。バブルが崩壊し、小泉―竹中の新自由主義の推進は格差と差別を生み出し、分断と貧困を拡大していった。人々は協力して一緒に生きていく存在ではなくなってしまった。

▼ 現代社会でもはや語ることが出来なくなった「人情」について江戸時代を舞台にして藤沢周平は書く。昔よき時代ではない。市井に生きる人々は武家社会の中で経済力を増してきた商人の下で貧しい生活を細々と続けていくほかにない。商人も登場するが、彼らは日々の生活に追われる訳ではないからこそ、心の屈託がより鮮明に表れその対応に四苦八苦するのである。

手に職を持った職人ですら生活はぎりぎりで、年季奉公、お礼奉公が明け独立するまでは、徒弟制度の中、住み込みでほとんど無賃金で働かざるを得ない。そういった一切余裕がなくかつかつの生活をしている人たちがいつも藤沢周平の主人公である。

しかしそういった貧しさの中に人の「心の豊かさ」は存在しているのだ、ということを藤沢周平は疑わない。人を信ずること、人に信じられることそれはどういった人間関係の中で育まれていくのか。さまざまな視点で『橋ものがたり』の中に展開されている。その一人ひとりの心の優しさ、他人への思いやり、これらは人間が本来持っているのではないかと思わせる。

そういった心が描かれる一方で「飲む、打つ、買う」という裏の世界の誘惑に屈して借金を作り、家族を捨て、犯罪に走り、身を持ち崩し自分だけでない周辺を崩壊に導いていく人たちの姿も描きながら、両者の対比の中で人間の生き方を問うているのである。

橋の持つ意味
藤沢周平の『橋ものがたり』の解説を井上ひさしが書いている。「江戸期の橋は、今の省線の駅のようなもの。人びとは橋を目当てに集まり、待ち合わせ、そして散らばり去ります。人々の離合集散が多いということは、それだけ紡ぎ出される“物語”の数も多い。」(新潮文庫p333)

▼ 橋は何を意味するのか。男と女が出会う場所、親と子が別れ、出会う場所、過去と未来をつなぐ場所、善と悪をつなぐ場所、2つの異なった世界がここで交差し物語を作り上げる。

不断は引っ込み思案で気弱で自己主張も満足に出来ない、ごく普通の市井の人々が一生に一度でもいいから、「真っ正直に」突き進んでみようという決意をする。その場所が橋である、そこは出発点であると同時に行き止まりなのだ。進むか退くしかない。ここで自分を偽り退いたら永遠に前に勧めない。橋はそういった決意を促す。

『橋ものがたり』の舞台は、藤沢周平の描くいつもの東北の城下町ではなく、大川(隅田川)沿いそれも本所深川方面である。この地域の橋が次々と出てくる。そしてその周辺に住む人とたちが主人公だ。これら実在の橋を使いながら、主人公たちの生活空間と住居の距離感を想像させる。それが物語の重要な舞台装置になっている。小名木川の萬年橋、親爺橋、両国橋、永代橋、大川橋(吾妻橋)、永代橋、笄橋、鳥越橋、猿江橋、永代橋。今もありよく聞く名前もある。

人情の機微
「そして結末がまた泣けるのです。まことにすがすがしい甘さ。読み終えてしばらくは、人を信じてみようという気になります。(p334・同上)

 藤沢周平の小説の中で人々は、人の心に現れる様々な感情を丁寧に描写しそのことによって主人公の性格を浮き彫りにしている。人は愛のため全てを捨てることもあるし、起こるかどうかわからないことに過剰に期待していたり、ちょっとしたことに心から喜んだりもする。一方敵意や激情や嫉妬にかられる。そいった弱い存在の人間は、欲望に負け現実の重さに打ちひしがれ理想を失うこともある。

こういった人間はどこで救われるのか。物語の中では愛する人の過ちを赦したり、愛する人を信じて自分を犠牲にしたりする。しかしそれは他人のためではなく、自分自身を認めてもらいたいという切なる希望がそういった行為に駆り立てるのだ。

 藤沢周平の市井の人々の生き方の中に入っていくと、自分の生き方を見直すきっかっけになる。彼らあまりにも肩肘を張って生きているようだったら、少し肩の力を抜いて生きてみようと思う。彼らのやさしさに触れると自分も少しは他人との良好な関係を作ろうと思うこと人もあるかもしれない。

そういった意味で、彼の小説に触れることによって、少しだけ生きやすくなるかもしれない。彼のすべての物語の根底には、市井の名もない一人ひとりがどうやって「理想」や「希望」に向かうのかそういった問いかけあり、またそれが我々の日常性と通底する部分があり、共感を生むことにつながってくるのだろう。

藤沢周平小説・5つのジャンル
小説の解説の中で、藤沢周平の小説を読む情景について次のように書かれていた。「藤沢周平の小説は大別して5つのジャンルに分けることができます。まず、史伝もの、第2に御家騒動者、第3が下級武士の恋を描いた青春もの、そして第4が職人人情もの、第5が市井人情もの。大ざっぱですが、とりあえず以上の5つに分けた上で、故植草甚一氏風にいえば“雨の静かに降る日は、藤沢周平の職人人情ものか、市井人情ものが一番ぴったりだ”ということになりましょうか。『橋ものがたり』などは、梅雨時の午後のひと時を過ごすにはもってこいです。」(p332)

 植草甚一氏のいうように、少し大げさな言い方だが「雨の日に藤沢周平を読むという至福に勝るものはない」。むかしは土砂降りだろうが雪が降ろうが、毎日朝決まった時間に家を出て職場に行った。

今は仕事をしていない。雨の日は外に出る必要はない。コーヒーでも入れてソファーに横になって、文庫本をめくるのは、何よりも豊かな気分になれる。もちろん中身は何でもいい訳はない。それこそ藤沢周平の市井人情ものなど最適な選択だろう。冷たい雨と、心温まる彼の小説の相性は抜群だ。

雨が降ると雨に音が吸い込まれたように、あたりはひっそりとした雰囲気に包まれる。そういった隔離された空間のなかで、自分ひとりの世界に浸れるというのが雨に日の読書の楽しみなのだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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