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がんと如何に生きるのか

2月3日(日)
ガンとの闘い、生きる目的を求めて
 がん保険のコマーシャルに、「東大のがん治療医ががんになって」の本を出した加藤大基さんが出演していてこう語っていた。「何歳まで生きるかはコントロールできない。一日一日を密度濃くすることは出来る」と。また別の所では「単に生きているだけで本当にありがたいことなんだと分かったんです。生きていることは決して“当たり前”のことではないんです」と。

 金曜日の夕方のニュース番組で、37歳でがんによってなくなった女性カメラマンの特集をやっていた。彼女は乳がんで手術をして、一時治ったと思っていたが、ある時思い立って検査に行ったところ肺に転移していると診断された。更に脳にまでがん細胞が広がり、視力にまで影響していった。脳の手術をしても余命1年と宣告された。

 「限られた時間をどう生きるか」と問いながら自分には写真しかないということで、それまで芸能人の写真を撮っていたが、「いのち」をテーマにした写真を撮っていきたいと思った。彼女は空と大地、そしてそこに咲く花を撮り続け、個展を開き、写真集を出版した。彼女の写真を見た人が生きる勇気を与えてくれる写真だとインタビューに答えた。

 がんで胃を摘出した鹿児島短期大学講師(図書館学)の種村エイ子さん(52)は、手術から五年後の生存率は20%と宣告され、死を真正面から見つめて知った生命の重みを伝えるために鹿児島県内の小中学校で「いのちの尊さについての授業」を続けている。

 ガンによって死に直面した人たちがこれからの人生をどう生きるのか、何時再発するか分からない状態の中でどのように日々を送っていくのか。限られた時間を凝縮して生きることが出来ればそれは素晴らしいことだ。

「ガンは決して安静にしていれば治る病気ではなく、むしろ患者が使命感や生きがいを持って立ち向かうことが大切である。」(関原健夫『ガン6回、人生全快』)

「日々の生命を良く生きることが死に対する第一の武器である。」(岸本英夫『死を見つめる心』)こういった積極的に社会にかかわり自らの存在をその中で確認していく姿勢も大切だとは思うし、そのポジティブな生き方にあこがれる面もないことはない。

生きているそのことの意味
 生きていることの実感をかみしめながら日々の日常生活をゆったりと過ごしていくそういった生き方もあるのだろう。日常性の中に今まで何気なくやっていた行動の中に生きていることの意味を見出すことも出来るだろう。時間の流れに逆らわず、死を見つめながらもそれ故日々の生の意味を味わいつくすことが出来るのだろう。

病気は神様がくれた休日。まさにその通り、大人は皆大人であり続けることにくたびれている」(ワット隆子『ガンからの出発』)

 今の社会の中で労働者は病気にでもならなければ休むことも出来ないほど働かされ、その状態に対していいか悪いか考える余裕もなく日々追いまくられるような人生を送っている。家と会社の往復以外どこかに出掛けることもなく、家には寝るだけに帰るような生活を強いられている。四季の移り変わりや自然の恵みを味わうこともなく働き詰めの人生だ。 

 病気になるということは、そういった日常性から突然自分の意思とは全く無関係に強引に切断されてしまうことなのだ。特にガンなどのように長期治療を必要とし、死と隣り合わせの病にかかった場合特にそうである。これは宿命でしかない。この状態をどう受け止め自らの生き方として転換できるかが重要である。

「がんという病気が立ち止まる機会を与えてくれた。この先の時間を実感として意識させてくれたのです。」(影山和子『がんのある日常』)

「人の命は明日をも知れないと実感してからは一日一日が密度の濃い時間に変わりました。」(小林茂登子『あたりまえの日に帰りたい』)

「病によって以前全く想像していなかった世界の中に導き入れられた。私は毎日のように“今日”も生きていて良かったと思う。」(阿部幸子『病棟の光と翳』)

「がんのおかげで今日という日のやり直しのきかないことを嫌というほど思い知った。だから時間を自分の手の中にしっかりと握って生きる。」(ワット隆子『がん患者に送る87の勇気』)

見えなかった世界を見る
 このように病気になって今まで何気なく送っていた自分の人生を振り返る機会を得て、生きていることの意味を実感できるようになっていく。それは惰性で生きている時間でもなく、外部から強制される時間でもなく、時間に追い立てられることもない自分だけの時間なのだ。

 その中で何を見出して生けるのか。いのちとは何かを否が応でも思い起こさせるものなのだ。生きていることの一瞬一瞬が意味を持ってくる。感性が外界に対して研ぎ澄まされ、かっては何気なく素通りし、見過ごしてきた事物が生きたものとして立ち現れてくる。

「森の中はモミの木の芳香に満ちていて、山を吹き抜ける風にススキがなびいている。名もなくひっそりと遠慮深く咲いている野草たち、何て自然は美しいのだろう。私は生きている喜びを体で感じていた。」(カットバッサー俊子『私は肝移植で救われた』)

「まぶしいほどの太陽の光、あふれる緑、流れる雲、小さなクローバーを踏みしめながらさわやかな風を頬に感じ、中庭にたたずんでいると、とめどなく涙が溢れ出て来ました。この気持ちは生きてこそ味わえるもの、人生に生きる意味や価値を求めてきた私ですが、すべての前に生きるということの意味の深さを知りました。」(小林茂登子・前掲書)

「日常生活のさりげない暮らしが光のシャワーを浴びたようにきらきらしています。」(イデア・フォー編『再発後を生きる』)

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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