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駒込吉祥寺

7月27日(金)
昨日一昨日と体のだるさから、日中も横になりたくなる時間が多かった。特に抗がん剤を使用していないのだが、やはり体中の血液を入れ替えるというのはかなりの負担になったのだろう。おまけに大静脈からかなり出血してしまった。最近は20時には眠くなってしまっていたが、昨日は10時まで起きていて消灯時間に合わせて寝た。朝もすっきりと目覚めた。

朝の散歩に出かける。6時30分なのにもう暑い。昨日は8時から気温が30度あったそうだ。病院では外の暑さは空調であまり気にはならないが、やはり節電のせいだろうか部屋は例年より暑く感じる。

近所の散歩といっても行く所は限られている。吉祥寺の境内は広く散歩するのに丁度いい。今年の4月桜の季節に行ったばかりだ。同じ所を回るというのは芸がないが、季節によって風景はその姿を変えて見せてくれるものだ。深い緑に覆われた今の時期、4月のサクラで淡く煙る境内とは全く趣を異にする。それは季節の移り変わりを感じさせる以上に、自分の病気と、自分の生活や考え方の変化を思い知らされる。

時間は無機質に進んでいく。季節はそれに彩りを与えながら、淡々と同じような変化を繰り返す。しかし自分の人生はやはりひとつの方向へと収斂していく道筋を示している。それを季節の移り変わりによって受け止めざるを得ない。桜のピンクも木々の深い緑もその心を映し出す鏡でしかない。自然の中に佇む時、嫌が応でも自分の現実と向き合わざるを得ない。それの中で再度自分の生き方を模索していくほかないだろう。

吉祥寺(諏訪山 曹洞宗):  
太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移った。明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。関東における曹洞宗の宗門随一の栴檀林(せんだんりん)がおかれ多くの学僧が学んだ。(文京区観光協会)

DSCF0166ed_convert_20120726171354.jpg 本堂
  
DSCF0171_convert_20120727165147.jpg 病棟から


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 吉祥寺山門                       表参道より本郷通り方面

DSCF0147_convert_20120726163049.jpg  DSCF0145_convert_20120727164334.jpg  
  
茗荷神社:痔の完治に霊験あらたかとされ、茗荷絶ちをして祈るのが慣わしだった。吉祥寺は明暦大火の際、府内よりこの地に移った。家康公ゆかりの毘沙門堂脇の庚申塚に茗荷権現があった。寛文年間疫病蔓延の折、祈願の人絶えず、特に痔病の根治に霊験ありとされ、茗荷を断って心願する者は多かった。
 
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DSCF0153_convert_20120726163626.jpg  DSCF0152_convert_20120726163537.jpg
 花供養塔・駒込生花市場

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 比翼塚                         吉祥寺大仏

お七・吉三郎比翼塚:のちに西鶴「好色五人女」に触発された人が建立したもの。比翼塚というのは相愛の男女や心中した男女を葬った墓のこと。実際のお七の一家の避難先は白山(地下鉄白山駅近く)の円乗寺で、吉三郎も円乗寺の寺小姓であり、お七の墓も円乗寺にある。

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 六地蔵                           表参道より本堂方面

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 経蔵                             赤松家先祖代々之霊位

経蔵:江戸時代、経蔵は図書収蔵庫であった。現在の経蔵は1804年、再建されたものと考えられる。東京都内に残る江戸時代建造の唯一の経蔵として貴重である。区指定有形文化財。

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 経蔵と本堂                        鐘楼

吉祥寺には多くの人の墓がある。二宮尊徳、榎本武揚、鳥井耀蔵、川上眉山の墓所などである。かつらの墓の前には、「清水かつらここに眠る」と記された石碑があり、裏面には主な作詩として「叱られて」「靴が鳴る」「緑のそよ風」「雀の学校」「文福茶釜」の刻印が有る。墓地には河村光陽の「かもめの水兵さん」の碑がある。

また与謝野鉄幹が、本郷駒込の吉祥寺境内にあった学寮住んでいた。明治25年初めて上京した鉄幹は義兄の家で1ヶ月程を過ごしたが、その後学寮に移ってきた。義兄の家の経済が極めて困窮しているのを察しての行動だった。ここでも「焼芋を以て一日一食に代へ、或は屡々絶食」する生活をしながら、次への飛翔を期して、上野の帝国図書館に通う。

吉祥寺の南側に落合直文(1861―1903)は、和歌革新のための結社として「あさ香社」を結成した。彼は1881年(明治14)上京、88年皇典講究所の国文教師となる。この年、長詩『孝女白菊の歌』を『東洋学会雑誌』に発表、七五調のロマン的叙事詩で反響をよぶ。92年、雑誌『歌学』創刊号に新しい歌観を示した和歌革新論を述べた。国文学者、教育者としても業績を残した。新派和歌の結社として与謝野鉄幹、金子薫園(くんえん)、尾上柴舟(おのえさいしゅう)ら多くの俊秀を育成。詩・短歌・文の改良を意図し、実作に示していった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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