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主治医からの最後通告

8月4日(土)
 昨日、内科処置室で血小板の輸血をやっている時に、主治医が処置室のパソコンで書き物をしていた。今日は外来診療がないので比較的時間があるのだろう。30分位して書き終えたものを持って私の所やってきた。主治医と今後の方向性について話す機会は中々持てない。ゆっくり話せそうだ。

まず病状の急変についての救命救急措置についての「同意書」の書名が求められた。これは病状がかなり進行している通院、入院患者に求められている措置なのだろう。問題はそのことではない、この署名を通して私に病気の現状に対する認識を確認しておきたかったことにあるのだろう。

 この説明書は私の病状への「説明書」で、何が書いてあるかといえば、私の原発性マクログロブリン血症に関してはもはや治療方法がないということである。IgMを大量に生み出す骨髄中の形質細胞腫瘍を抑える有効な抗がん剤が存在せず、ひたすらIgMが増加をすることに対抗するいかなる方法も存在しないということである。このままだと過粘稠症候群によって血液が粘稠化し心筋梗塞や脳梗塞などの合併症に陥るということが明らかである。

また骨髄中の形質細胞腫瘍の増加に伴い、血球の減少が見込まれる。白血球が減れば、敗血症、肺炎などの感染症の危険性が高まる。ヘモグロビンが減れば疲労感に苛まれる。血小板が減れば出血傾向が増加する。

以上のような説明がなされた。この現状に関しては、この間の抗がん剤治療が全く効果を発揮していなかった経過でもはや治療方法はないと自覚はしていた。治療経過はそのことを医者に確認してもらったということに過ぎないともいえる。

 もはや主治医には私の原発性マクログロブリン血症の治療は不可能だと思っている。どのような治療法もない。それに納得できなければ、セカンドオピニオンを受けに、他の医者に行くほかにないだろう。そういった意味で主治医からの最後通告なのである。しかし今までの治経経過から見ても他の病院での治療実績から判断してもほとんど期待できない。無駄に色々な病院を探し回り、不可能を可能するためにエネルギーを注ぐことがいいのだろうかと考えてしまう。主治医との話はそこから始まる。     


       説明書(現在の病状と今後の展望についてのご説明)

私は患者Y氏の現在の病状と展望について下記の通り説明しました。(説明方法-口頭))

1、現状病状・今後の見込み
原発性マクログロブリン血症の末期的状況で、過粘稠症候群、血小板減少、貧血、腎不全などの状況にありますが、根本的にこれらを打開する方法はないのが現状です。
2、上記に伴う合併症の可能性・危険性
全身状況は極めて不良であり、極めて近い将来、急変する可能性が否定できません。過粘稠症候群の悪化に伴う脳梗塞、心筋梗塞、消化官への血管の閉塞、重要臓器への致命的出血などにより、多臓器不全を併発する可能性が高いと判断しております。
3.その他の説明
急変して人不正に陥った場合、心臓蘇生など救命救急措置をご希望されるか否かあらかじめ意思表示をお願いいします

  2012/08/03
    K病院 血液内科 医師氏名  I. O  署名
その他、ご不明の点や意見は、担当医師に遠慮なくお話ください。


       同意書急変事の対応)

K病院長 殿
私は、現在の病状と急変の可能性について理解しております。不可逆的な状況と医者が判断した場合、姑息的救命救急処置は希望しません。
  2012/08/03
     患者氏名  Y.H  署名


 病状に対する理解は主治医と似たようなものだ。これ以降どうするのか。主治医はこの病院での緩和ケア病棟を薦める。ここでの緩和ケア病棟はホスピスといったターミナルケア病棟とは異なる。当面は通院での輸血とステロイドによる緩和ケア治療を行う。次に訪問医や訪問看護師による緩和ケアを訪問で受ける。そして最終的には緩和ケア病棟への入院ということになる。病床はすぐに空かないので、事前に説明を受けいつ頃入院したらいいのか決めておくことが必要だ。

緩和ケア病棟での生活は多くの人にとっては、疼痛マネジメント(痛みの性質や程度を把握する)に始まる疼痛管理である。保清ケアや褥瘡予防。胸水や腹水のコントロール。経口栄養摂取困難時の栄養管理。発熱、吐き気、下血などへの対応。そのための輸血、栄養補給、ステロイド投与など原疾患の治療行為はしないが、様々な緩和ケアを行う。また蘇生措置拒否をするか否かの確認などの臨死期の措置も含まれる。

 結論から言えば、治療を打ち切れば、数ヶ月で命は失われる。しかし可能性のある有効な抗がん剤がなく、がん細胞を減らすことができず、やったとしても効果の薄い副作用だけに苦しめられることになりかねない選択がいいとは思えない。

死を否が応でも間近に見つめ直さざるを得ない日々が始まったということだ。主治医との話では、終末期医療のあり方や緩和ケア病棟への入院時期の選択などの相談を緩和ケア病棟の医者と来週に行うということになった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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思えば遠くへ来たもんだ

大冒険も後半に入ったということでしょうか?

6月12日のコメントで大冒険入り、7月23日のコメントで「ご挨拶」をしてしまったので、もう書くことがあまりありません。
私は、大体早打ちマックの傾向にあるので....

K期入りの定義は不明なので、何時からかはわかりませんが、入ってしまえば後は短いと考えられます。
もう入っているとすれば、心筋梗塞なら数時間後の可能性があります。何もおこらなければ、K期入りはずっと後で、私の知識では、IgM14,000の患者さんを知っていますし、多分もっと上の方もいたのではないかと思います。

終末期医療の確認を心配していましたが、病院側で準備してくれるとは、良い病院を選ばれましたね。
もっとも、病院側もそれなりに、訴訟対策や経費削減を考えているのかもしれませんが。

あと、私だったらということで、考えられるのは、
・事前に同意書を家族全員に見せて、同意を得ること
・家族に言っておきたいことを早めに伝えること
  つれあいにお礼を言い辛くて先延ばしして、結局いえないという事例が多い と聞いています
  面と向かってが難しい場合、紙に書いて後で必ず見つかるところに置いておくという手もあります
・事後にブログの最後のページを出す準備と依頼をしておく
私は、後のことはどうでもよいという考えなので、あまり思いつきませんが、yosimineさんはどうでしょうか。

緩和病棟の医師説明のUPをお待ちしています。

百年経てば皆同じ

太陽の寿命も,あと50億年くらいしかないとのことです。

yosimineさんには,来年こそ,幕山公園のウメを見にいってもらいたかったのに,残念です。

No title

しかしどんな状態になり・・・冷静な文章に頭が下がりました。私は信じてます!!私も生きましょう!

No title

宿命をキーワードに、語ってきましたね。
そして、その友から多くのことを教えられました。

思えば、目の前にある環境への時々刻々の自己選択が、
宿命を定めて来ているのではないでしょうか。

老少不定でもあり、後先遅速の問題ではありません。

これからの選択肢の中での、yoshimineさんのベストチョイスを
祈ります。

道、吾もまた!

宿命をキーワードに、語ってきましたね。
そして、その友から多くのことを教えられました。

思えば、目の前にある環境への時々刻々の自己選択が、
宿命を定めて来ているのではないでしょうか。

老少不定でもあり、後先遅速の問題ではありません。

これからの選択肢の中での、yoshimineさんのベストチョイスを
祈ります。

死をどう受とるべきなのか

8月3日の「主治医からの最後通告」に関して何人かの人からコメントをいただいていますが、今日までその返事がかけていません。

主治医の通告をどう受けとめるのか、実際的に人は死に直面した時、感情的、理性的にきちっと整理し受け止めているわけではありません。ある意味でむしろ正面きって受け止めるのではなく、その問題を回避しながら、残りの人生をぼんやりと生きていこうと思っているのではないでしょうか。

体調にも良くない日が多いので1日中、精神的に締まらない状態でぶらぶらしている状態だといえるでしょう。もう少し涼しくなり死について考える気力が出てきたら、皆さんのコメントへの返信も書けるでしょう。

医者の通告からとはいえ、治療断念という選択は、本当に自らの意思であったのか、果たして「生と死」の選択が自ら可能なのだろうか。幾つもの疑問が生じているのは確かです、それ整理して考えていなければなりませんが、そういった精神状態ではないのが現実です。

ある他者の死への認識は否が応でも自分の死への対象化につながるでしょう。だからむしろ受け止めるのは辛いことだし、通り過ごしていきたいと思うものです。それでも死の問題は時々心の空隙の中に現れ心をさいなみます。

自らの人生の中で時々垣間見る死の影におびえながら、死との関わりは否が応でも拒絶できません。時々は思い出さざるをえません。自らのその他者とどういう関係であったあったのかの認識を可能にするのが死への対象化作業でしょう。それができればそれに越したことないでしょう。

死の世界に向かう、死への道を歩んでいく日々が流れていきます。その世界を見ながら自分にからみついている生と死を呼び出し、それを見極めていく困難な課題が存在しています。

その人にとってそれが避けられない生と死の問題であるがゆえ正面きって受け止めれば必ず、人の死は無駄にはならない死であり、自分にとって何らかの痕跡を残してくれることでしょう。

No title

残暑お見舞い申し上げます。
苦しい胸の内ながら、静寂を感じるようなお言葉の並びに、尊敬を新たにしております。

「受容」という言葉は医療者もよく使う好きな言葉のようですが、私を含む一部の医療者は必要を感じていない一面があるように感じております。
本当に残念なことですが、揺るがない事実です…。
それ以外、死の受容に対して何を考える必要があるのでしょう…と私は感じています。

それよりも、一番何が大切でしょう ご自分らしさは何でしょう やっておきたいことは何でしょう… 
私たちに伝えたいことは、私たちに覚えていて欲しいことは何でしょう…
それを受けとめたい、引き継ぎたい人たちは、きっと周りに沢山いらっしゃることと思います。私もその準備があります。 

波の続くお心を、乱してしまうコメントになってしまっていましたらごめんなさい。
勇気のようなものをもって言葉を選びましたが、へたくそでごめんなさい。

コメントを書き込むことに躊躇致しましたが、無礼ながら書かせて頂きます。

私の父親が現在yoshimine様と同じ病気、発症から7年弱になります。不勉強ながら数値的なことは私、分かりかねますが、先月頭から父親が入院治療をしております。正直、今までの入院治療とはワケが違う…とあまり多くを伝えてこない両親から聞くこともできず、ネットでできる限り情報を入手したいとの想いでこちらのブログにたどり着き、携帯からですが育児の合間に読ませて頂いております。

先日、家族に主治医からもしもの場合について、救命措置をするか否かについての話、新薬投与についての話、どれもかなりショックな話でした。今までの治療もあまり改善がみられないことに本人もショックを受けております。

しかしながら、どう予後を過ごしていくのが一番父親本人と家族にとってよいのか、今のうちに考えておけるチャンスなんだと考えております。現在自宅から遠く離れた隣の県まで母親が車で通っており、近隣に父親を見てくれる病院や医師がいないため、このまま何かあった場合は今の病院で最期を迎えることになります。いろんな選択肢がある中で、どうしたいのか、今はやはりショックが大きいですが、少しずつ考えていきたいと思います。

何だか支離滅裂な文章で全く失礼なことを申し上げているかもしれませんが…どうかyoshimine様も心安らかに、少しでも多くの時間をご家族やご親友と過ごすことができますようにお祈りしております。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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