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羽柴 整 『天国から届いた年賀状』

2月26日(火)
図書館で書棚を見ていたらふと目に留まった本がある。図書館で本を借りる時は借りたい本を決めてから行くのと、書棚を眺めていて面白そうな本を借りるという2通りあるが、『天国から届いた年賀状』(羽柴整著・中日新聞社)という本がたまたま目に入った。臓器ガンの闘病記で自分の病気との関連性はあまりないないが、度重なる転移と手術のすさまじさに引き付けられた。どのように耐え克服して行ったのだろうか。

本の冒頭に死後届いた年賀状が載っている。
・・超鈍行”Cancer(がん)X号”の乗客になって今年3月1日で満10年。その「終着駅」ももう間近。ターミナル到着までに「銀河鉄道999」、となりのトトロ専用の「猫バス」に乗り換え、ひと楽しみしたかったのですが、それも所詮許されません。文字通り1分1秒の重みを噛締めて、新しい年を迎え入れたいと思います。』1999年1月1日

手術の経過―本の巻末にある闘病年表に手術内容を書き加えたもの
1989年3月 46歳 検査で大腸の腫瘍発見
第1回入院 1989年3月 大腸30cm切除手術
            7月 職場復帰

第2回入院
 1991年5月 後腹膜腫瘍(切除した大腸の腫瘍の残りが成長)切除手術
            7月 職場復帰

第3回入院 1995年4月 腎臓摘出、腹部大動脈リンパ節とその周辺のリンパ節切除。大腸30cm切除手術
            6月 職場復帰 白峰三山縦走

第4回入院 1996年1月 下腹部と左足付け根の間のリンパ節腫瘍と頚部左鎖骨下のリンパ節腫瘍の同時切除手術。  3月 職場復帰 スイスへ家族旅行

第5回入院 1996年12月 すい臓の半分と脾臓摘出、胃の5分の3を切除手術
         1997年3月 職場復帰 北アルプス雲ノ平登山    

第6回入院 1997年8月 左肺下葉部と大動脈横隔膜脚周辺のリンパ節腫瘍切除。上腸間膜動脈リンパ節腫瘍、左副腎切除手術。  11月 職場復帰

第7回入院 1998年2月 肝臓に直径2cmの転移巣、下大動脈内腫瘍が血管の80%を塞ぐ-肺塞栓、肺梗塞防止の血管内フィルター設置。
          
1998年3月 通院で抗がん剤(5FU・フルオロウラシル1g)治療始める。

第8回入院 1998年3月 腰痛の原因が腰椎への侵潤、転移と確定。痛みをとるため放射線治療を受ける。  3月 沖縄への家族旅行 5月 職場復帰(週3日出社)

第9回入院 1998年8月 後腹膜リンパ節から下大動脈、腰椎骨へと浸潤する腫瘍。肝臓への転移。肝臓がんの治療として動注化学療法(肝動脈にカテーテルを挿入留置し、直接肝臓に抗がん剤を注入)のための「リザーバー」という装置を埋め込む。モルヒネ液を24時間の皮下持続注射できるダイヤル式自動輸液ポンプが取り付けられる。

第10回入院 1998年11月 後腹膜リンパ節腫瘍が肥大し脊髄から出ている骨盤内の大体神経を圧迫、腰、左大腿部の激痛。終末期医療、ペイント・コントロール。モルヒネの静脈点滴。硬膜外神経ブロック(脊髄にモルヒネを注入して神経を遮断する)での痛みの緩和、それに伴い意識が弱くなり、内蔵機能が衰える。
1998年12月28日永眠 56歳

摘出、切除した臓器・リンパ節
 頚部左鎖骨下のリンパ節腫瘍
 左肺下葉部
 腹部大動脈リンパ節
 大動脈横隔膜脚周辺のリンパ節腫瘍
 腎臓
 左副腎
 すい臓の半分
 脾臓
 胃の5分の3
 大腸30cm・2回
 後腹膜腫瘍
 上腸間膜動脈リンパ節腫瘍
 下腹部と左足付け根の間のリンパ節腫瘍

6回の手術によって、首から肺、内臓、足の付け根まで次々とがん細胞がリンパ系を介し転移していく。臓器ガンの場合、腫瘍部の切除によって転移・再発がなければ、かなり早い時期に社会復帰が出来る。

スーパーモーニングで解説をやっている毎日新聞特別編集委員の岸井さんがしばらく出演していなかったが、一昨日3ケ月ぶりに登場した。大腸がんで入院していたという。3ケ月で復帰出来るという今の医学には驚かされるが、血液ガンだと社会復帰まで半年や1年は通常かかってしまう。抗がん剤による体力消耗からの回復がなかなか思うように行かないからだ。

しかし一方、切除すれば治ると考えられている臓器ガンが次々と全身に転移していく様はまさにがん細胞の悪魔的な恐ろしさを感じさせる。

羽柴さんの生き方
『天国から届いた年賀状』の羽柴さんの闘病記が終わりなき絶望の記録ではないのは、職場、家族、自然との関係、登山といった入院、手術の間にある時間と空間のあり方にあるのだろう。その広さが一種の救いをもたらしてくれるのだと思う。とりわけ中日新聞社に職を持ち、その職場環境の中で職場復帰が可能であり、社会の中での自分の存在を確認できるということが大きな生きがいになっていたことだろう。

彼の生き方の基本にある「ガンと闘うなんて言っちゃダメですよ。闘うと、ガンにはかないませんから。ガンと仲良くして、共に生きる位の気持ちでいるのがいいですよ」「まっ、いいか、生きられるだけ生きるさ」という自然体の生き方を基調としながら、闘病記を執筆し続けることによって心の癒しを得てきていると言う。

また執筆の意味について「物質的繁栄という状況の中で、ややもすれば忘れていた人生の意味とか、自分が生きた証といったものを、必死になって確認しようと思うようになったことの現われではないか。」(柳田邦男)といった言葉を引用している。

「人体を構成する60兆の細胞。その中のたった一つの反乱から始まり、体内に根を下ろしてしまった私のがんのルーツは大腸がん。切っても切っても、所を変えては暴れ出す忌まわしいがん細胞は、回り回って、何処へ行き着こうとしているのか。終着駅は次なのか、それとも次の次なのだろうか。”私ターミナル”を見届けるまで、戦いの奇跡をしっかりと追い続けたい。」と言いながら死の直前まで「ガンと生きる」10年間の軌跡を書き続けてきたのである。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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