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小石川植物園

2月28日(木)
小石川植物園入口付近
病院での定期検診の後、小石川植物園に向かった。風は強かったが気温は10度を越えていただろう、風が止むとコートが要らないほどであった。小石川植物園の梅が見頃だと聞いた。というか今は梅のあるところ何処でもそうだろう。南北線本駒込から後楽園まで行って、丸の内線で茗荷谷まで行く。そこから歩いて10分位で植物園だ。

入り口の左側にビルの3,4階の高さがあるだろうか、コーカサスサワグルミの巨木が、4,5本聳え立っている。イラン北部からウクライナにかけてのコーカサス地方が原産で成長が早く、高さは20~30メートルになるそうだ。

その奥にメタセコイアという100万年前に絶滅したと言われた化石樹が20本ばかり杉の様に真っ直ぐ20メートル以上の高さで佇立している。化石としては日本各地からも発見されていたが、1941年に中国四川省で発見されるまでは生きているものは知られていなかった。日本にも300万年から100万年前頃まではたくさん生えていたらしい。その頃からあまり進化していないらしく、生きている化石として有名である。樹形は針葉樹の仲間らしく端正で、秋には紅葉し、短枝ごと落下する。落葉性の針葉樹である。

この2種類の木はまさに度肝を抜かれるという程の高さなのだ。植物園にはかなりの巨木がひしめいている。それはこの植物園の歴史の古さを示している。区指定の保護樹木など比較にならない程の巨大さだ。クスノキもあったがかなり大きい、この植物園のスズカケは日本で一番古いと言われている。梅は最後にとっておいって、最初は桜の広場の方に向かった。桜はもちろんまだ咲いてはいなかったが、一本だけ寒桜が見事に咲いていた。丁度満開といったところだ。

菩提樹の並木道
菩提樹の並木道があった。冬枯れの葉を完全に落とした木々がさびしく並んでいる。枯葉の並木道を歩くと思い出すのは、シューベルトの『冬の旅』だ。昔よく聞いたものだ。D・フィッシャー=ディースカウのバリトン、ジェラルド・ムーアのピアノの『冬の旅』は心の拠り所として、絶望的な精神状態を支えてくれていたのだ。『冬の旅』の中には「菩提樹」という歌もありよく知られているが、やはりこの曲は冒頭がいい。

“Fremd bin ich eingezogen, Fremd zieh’ich wieder aus・・・”「私はよそ者としてこの町に来た、いままたよそ者として町を離れる・・・」で始まる『冬の旅』は青春の心の彷徨をあまりにも適確に表現している。感情移入してしまう。枯葉の並木道を歩きながらついこの歌の歌詞を口ずさんでしまう。しかし実際には今日の天候は『冬の旅』の情景としてはふさわしくない。2月末の気候は春の暖かさを中に含み所々に顔をのぞかせる。12月、1月の絶望的寒さ、底なしの寒さとは訳が違う。『冬の旅』は出口のない凍えそうな寒さがふさわしい。

シマサルスベリの木が面白い。白くてつるつるしていて、枝がくにゃくにゃと仙人の杖のように曲がっている。サルスベリが10本ばかりある一角は不思議な国のアリスの魔法の国のような奇妙な雰囲気を漂わせている。カリンの林も変わった雰囲気をかもし出している。木がパッチワークのようにまだら模様に彩られているのだ。おとぎの宮殿の柱が林立しているようで楽しい。

植物園の梅林
梅カリン林から坂を下ると日本庭園だ。梅林は日本庭園の隣接している。は満開と言っていいほど見事に咲いていた。しばらく前どこもまだ咲いていなかったので、こんな短期間に咲き誇るとは予想していなかった。白、ピンク、赤の3種だが、その3色が互いに色を補合いながら、コントラストを作り出し、より一層それぞれの色を引き出しているのだ。

一本一本種類が違いその名を辿るだけでも面白い。よくつけたものだ。寒紅梅 古今集 紅冬至 扇流し 大盃 佐橋紅 楊貴妃 緋の司 花香実 八重の松島 月影枝垂れ 遠州糸枝垂れ 五節の舞さらに何十種類もある。それぞれ色も形も微妙に違うのだろうがなかなかそこまで区別は着かない。

10人近くのカメラマンが梅の写真を熱心に撮っている。もちろんほとんどがアマチュアだろうがなかなかいいカメラを持っている。当然一眼レフ、望遠レンズ付き三脚持参と格好だけは一人前だ。コンパクトなデジカメを持っている人などはいない。趣味も徹底すればなかなか醍醐味のある面白いものになるのだろう。その道を極めようとすれば、それはプロも素人も関係ない。

何やかや1時間ばかり歩いてかなり足が疲れてきていた。帰り道は茗荷谷まで歩いて行くのが大変そうだったので、植物園前から丁度来た大塚駅行きのバスを利用した。以前は2,3時間歩いても全く問題なかったが、ベルケードの影響で末梢神経障害が生じ足の裏が痺れることに伴って、長時間歩くと腿やふくらはぎが疲れてくるのだ。こういった状態で歩かなくなると余計筋力を減退させることになるので徐々にでも運動していきたい。

小石川植物園の由来(「東京の庭園」より)
小石川植物園の前身は徳川幕府直轄の小石川御薬園。徳川幕府は三代将軍家光の時代寛永15年(1638)に薬用の植物を栽培するための場を麻布と大塚に開設するが、貞享元年(1684)現在地に移設し小石川御薬園となった。

八代将軍吉宗の時代にほぼ現在と同じ規模に拡大され、享保7年(1722)には小石川療養所が付属施設として開設された。小石川療養所は貧民のための医療施設として開設されたもので山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」の舞台となっている。明治十年(1877)東京大学の設置に伴いその付属施設とされ今日に至っている。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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