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「明日の記憶」

3月3日(月)
31TWFWTDAWL__AA192_.jpgあらすじ: 広告代理店に勤める佐伯雅行(渡辺謙)は、平凡だが幸せな暮らしを送っていたが、ある日突然若年性アルツハイマー病に襲われる。あらゆる事柄をメモに取り、病魔と必死に闘い始める夫を、懸命に受け止め、慈しみ、いたわる妻(樋口可南子)。彼女は共に病と闘い、来るべき時が来るまで妻であり続けようと心に決めるが……。(シネマトゥデイ)

▼ WOWOWでやっていた『明日の記憶』を見た。アルツハイマー病を扱った映画として『私の頭の中の消しゴム』を韓国映画で見たことがある。『半落ち』も関係した映画だと言える。この病気を巡る、家族、妻、恋人、職場の同僚、周辺住民などあらゆる人間関係の狭間の中で病気は嫌がおうにも進行していく。病人本人も病気の進行によって変わっていかざるをえない。その中で人間関係もまた変わっていく事になる。

主人公にとって、50年の歳月を要して積み重ねた様々なものが、例え自分でどんなに守ろうとしても、見境もなく、奪われていく。それがどれほど恐ろしいことか。アルツハイマー病と告げられパニックになり病院の屋上から下を見下ろす主人公。

それを見て医者は言う「人間は誰でも、十数年を過ぎれば老いていくばかりです。今、何をするべきなのか考えましょう」と。人は生まれ成長し様々な病気にも罹り、やがて死んでいく。そういった宿命の中で、生きるということはどういうことなのか、生きるために何が可能なのかを問い続けながら、今という時間を精一杯生きていくほかない。

毎日会社で会う仕事仲間の顔が、通い慣れた取引先の場所が思い出せない。知っているはずの街が、突然見知らぬ風景に変わっていく。どんどん失われていく記憶。
人そのものの存在を、人格を形作る<記憶>。人間にとって最も大切なその装置が破壊されてしまったら、人は何によって相手と繋がり、絆や関係の意味を見出せるのだろう。

 「お前は平気なのか?俺が俺じゃなくなってしまっても」。一緒に積み重ねてきた人生をいつか忘れてしまうのだ。
彼女は静かに答える。「私がいます。私が、ずっと、そばにいます。」

「もういいよ、俺のことは。おまえはまだ若いんだから、俺がいなくなってからのことを考えろ」
「なにそれ?安っぽいドラマみたいなことを言わないで。言われる身にもなってよ。こっちには最終回なんかないんだから」


この夫婦の会話は、妻が絶望の中で見出そうとする関係性の継続への願望である。一生一緒にいようとする、家族の絆を表現しているのかも知れない。人を愛すること、共に生きることとは何か、そしてそれがこの病の中でいかに可能か。病と対峙して闘う家族が、苦悶を越え、やがて現実と添いゆこうとする葛藤は並大抵のものではない。

しかし、病気になった方からすれば、記憶の中では家族といえども「赤の他人」でしかない。「他人」の情けにすがって生きるよりは、その人の前から姿を消したいと思うのではないだろうか。『私の頭の中の消しゴム』の主人公がそうであったように。相互関係、相互の感情の交流がない中での一方的愛情表現は逆に苦痛でしかない。その相手が「かっての」妻であろうが恋人であろうが。この映画の主人公が養護施設を訪ねた意図もそこにあるような気がする。

主人公は養護施設に行った帰り、昔やっていた陶芸の小屋に行って、そこで昔の先生に会い、酒を酌み交わし、一夜を過ごす。朝、山を降り、吊り橋の手前までいった。これが、今までの自分本人と別人格自分との別れの橋だ。今までの自覚し意識されていた自己から決別することになる。

アルツハイマーに取り込まれた自分が誰だか分かっているうちは、記憶をなくしたくなくてもがくのだが、実際に自分が誰かも分からなくなってしまうと既にそれを悲しいとは思わなくなる。そして自分の中に記憶できない分、人の記憶の中に残っていく。人の記憶の中でしか自分の存在を確認できない。他者との関係の中でしか自分は存在しない。

 吊り橋の手前で、前をみると、見知らぬ女性がたっている。名前を聞く。「枝実子っていいます。枝に実る子と書いて、枝実子」彼女は必死になって叫ぶ。「私を忘れてしまったの」と。迎えに来た女性、実は妻なのだが、その時には名前も顔さえも忘れてしまっていたのだ。

しかし、最後まで失わなかったもの、最後まで残っていたのは人を思いやる優しい心だった。見ず知らずのその女性を心配して、駅まで一緒にと、優しく声を掛ける彼の、その素直な気持ちは、記憶が失われても本人が本人であるといえる、最後に残された痕跡であった。この女性は主人公にとって今や妻ではない。

では誰か。誰でもない。ここからまた新たな人間関係を始めるほかない。これから二人して、困難な道が待ちかまえている。一方は記憶を無くし、記憶というある種の過去の桎梏から解放された「心安らか」であるかもしれない夫がいる。この困難な関係を救うのは、主人公の変わらない感情表現であり心の優しさなのだろう。

資料:アルツハイマー病の病気の進行
第1期:
記銘力低下で始まり、学習障害、失見当識、感情の動揺が認められるが、人格は保たれている。
第2期:
記憶、記銘力の著明な障害に加えて高次機能障害が目立つ時期で、視空間失認や地誌的見当識障害が見られる。更に周囲に無頓着となったり徘徊や夜間せん妄もみとめられる。特に初老期発症例では、感覚失語、構成失行、観念失行、観念運動失行、着衣失行などの高次機能障害も稀ではない。
第3期:
小刻み歩行や前傾姿勢などの運動障害もみられ、最終的には失外套症候群(認知機能が完全に消失した状態である。一見覚醒しているかのように開眼しているか、命令に従わず、眼球運動や嚥下運動はあるが、四肢の運動機能が欠如した状態)に至る。(Wikipediaより)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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