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豊島区散歩-8 レトロに浸る・街道筋をゆく

3月27日(木)
朝は曇っていって気温は低く、天気予報だと最高気温は10度だったが、10時過ぎる頃から暖かくなってきた。桜の見頃は恐らく今週一杯だろう、ということで今日も出かけることにした。豊島区観光案内散歩コースの9番目、巣鴨・西巣鴨コース=「レトロに浸る・街道筋をゆく」を巡ることにした。昔の面影を残すどこか懐かしい町、旧中山道を地蔵通りから庚申塚通りを抜けて掘割まで行く。

巣鴨駅→染井吉野の碑→眞性寺→巣鴨地蔵通り商店街・高岩寺・とげぬき地蔵→庚申塚・猿田彦大神→種子屋→千川上水公園→掘割バス停

巣鴨の桜並木・染井吉野の碑
巣鴨駅の改札口を抜ける。すると中仙道を越えた山手線沿いに大塚駅に向かって数百メートルにわたって桜並木が連なっている。桜並木の線路沿いには遊歩道があり、お花見客とか、近所の犬の散歩の人とかゆったりと歩いている。昨日の都内の気温が20度を超えたということで一挙に花が開いたのだろう、ほぼ満開だった。桜祭り用のピンクの提灯が桜の木々に吊るされ夜はライトアップされるのだろう。

山手線沿いの桜並木の入口に「染井吉野の碑」がある。昭和48年に染井吉野が豊島区の木に指定され、昭和55年に近隣の人たちによってこの碑が建てられたそうだ。巣鴨・駒込はソメイヨシノの発祥の地だ。桜が見事に咲いているのもうなずける。

以前会社に通勤していた時、毎日山手線を池袋から西日暮里まで利用していた。当然巣鴨は毎日通る。桜の季節になると、列車から咲き誇る桜の花がよく見える。毎年1週間位は楽しませてもらっていった。そしてこの桜並木を列車の窓からでなく実際に見ることが出来たということは何か感慨深いものがある。仕事を辞めたから経験できる世界がある。好んで選択したわけではないが「がんになったということはそんなに悪いことではない」とも言えそうな気分だった。

巣鴨地蔵通り商店街

桜並木を大塚に向かい散策しながら、又中山道に戻ってきて、巣鴨地蔵通り商店街に向かう。この商店街通りが昔の中仙道だ。「お年寄りの竹下通り」と言われるように、衣類、雑貨、食料品店などは年寄り向けの品物で溢れかえっている。また煎餅や和菓子、団子屋なども古い店構えで軒を連ね多くの年寄りが品物を吟味しながら、買い物をしている。何時からこんなに賑わうことになったのだろう。平日の午前中だというのに、店によってはデパートのバーゲン売り場並みの人混みがあったりする。

眞性寺・江戸六地蔵
地蔵通り商店街の入り口にあるのが真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺だ。中仙道口にあり、中山道を旅する人は道中の無事を祈るため必ず参拝したという。この寺院に、江戸六地蔵の一つがある。1706年深川の僧侶・地蔵坊正元が15年掛けて青銅の坐像を街道口6ケ所に作った。

地蔵は本堂の前にあり、高さ2m68cm、蓮花台を含めると3m45cmの大きなものである。真性寺の地蔵尊は東京都指定有形文化財で、造立年代順第4番目、巡拝順第3番目である。あとの五体とは、東海道・品川寺、奥州街道・東禅寺、甲州街道・太宗寺、水戸街道・霊巌寺、千葉街道・永代寺(現存せず)である。

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 眞生寺本堂と江戸六地蔵尊 (参拝客の線香であたり一面煙っている。) 

高岩寺・とげぬき地蔵尊
巣鴨地蔵通り商店街の中央にあるのがとげぬき地蔵だ。曹洞宗萬頂山高岩寺は、約400年前(慶長元年=1596年)江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移り、明治24年現在地に移転した。霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵尊が安置されている。

境内には土産物屋が並び、お札や厄除け、お団子など売っている。本堂前の広場には椅子が並べられ、多くのお年寄りが休憩している。病気の回復を祈りからだの悪い所を洗う「洗い観音」もあって、50~60人が列を作って洗い観音の順番を待っている。長年に渡ってタワシで洗っていた聖観世音菩薩の顔などもしだいにすりへってきたので、平成4年11月27日、この仏像は隠退し、新しい聖観世音菩薩を開眼し、同時にタワシを廃止し布で洗うことにしたという。

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 高石寺本堂                         洗い観音

巣鴨庚申塚
江戸時代中山道の立場(宿場町と宿場町との距離が長い箇所の途中や、峠といった難所に、休憩施設として設けられたもので、茶屋や売店が設けられていた)として栄え、板橋宿に入る前の旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていた。江戸名所図会ではそれらの様子がにぎやかに描かれている。

ここは中山道板橋の宿場にも近く、右に向かえば花の名所「飛鳥山」、紅葉の王子にでる王子道の道しるべを兼ねた庚申塔が建っていた。

現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀している。猿田彦大神とは日本神話に登場する神様で、天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視された。

種子屋(たねや)
江戸時代から巣鴨⇔滝野川の中山道沿いには、野菜の種を商う種子屋が軒を連ねていた。幕末に滝野川から分家した榎本家がここに店を構え種子屋を営んでいた。現在も昔の面影を残している。

千川上水公園
旧中仙道を庚申塚の駅の所で都電の線路を突っ切り、さらに5分ばかり歩くと明治通りにぶつかる。それを左の曲がるとすぐ千川上水公園である。何の変哲もない面白みもない公園で、ブランコが一つあるぐらいだ。公園の真ん中辺に六義園給水用沈殿池と表示された囲いがひとつあり中に水門のバルブがある。

公園の入り口には千川上水の由来が記されている。徳川家康が江戸に幕府を開いた当初(1603年)は、江戸府内の飲料水は神田上水といくつかの溜池からの給水でまかなえていた。しかし開幕後、江戸の人口と府域は急膨張を続け、1700年代には世界有数の巨大都市に発展する。幕府は膨張し続ける人口と拡大する府域への新たな給水に迫られ、次々と人工の水路(上水)を開設していく。

「江戸六上水」の一つである千川上水は、現在の西東京市新町から玉川上水の水を分水し、豊島区西巣鴨の「千川上水公園」内「六義園給水用千川上水沈殿池」まで「五里五拾四町」(約22.3㎞)を開さくして設けた人工の水路である。ここから中山道の地下を木樋(もくひ)で江戸の中心まで給水していた。(練馬区ホームページ・練馬の歴史と文化財)

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