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豊島区散歩-9 花香る町散策コース

4月2日(水)
午後から病院での定期外来診療だった。病院に行く時に、ついでに行こうと思っていた散策コースに午前中出掛けることにした。豊島区観光案内の「桜・つつじの花香る町散策コース」、江戸時代から園芸の地である駒込周辺を巡り花を楽しみながら歴史を探るコースである。病院に行く都合上、観光案内の散策コースとは逆回りをした。

巣鴨駅→染井霊園→専修院→十二地蔵→染井稲荷神社→再福寺→妙義神社→大国神社→染井吉野記念公園→駒込駅

染井霊園
巣鴨駅から白山通りを下り、巣鴨信用金庫の建物から少し行った何の表示もない路地を適当に入ると、染井霊園にぶつかる。そこが裏口となっている。霊園にはソメイヨシノが100本以上あり、お花見を目的に来る人も多い。東京都公園協会ホームページ『公園へ行こう』にも花見の名所として紹介されている。

染井霊園は明治5年に雑司ケ谷霊園、青山霊園とともに開設された公営の共同墓地で、元は建部内匠頭の下屋敷跡ということだ。染井の地名が示すようにさすがに桜の名所だ。墓地の至る所に桜の古木が立ち並び、日曜日以降の雨や強風にも耐えいまだ満開の花を咲かせている。墓地の西側の桜並木は枝ぶりも良く壮大な感じがした。昔は谷戸川源泉の長池があったそうだ。

高村光雲、光太郎、智惠子の墓と二葉亭四迷の墓は、案内表示があり気がついたが、岡倉天心や水原秋桜子など多くの著名人の墓もあったらしい。二葉亭四迷(長谷川辰之助)の墓の案内表示がロシア文学関係団体だったので以外と思ったが、彼がツルゲーネフの「あひびき」「めぐりあひ」の翻訳などロシア文学を翻訳しその普及に努めていたことを思い出し納得がいった。霊園の正面入り口周辺も桜の花が連なって明るい雰囲気をかもし出している。霊園というより花見の場所といったイメージだ。(写真 染井霊園のソメイヨシノ)

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専修院 (正業山 迎接寺 浄土宗)
染井霊園に隣接して専修院がある。植木屋伊藤伊兵衛の屋敷跡として知られている。3代目の三之丞は、つつじの栽培に力を注ぎ、染井のつつじは江戸の名所として有名になった。この地を中心に染井村は園芸の里として賑わったと言われている。

十二地蔵
専修院のすぐ傍に十二地蔵のレリーフがある。何故十二体なのかの言われは定かではない。この石版の上に描かれているのは、火や煙の絵で、享保15年の大火による犠牲者の冥福を祈るために建てられたものである。

染井稲荷神社
霊園の正面入り口から染井通りを駅に向かって3,4分歩き、神社に向かうが、一本手前の道に間違って入った。そこは車両進入禁止区間があるほど道は狭く、くねくねと曲がり、坂の上り下りがあり、地図にも表示されていない細い道だった。大体の方角で神社方面に向かった。坂を上がった所で突然明るくなった。桜に囲まれた場所があった。そこが染井稲荷神社だった。四方を桜に囲まれ、桜にピンクの提灯が張り巡らされている。ここはお花見の場所となっているのか。神社の境内で飲めや歌えというわけにはいかないだろう。しかし雰囲気は完全にお花見のシチュエーションだ。地蔵菩薩があり、その足元に15,6体の20cm位にキューピーのような顔をした子供のお地蔵様が並べられていた。

西福寺 (藤林山 新義真言宗)
染井稲荷神社と並んで西福寺がある。江戸時代は染井神社の別当だった。ここもまた桜で囲まれていた。山門の右手に六地蔵があり、区内最古のものだと言われている。寺院の案内には次のようある。「区内の植木職人の菩提寺として有名。八代将軍徳川吉宗に気に入られた、江戸城内の庭師も勤めていた植木屋、伊藤家四代目・伊兵衛政武の墓があり、貴重な園芸書『地錦抄』も保管されている。」

妙義神社
西福寺を出ると左に駒込小学校があり、T字路になっていて、そこを左に曲がり染井坂を下る。しばらくいくと児童公園があり、その隣が妙義神社だった。そこも桜で囲まれている。寺院や神社を探すには桜の密集している所を目安に行けばいい。ここは区内最古の社で、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)である。太田道灌が足利成氏との合戦の際、ここに詣で勝利を収めたことから「勝ち戦の宮」と呼ばれているそうだ。

大国神社
駒込駅の改札口を出て信号を渡ればそこが大国神社だ。駒込駅は何度も乗降したことがあるがこの神社には全く気がつかなかった。天明3年に創建され、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。見ることはできなかったが木彫りの7つの大国神があるという。徳川家斉が鷹狩りの帰りにこの神社に立ち寄り、その後に11代将軍になったことから、「出世大国」や「日の出大国」とも呼ばれている。

染井吉野桜記念公園
駒込駅北口駅前広場が平成9年に開園された。「染井吉野発祥之里」の記念碑や、染井吉野桜の原種といわれる2種類の桜が植えてある。ここも今まであることに全く気付かず通り過ぎていた。ものが存在するということは認識することが必要だということだ。

丁度12時になった。病院に行く時間だ。バスで行こうと思った。駅前にバス停があったがそのバスは本郷通りを真っ直ぐ行くバスで病院前を通らない。病院前を通る小型バスのバス停を探したが見当たらなかったので、歩いていくことにした。

参考 : 染井吉野・染井村について
江戸における植木・花卉など栽培植物の歴史は、まず大名屋敷の庭園造園に始まり、庶民のための花の名所の開発、そして鉢植や花卉の一般への普及という形で進んだ。元禄綱吉の時代、こうした花文化の動脈となっていたのは中仙道と岩槻街道(現在の本郷通り)であった。この街道に挟まれた所に染井村があった。

駒込・巣鴨は、江戸中期から明治にかけて、花卉(かき)と植木の最大の産地でだった。この地域は、江戸の西北の近郊に位置し、日光御成道・中仙道に沿って町並が発達し、藤堂家下屋敷や柳沢吉保別邸(六義園・りくぎえん)などの大名屋敷もあった。これらの大名の庭園の手入れに農民が従事するうちに、しだいに植木屋化していったと考えられている。

ソメイヨシノは、江戸末期から明治初期にかけて染井村(駒込)の植木職人が、山桜の品種を改良して作ったといわれている。最初は<吉野>と呼ばれていたが吉野山の山桜と区別するために<ソメイヨシノ>となった。遺伝的には<オオシマザクラ>と<エドヒガンザクラ>の交雑種といわれている。また、桜だけではなく、ツツジや菊などの新種の開発なども盛んに行われた。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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