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『知られざる鬼才‐マリオ・ジャコメッリ展』

4月10日(木)
ジャコメッリ展に行く
マリオ・ジャコメッリの写真展に行って来た。『知られざる鬼才‐マリオ・ジャコメッリ展』と題して東京都写真美術館で開催していた。副題が「また見付かった、永遠が」とあり意味深い。写真美術館は恵比寿ガーデンプレイスの中にあるが初めて行く。ガーデンプレイスは昔仕事で三越に納品に行ったり、ガーデンホールで行われた展示会の設営に行ったりしたが、仕事が忙しく写真展を見る精神的余裕などはなかった。もっとも仕事が終わってビアガーデンでビールを飲んだりはしたが。

ガーデンプレースの中には麦酒記念館があり安価で色々な種類のビールを試飲させてくれる所もある。写真美術館の2階では、ジャコメッリ展が開催されていたが、3階では「シュールレアリズムと写真」〈痙攣する美〉をやっていて、両方に入ると割引になるということで両方のチケットを購入した。

マリオ・ジャコメッリ展に寄せて(写真展の案内より)
1950年代から写真を撮り始め2000年にその生涯を閉じたイタリアの写真家マリオ・ジャコメッリは、戦後の写真界を代表する写真家の一人です。イタリア北東部のセニガリアで生まれ、ほとんどの作品をその街で撮り続けたアマチュア写真家です。まとまった展覧会としては日本初となる本展では、「ホスピス」「スカンノ」「若き司祭たち」「大地」といった代表作のシリーズはもちろん、最晩年のシリーズまでも網羅し、強烈なハイ・コントラストで「死」と「生」に立ち向かい、孤高の写真表現で現実(リアル)を抽象した「ジャコメッリの世界」をご紹介いたします。

一地方に腰を据えた作風はイメージを素早く作り消費しようと待ちかまえる都会的趣向にそぐわない面がありました。じっくりと凝視を求める作風だと言えます。ジャコメッリの作品からは詩や絵画に近い語法を読み取られるかも知れません。そのように見えることもまた写真表現の持つ豊かさなのです。ぜひこの機会に我が国では「知られざる写真界の巨人」であり、「黒」と「白」とを見事に操り、内面に胚胎した思いを表現しつくしたジャコメッリの写真群をご鑑賞下さい。

ジャコメッリは何を表現しようとしているのか
2階の展示場に入ると平日の午前中ということもあって人が少なく静かな雰囲気がただよっていた。しかしそれはジャコメッリの写真が持つ静かさだったのだ。モノクロの映像が人の心の中に沈み込み、大地に沈み込みそこから言葉を発しているように時には激しく時には静かにそれぞれが自己主張を持ちながらメッセージを発しているのだ。「生」と「死」の狭間の中でもがき苦しみながらも生きるという行為の中で人としての尊厳を保ち続けている姿には心を打たれるものがある。

「スカンノ」「プーリア」「よき大地」など人々の生活の断面を描写し、その中で「時間」と「記憶」を浮かび上がらせていく。限りな続く日常性の連続の中で、それをありのまま受け入れていく人々の生活を被写体として定着させていくことを通して「永遠のいま」を実現させていこうとしている。

白と黒が生と死を意味するとも取ることができる。即ち全ての写真の中の人物、風景が生と死の共存と依存の関係の中に成立しているのだ。そういった緊張感が彼の写真中に存在している。「ルルド」と「ホスピス」の関係、生への願望と死への願望これは切り離せない表裏一体のものである。どちらも最後の生をどのように生きるかを模索しているのだ。

「今朝もね目が覚めちまったよ、昨夜も死ねなかった」ホスピスの老人が言った。ジャコメッリは言う「彼らを忘却の穴に押し込んでしまってはいけない。彼らの苦悩はもはや死ぬことでなく、悲惨な境遇にいることではないか。」こういった告発の意味を持ちながら写真を撮る。

「ホスピス」の中で彼はいい知れぬ孤独な生、人間は誰でも老い、そして死ぬというやがて来る宿命的結末を見つめながら、その現実を凝視し続けるのである。しかしその中に彼は死に行く者への畏敬の念を感じそれを映し出すのである。死を待つ老人たちの最後の曙光を写し出すのである。老人の顔の皺はまさに生の年輪であり、生の軌跡である。皺の一本一本の中に老人の全人生が刻み込まれているのである。老いも死も生と不可分な関係にあり、死があるからこそ生は輝きを増すのである。

「男、女、愛」という彼の作品は、若い男女の幸福の絶頂にある風景を映したものであり、確かに「ホスピス」と対極にある情景に見える。しかし「男、女、愛」の中に「ホスピス」は内在している。老いと死という宿命をはらみながら人は今という時間をいかに生きていくのかを問い続けていかなければならないこと、生と死の共存の中で生きていく以外ないということを彼の写真は訴えているのだ。

シリーズのコメント
ジャコメッリの写真はシリーズとして撮影されている。テーマを決め、その内容に沿って写真を撮っていく。展覧会場のシリーズ展示の冒頭に、その説明としてコメントが貼られ、写真撮影の背景や作者の想いについての紹介となっている。その幾つかを引用してみる。それは、ジャコメッリの写真の真意を知る手がかりとなると思う。

「ルルド」より
ひとに勧められてフランスの巡礼地ルルドへ出かけた。そこには世界中から奇跡を待つためにやって来た、座り込み動かぬ人々の群れ、行列する車椅子、動けぬひとを横たえる無数の簡易ベッド、制止する言葉の意味も届かない暴れ回る子どもたち、死を運命づけられたひとびとは何もあのホスピスに居る老人ばかりとは限らないことを悟る。「ホスピスでは誰もが死ぬことを願っているのに、ルルドでは誰もが生きることを願っている。」「死」と「生」がお互いに依存しつつ、共存していると確信した旅となった。

「ホスピス」(死が訪れて君の眼に取って変わるだろう)より
ルルドでジャコメッリは「死」と「老い」は不可分だと気付いた。「時間」と同伴せざるを得ない「生きること」は即ち「死そのもの」であり、「死」は即ち「生」なのだと。ホスピスへ戻り、心の指示通りにシャッターが押せるようになった。老いとは時間であり、時間と同伴せざるをえない「生きること」は即ち「死との共存」だ。その象徴が「皺」なのだとばかり、正面からのフラッシュは老人たちの皺を際立たせていく。

「風景」(自然について知っていること)より
01.jpg植物や農作物を育む大地もまた、生物同様「生」と「死」の問題を内包しているのではないかと思った。丘陵地帯の休耕地の農家に行き、トラクターで、彼の指示するような畝を描いてもらった。それは大地が内包した「老い」の、即ち「時間」の皺なのだ

「若き司祭たち」(私には自分の顔を愛撫する手が無い)より
セニガリアの修道院の窓から庭を見下していると、雪が降り出し見る見る白い世界を作っていった。若い司祭たちが雪を眺めようと三々五々建物の外へ出てきたので、ジャコメッリは雪玉を投げつけてみた。若い司祭たちはそれをきっかけに雪玉を投げ合ったり、走り出したり、ついには輪になって踊ったり、年令に相応しい遊びを始めた。彼らは、裾までの黒い揃いの司祭服を着て、白い世界で戯れ続けた。〈右写真)

「スカンノ」より
guide392.jpgローマの東、アブルッジ山塊のなかに中世がそのまま息づくような古邑、スカンノがある。伝統のまま男も女も黒い衣装を纏っている。石畳は強い陽射しを白く照り返し、家々の壁は漆喰で白く塗られている。黒と白のこの世界で村人たちは現在の「生」を営んでいる。教会を中心とした白と黒とで現出する光景は、ジャコメッリの眼にどう映じたか容易に想像できるだろう。この日常性の中にあるがままの生の真実が存在しているのだ。(左写真)

「この憶い出をきみに伝えん」より
セルフタイマーで撮られたこのシリーズはジャコメッリの遺作。死を覚悟して自身の人生を伝えるために、マスクをつけた人の背後や前面に、鳥を芸術的なもの詩的なものとして、犬を労働もしくは働いてきたことのメタファーとして配し、労働と芸術が彼の人生を支え続けたということを類推させている。夢の幾何学に従ったかのようにオブジェが空間に配され、彼自身も登場する。

「生」と「死」が綯い交ぜに出現する、あるいは同時併存するジャコメッリの世界はまたそれらの反復でもあった。「死」を象徴する「ホスピス」からジャコメッリの作品は始まり、彼の「死」で円環が閉じた。完全に構成されたこの作品によって、その円環はひとひねりされ、「生」でもあり「死」でもある彼の作品世界が、また大きな一つのメービウスの帯であることを示した

マリオ・ジャコメッリ展への特別寄稿
ジャコメッリの芸術は〈生の時〉と〈死の時〉をいま、いく度も静かに往還している。いつの間にか実時間を脱し、そうすることで〈とことわの時間〉を獲得したのである。すぐれてカラフルなモノクロームを表現しえたことで、万象の色彩をつとにこえた、魂の芸術である。(辺見庸/作家)

「いまを永遠に」「永遠をいまに」という写真家の願望を具現化した。時空を超越した写真がここにある。(細江英公/写真家)

フラッシュの光を無造作ともいえる手法で老人達に当て、このことで老人達の偽らざる死までの限られた時間を残酷な程明確に写しとめている。畑に描かれた幾何学模様を空撮で撮ったシリーズでは、この地平の模様は年齢に逆らえない深い皺を意味しているのだ。なんという強さで人間の、または自分自身の内面をえぐる作品だろうか。最も真摯に「生と死」を切り取った写真家の一人ではないだろうか。(ハービー・山口/写真家)

絶望や失望さえも美しく切り取ってしまう。『死』とは恐れだけではなく高潔な美しさも併せ持つのだと教えられた気がする。(福山雅治/アーティスト)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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