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豊島区散歩-11 大塚周辺コース

4月12日(土)
豊島区観光案内の12の散歩コースの10番目「阿波踊りの町、大塚周辺コース」に出掛けた。朝のラジオ体操以外運動をしていないので、歩くのが一番ということで豊島区散歩コースめぐりを開始した。有酸素運動によって、中性脂肪を減少させ、骨粗しょう症を予防することが出来る。そのためのウォーキングだ。ベルケイドの副作用である末梢神経障害による足の痺れと、それに伴い長時間歩くことが出来なかったが、今はベルケイドの影響が薄まり、ガバペンという痛みや痺れの薬によって、歩行に支障がなくなっている。

現在のサリドマイドのみの治療が効果をあげることが出来なければ化学療法との併用をせざるをえない。それに伴う副作用によって、今のように色々な所に出かけることが出来なくなる可能性がある。行ける限り行っておきたい。コースは下記のように回った。

大塚駅→菅原神社→東福寺→大塚三業通り→巣鴨教会→南大塚公園→南大塚桜並木通り→天祖神社→大塚台公園→大塚駅

菅原神社
大塚駅から線路沿いを巣鴨方面に向かいしばらく行くと、急に道が狭くなり車がやっと一台と通れるくらいの幅になる。その狭い道を2、3分行くと、サトザクラが濃いピンクの花を咲かせている。そこに大きな鳥居が聳え立っている。今の時期は花をつけてはいないが紅梅、白梅が花を咲かすという。この神社は1532年頃、この近辺一帯の地主・保坂家の祖先が、屋敷神として敷地内に建てたのが始まりと言われている。祭神は菅原道真で、子安天満宮の別名がある。

東福寺 観光山 真言宗豊山派
sotsuka.jpgもと来た道を戻りガードをくぐり曲がりくねった道を行くと、少し高くなった所に墓石が立ち並んでいる。寺院の正面に回ると急な石段があり、頑丈な手すりが付いている。確かに下る時には手すりを伝っていかないと不安になる。その石段を上がると山門があり、そこに鉄格子の門があり、大きな南京錠で施錠され中には入れない。

東福寺(右写真)は元禄4年に小石川大塚より移転された。明治37年に建てられた庚申塔には、「左巣鴨庚申塚、向巣鴨監獄、右大塚道」と刻まれ、道標にもなっていたと言われている。本尊は十一面観世音菩薩。本堂は鉄筋コンクリート。左に墓所。右は鉄筋コンクリート2階建の庫裏と会館がある。  

大塚三業通り
東福寺からプラタナス通りに出る手前に三業通りがある。コースとは逆になるが大塚方面に向かって歩いてみた。しかし観光案内に書いてあるような風景は一向に現れなかった。案内には「昭和初期には白木屋デパートがあり、大塚は都内でも屈指の繁華街として賑わっていました。その頃の大塚三業通りは、花街として繁栄。今も、名残りを思わせる小粋な料亭や小料理屋があります。」とあったが、飲み屋とか食堂とかはあったが、昔ながらの雰囲気などはなく小さな町工場や、事務所などが立ち並んでいるばかりであった。

巣鴨教会
プラタナス通りを千石方面に向かっていくと、大通りを20m位入った所に教会はある。大きな看板が立っている。この教会は、大正7年に数寄屋橋より移転。牧師の田村直臣(たむら なおみ)は、教育にも力を注ぎ、苦学生を援助する「自営館」を経営。翌年には、教会附属幼稚園の先駆ともいえる大正幼稚園を創設した。

自営館で少年時代を過した作曲家・山田耕作が、当時の淋しい思いを詩人の北原白秋に語り、のちに完成した童謡が「からたちの花」。その碑が敷地の一角にある。

南大塚公園
公園の周辺はソメイヨシノに囲まれ、花の季節は去ってしまったが、巨木はさしずめ見事な花を咲かせていたのだろうと連想させるものであった。住宅地の中にあり、緑の木立が鮮やかな明るい公園で、入口には藤棚があり、懐かしい黄色い都電の車両(600型)も展示されている。鉄道好きには興味あるものだろう。

南大塚桜並木

プラタナス通りから、大塚2丁目、3丁目を経て都電の線路の所まで500m~600m位にわたって桜並木があった。こんな所にも桜並木があったのだ。わざわざ遠くまで行かなくても近くで桜を楽しめる所はいくらでもありそうだ。桜の花はもはや散り、緑の葉が芽吹いてきているのだが、まだ南大塚桜祭りの看板が立てられ、商店街が提供しているピンクの提灯が桜並木に張り巡らされていた。

天租神社
商店街の真ん中に神社はあった。喧騒の中に、木々に覆われた静寂の場所という感じだ。石段を登り、鳥居をくぐり境内に入って最初に気付くのが大銀杏だ。樹齢500年にもなる夫婦銀杏という。2本の銀杏の木は戦災にあって枯れたかと思われるほど長い間葉をつけなかったそうだ。それが最近になってやっと復活し、今見ているように青々とした葉を付けて来ているのだ。銀杏の生命力はかなりなものである。

この神社は、1321年頃、豊島郡の領主・豊島景村(としま かげむら)が、巣鴨村(今の豊島区のほぼ半分)の鎮守として伊勢神宮の分霊を勧請したのが始まりと言われている。祭神は天照大御神で、明治6年に天祖神社と名前が変わるまでは神明社・神明宮と呼ばれていた。

大塚台公園

広場は桜並木になっていて、サラリーマンやOLの昼休みの憩いの場となっているのだろう。公園はかなり広く、かつて北海道を走っていた、C58型のSLが展示されていたり、滝と水のすべり台を備えた浅い池もある。夏には小さな子供達の水遊びにとって絶好の場所となるのだろう。またキャッチボール場もあり、盛り沢山な公園だ。ここから大塚駅まで4、5分で着いた。駅の近くに公園があるのは、心にゆとりをもたらせてくれる助けになるのではないかと思う。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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