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天覧山から多峯主山-ハイキング

4月17日(木)
天覧山から多峯主山へ
特に何処に行こうということではなく天気が良かったので出掛けた。今日の夕方から明日、明後日と雨になるということで行っておこうと思った。西武線で飯能まで行った。駅で案内図でも探していく場所を決めようと思った。駅に「宮沢湖」の案内があった。天覧山から宮沢湖、高麗峠、巾着田、高麗駅というコースが書いてあった。

駅前にバスが止まっていた。そのバスは天覧山を通ると表示されてあった。奥武蔵野の山はあちこち登ったが、一番近い天覧山に行ったことがなかったので、行ってみようと思いバスに乗った。天覧山のバス停から5分ほどで天覧山の麓にあたる場所にある能任寺に着く。色々コース変更もあって、結局今回のハイキングのコースは以下のようになった。

飯能駅-バス-天覧山バス亭-能任寺-天覧山-多峯主山-高麗駅-巾着田-高麗駅

武陽山 能仁禅寺
s-tenranzan2.jpg一対の仁王像を配した大きな山門を通り、石段を上がるとさらに門がありそれをくぐると広い庭があり、本堂がその庭の奥にある。天覧山を背景として、広々とした境内は山の麓の寺院という落ち着きと静寂を感じさせている。庭の木々や背景の天覧山の木々は鮮やかな新緑で寺院を包んでいる。この寺院の案内には次のようにある。

「室町中期の文亀元年(1501年)に名僧斧屋文達により開かれた曹洞宗の名刹である。徳川家康の庇護のもと江戸中期の元禄から享保年間にかけては、七堂伽藍を備え、50人程の雲水をかかえる禅道場として栄えた。慶応4年(1868年)の飯能戦争(戊辰戦争)の本陣となり、宝物や古文書の多くを焼失してしまった。本堂北庭には市指定文化財の桃山時代の造園と推定されている名園「池泉鑑賞式蓬莱庭園」がある。」

天覧山
この寺院の裏手が天覧山の登山口だ。天覧山は、山麓にある能仁寺に愛宕権現を祀っていたので、もとは愛宕山と呼ばれた。それが時代を下り、徳川五代将軍綱吉の病気平癒のお礼に、生母桂昌院が十六羅漢の石仏を奉納したので、羅漢山と呼ばれるようになった。それが1883年(明治16年)に、山麓で行なわれた帝国陸軍大演習を明治天皇がこの山頂から統監したことにより、天覧山と呼ばれるようになった、と呼び名が3度も変わっている

ハイキングは病気になってからは一度も行った事はなかった。退院後の体力消耗が続き、副作用などで体力に自信が無かった。平地を歩く分には問題は無いが山登りは無理だと思っていた。一昨日3時間近く歩けたということもあって、また「この山は登山口から山頂まで、よく整備された登山道が通じており、わずか20分程で山頂に達することができ、このため、小学校の遠足や、子供連れの行楽で登れる山」と書いてあったので、どうにかなるだろうと思って上り始めた。

緩やかな坂を上りながら左右の景色を楽しむ。新緑の木々の間にミツバツツジとマメザクラが花を咲かせ春の気分を満喫させてくれる。天覧山中腹と書かれた所までは、舗装された緩やかな坂道だったが、そこからは本格的山道になる。山道に入ってすぐ十六羅漢がある。20数体の石仏が岩棚に無秩序に並んでいる。山頂付近は岩が剥き出しになっていて、かなりの急坂だ。しかし厳しい登りは3,4分で頂上に着く。

標高195メートルの低い山ではあるが、展望は良い。山頂からは南面に限り視界が得られる。眼下には飯能市街が広がり、遙か彼方には新宿の高層ビル群まで見える。奥多摩の山々の背後には富士山も望めるというが、実際にはもやっていて高層ビルや富士山は見えなかった。

多峯主山
天覧山の頂上から、高麗峠、巾着田を目指そうと思って山道を下っていった。巾着田は今菜の花が一面咲いて見頃だと書いてあり、行ってみたかった。しかしどこかで道を間違って多峯主山(とうのすやま)に向かっていた。途中義経の母・常盤御前にまつわる見返り坂、よし竹の伝説が残っている場所を通りながら山頂に向かう。山の名の由来は「多くの峰々の中の主」というもので、わずか271mの平凡な山容に何故このような名を付けたのだろう。

多峯主山山頂には、1765年(明和2年)築造の経塚があり、経文が書かれた約1万2干個の河原石が埋没されている。この山は雨乞の山でもあったようである。山頂直下に、どんな日照りでも涸れることのないという「雨乞の池」がある。昔はこの池の上手に闇淤加美神(水を司る神)が祀られていたらしい。また山頂直下には江戸時代の大名・黒田直邦(1666年~1735年)の墓がある。彼は50余年間将軍家に仕えた。その間、老中にまで出世し、上州沼田藩3万石の大名となった人物である。

多峯主山の頂上からの眺望は抜群だ。360度視界が開けている。東京方面が見えるというが、うす曇の天気で遠方は見えないが飯能市外や周辺の山々は完全に視界に入る。山頂には山桜やツツジが咲いて、公園のようにきちんと整備されている感じだ。

山頂から高麗駅方面に向かう道を下って行く。山道を15分位下ると武蔵台の住宅地の真ん中に着く。そこから駅までがかなりの距離だった。40分ばかりコンクリートの道を歩いてやっと高麗駅に着いた。そこを通り越して巾着田に向かう。

巾着田-菜の花畑
top-nanohana.jpg巾着田について観光案内には次のように書かれていた。「高麗川の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになった。 直径約500メートル、面積約17ヘクタールの川に囲まれた平地には、菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)群生地は辺り一面を真紅に染める。」

巾着田は2年前の秋、曼珠沙華を見に行ったことがある。その時はコスモスも咲いていて、広場には出店が立ち並び平日だったがかなりの人で賑わっていた。しかし今回は桜の季節も終わり、人はほとんどいなかった。桜は何本かは咲いていたが、ほとんどの桜は花を落としていた。最後の花びらを風が吹くたびにひらひらと舞い散らせていた。

その桜並木に囲まれて巾着田があり、そこには菜の花が黄色の海のように広がっている。その中に立ってみると黄色の洪水に流されそうになる位、圧倒的な迫力を持って色彩が迫ってくる。しかい一方で自然の懐に取り込まれたような安心感を覚える。

菜の花畑を囲む桜の木々のピンクと黄色の色彩が共鳴し合い絶妙な雰囲気をかもし出している。桜が満開の時はもっと鮮やかな黄色とピンクのコラボレーションが楽しめたろうが、桜かかなり散った今のほうが人出も少なく、ゆっくりと自然を楽しむにはいいのかもしれない。巾着田を囲む山々は新緑で彩られ、どちらかというと緑色というよりも白っぽく見える。木々が芽吹くとき最初は白っぽい芽を出す。それが山々の色彩を白く見せている。新しくすがすがしい感じだ。高麗川のせせらぎの音を聞きながら巾着田を後にする。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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