スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宮沢湖・高麗峠コース

4月24日(金)
宮沢湖・高麗峠ハイキングへ
この2、3日薬のせいかぐっすり寝てしまって、7時過ぎまで目が覚めない。ラジオ体操も行きそびれている。末梢神経障害の薬ガバペンは神経を麻痺させ痛みを和らげる作用があり、サリドマイドも副作用に傾眠作用というのがある。これで眠くなるのかもしれない。夜も22時頃には眠くなる。以前は6時には目が覚めていたのに、どうしたことだろう。

運動不足の解消のためハイキングに出掛けることにした。ハイキングコースがある所で一番近い飯能が便利だ。特急で池袋から40分で着く。宮沢湖畔を散策するのもいいだろう。余力があれば高麗峠から、奥武蔵自然歩道を通って高麗方面か飯能方面に降りていこうと思った。

飯能から宮沢湖までは3.2kmの距離で歩くと40分位かかるそうだが、バスで10分位だというのでバスで行くことにした。宮沢湖を通るバスは、イーグスバスといって、川越を拠点としているローカルバスだ。路線バスながら、宮沢湖方面には1時間に1本の割合だったが、運よく10分位待ってバスが来た。女性の運転手だった。最近はタクシーや大型トラックなどにも女性ドライバーが増えている。しかしまだバスの運転手は少ない。

宮沢湖コース〔1周約2.5km〕
飯能駅-宮沢湖バス停-宮沢湖畔(1周約1時間)-高麗峠-飯能市街-天覧山入り口のバス停-飯能駅


宮沢湖・湖畔
miya_ko_convert_20080425163330.jpg宮沢湖は昭和16年に灌漑用の貯水のために出来た人造湖で、西側に隣接してゴルフ場(武蔵丘CC)がある。ボート遊び・遊技施設などがあり、また湖の周りは自転車や徒歩でまわれる。湖のへりでは釣り人たちが糸を垂れている。へらぶな釣りの漁場として知られている。

宮沢湖のバス停から5分くらいで湖畔に着く。そこから湖畔遊歩道が湖を一周している。平日の午前中ということもあって人はほとんどいない。湖には30~40艘ほどのボートが全く動くこともなく浮いている。釣舟だ。湖畔から釣っている人は全くおらず皆舟から釣りをしている。

湖畔を回り始めた。新緑がまぶしいほど鮮やかだ。八重桜が丁度満開だった。木々に覆われた湖畔の道を誰とも会わず散策する。所々に菜の花が咲いている。山つつじも朱色の鮮やかな花を咲かせている。この色彩が新緑の緑によく映えている。円堤には芝桜がピンクと白の花を咲かせている。全ての遊覧施設が休止している。休日だけ開くのだろう。遊園地などもあるので休日には家族ずれで賑わうのだろう。そういった施設がやっていないとかえって、がらんとした感じで静けさを誘うものである。45分位で湖を一周した。

高麗峠へ
途中高麗峠に行く分かれ道があった。そこまで戻って、高麗峠に向かう。途中から登山道は武蔵丘ゴルフ場と、新武蔵丘ゴルフ場の間を進むことになる。玉よけにネットのフェンスやトンネルが至る所にある。鳥かごの中を歩いているようなものだ。所々ゴルフ場が垣間見られる。確かにコースをそれたゴルフボールが頭に直撃でもしたら大変なことになるが、自然の景観が台無しになってしまう。

坂の上がり下りはほとんど無く、散策にはもってこいのコースだ。体力的にまだ回復していないのか、上り坂はかなりきつい。すぐ息が切れてしまう。心肺機能がまだ十分でないのだろう。下りは全く問題ない。誰にも遭わず新緑の山道を森林浴を楽しみ、ゆったりとした気分で自然の恵みを感じ取りながら一歩一歩大地を踏みしめていく。山の木を見てみると枝や葉ははるか上空にある。それまでは10数メートル全く枝の無い幹がスット伸びているのだ。木々が密集しているため太陽の光を取るためにそういった形になったのだろう。

高麗峠から
20分くらいで高麗峠に着いた。峠には「高麗峠」という標識が立っており、ベンチが2つ置かれていた。周りは木々に囲まれていた。標高は177mであり、宮沢湖からほとんど上っていない。

高麗峠から飯能方面に向かって行く。「奥武蔵自然歩道」と名づけられているだけあって、木々には木の名を記した札が掛けられていて、道も整備され歩きやすい、なだらかな下りを20分ばかり行くと、「自然歩道入り口」の標識があり、そこから飯能市の住宅街に入る。コンクリートの道を10分ばかり歩き、天覧山入り口のバス停に着く。そこから10分で飯能駅だ。今日は約2時間歩いたことになる。ウォーキングとしては適当な時間だろう。

参考:高麗の由来
高麗本郷は、昔、高麗郷と呼ばれていた。続日本紀によれば朝鮮半島の戦乱では、唐と新羅の連合軍のよって滅亡した北方の騎馬民族出身の高句麗の人々が日本へ渡来した。朝廷では、日本国内の各地に分散して居住し始めた事を危惧し、奈良時代の霊亀2年(716)に、駿河、甲斐、相模など7カ国の高麗人1799人を、都から遠く離れた未開の地武蔵国に移し、同国に高麗郡を設置し、高麗郷=高麗本郷はその中心地であったとされている。高麗峠はその高麗本郷と飯能を結んでいた。 

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

最近の記事
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。