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都立庭園-3 浜離宮恩賜庭園

10月22日(月)
駆け込みで何をしたかというと24日、明後日入院ということで40日間外に出られないので、最後に都立庭園で行ってない浜離宮と芝離宮に行ってみることにした。大江戸線の落合南長崎から汐留まで一本で行けるというのが便利だ。汐留駅から地上に出て驚いた。新橋など何十年ぶりに来たのだろう。すっかり変わってしまった。新橋のイメージは赤提灯の飲み屋街なのだ。それが高層ビルの乱立する近代都市へといつの間にか豹変してしまった。

「JR新橋駅すぐ近くの『旧国鉄汐留貨物駅跡地』を利用した都内最大規模の再開発都市『汐留シオサイト』。日本テレビ本社ビルをはじめ、レストラン、ショップ、シティホテルなどの高層ビル13棟やイタリアをイメージした街などが建ち並び、各施設が地下通路とデッキでつながる、快適で便利な新しい街が2006年に完成した。」ということらしい。

この真っ只中に浜離宮がある。中は日本庭園がよく手入れされており、木々の剪定も見事で、庭園として見応えのあるものだった。周りが海で海水の掘りに囲まれている。昔ながらの庭園は今は高層ビルの谷間にある。ニューヨークのセントラルパークに入ったことはないが、そういったイメージだ。庭の写真を撮ろうとすると必ず高層ビルが背景として写っている。幾つかの庭園では背景のビルが景観を壊していることがあるが、ここではむしろ高層ビルが日本庭園をかえって落ちついたものに仕上げている。

浜離宮:
潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。現在、実際に海水が出入りしているのはここだけです。浜離宮は、この潮入りの池や池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別されます。

この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重。以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。(「公園に行こう」より)

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浜離宮で1時間30分ばかり歩いた。体力的には丁度いいので次をどうしようかと思ったが、中の御門という出口があってそこからだと最初に入った大手門橋より芝離宮に近いのでそこを出て浜松町方面に向かった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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