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人は何故生きるのかについて

5月29日(木)
「いのちの授業」事前アンケート
血液患者コミュニティ「ももの木」では、活動の一環として「いのちの授業」を行っている。この授業の前に生徒たちが命についてどう考えているか、授業内容に反映していこうと事前アンケートをとっている。その中で「いのちの授業」の講師への質問があれば書いてほしいという項目があった。ある学校の生徒の質問の内容に驚いた。それは次のように書かれていた。

「何で人は生きているんだろう、どうせ死ぬんだから・・と考えることがあります。私は希望を持ち、協力し、笑いあい、泣きあい、喜びあい・・様々な感情の中で自分たちが明るい未来をどうやって残し、生きがいを探せるか、そして子孫を残せるかに意味があるような気がします。でもまだ分かりません。何で人が生きるのか分かりますか?」

何故生きるのか
「人は何故生きるのか」という根源的な疑問は、多くの思想家、哲学者、全ての人が模索し、悩み、苦しみながら考え続け、結論など簡単に出ない問いなのだ。この生徒は自分なりに考え抜きそれなりの答えを出している。その内容は付け加えることがないほど本質的だ。

「未来をどうやって残し、生きがいを探せるか」この答えの中にどれ程大きな意味が含まれているか、彼女は気がつかないかもしれないが、地球環境の問題や食料の問題まで含んだものであり、人類の共存の問題、戦争の否定を通して、地球の未来を守るということの重大さを指摘しているのだ。そのような中で生きがいを探していくという発想法は、多くの人たちが失ってしまった感性だと思う。金や名誉や地位のために生きるという世俗的欲求は至る所に転がっている。しかしそうではない生き方を模索しているという所に新鮮な感動を覚える。

そしてさらに突っ込んだ答えを要求している。今の小学校6年生はこんなことまで考えているのかと思って驚き、そして、どのような答えが可能か悩んでしまった。何故生きるのかは全ての人にとって全く異なる。100人いれば100通りの答えがあるだろう。何を生きがいとするのか。彼女の質問への答えは出せない。ただ、自分の個人的利害ではなく、人々のため、弱者や、圧政に苦しむ人のため闘い抜いた人たちの言葉の中にその答えの片鱗があるような気がする。全く無関係な2人の言葉を引用して、「何故生きるのか」を考えるヒントにしたい。

チェ・ゲバラ
「僕は新しい戦場に旅立つ。帝国主義があるところならどこでも戦うためにだ。永遠の勝利まで。革命か、死か」
「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者と言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、“その通りだ!”と」
(チェ・ゲバラ)

ゲバラは、“圧制者からの解放”を目指し、貧困と搾取に苦しむ新たな国へ、再び一人のゲリラとして向かった。国家の要人という地位を投げ捨て、再び過酷なゲリラ生活に帰っていった。

雲井龍雄
kumoi.jpg自分は、死ぬに際して死をおそれない
まして意味も無く生きながらえようとも思わない
男子の大儀というものは
太陽の輝きにも負けぬくらい輝かしいものである
もし自分が信じている道が正しいのであれば
釜茹でになってしまってもかまわない
とるに足らないこの身ではあるが
わが心は万里の長城となりこの国の行く先を守るであろう。

この詩は幕末に活躍した憂国の志士、情熱の詩人として短い人生を駆け抜けた雲井龍雄が、処刑前に書き記したものである。欧米模倣路線の薩摩・長州の明治政府に不満を持つ人々を集め組織した。このため内乱罪で逮捕され明治3年12月28日27才で処刑された。(日本漢詩選・詩詞の世界・辞世より)

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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雲井さんの言葉いいですね~

わが心は万里の長城となりこの国の行く先を守るであろう

ここがかっこいいです
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yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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