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余命3ケ月で百科辞典を買う

6月16日(月)
 しばらく前、何かの雑誌で読んだのだが、探してもどこに書いてあったか分からない。恐らく、昭和初期の頃の話だろう。ある作家が、馴染みの本屋に本を買いに来た。店主はその作家をよく知っていて、彼がガンで余命3ケ月位しかないということまで知っていた。

 店主はまず「お加減はいかがですか」ととりあえず聞く。
「いやもうそれほど長くは生きられない。」と作家は応える。
「ところで今日は、百科辞典を買いに来た。エンサイクロペディア・ブリタニカは置いてないだろうか。」と聞いて来た。店主のいぶかしげな顔を見て、作家は応える。
「何故死期を目前にして百科事典など買うか。不思議に思うだろう。色々なことに疑問を残したままあの世に旅立ちたくないのだ。」店主は納得した様子は見せなかったが応える。
「ブリタニカは、あいにく店には置いていないので取り寄せになります。」
「それを待つ時間は残されていない。今あるのは何だろう。」
「センチュリー百科辞典ならあります。」
「じゃ、それをもらおう。」
「明日にでもお届けします。」と店主。

 作家は大金を置いて帰っていった。死を目前にして百科事典を買い、読み漁ろうとする激しい知識欲に驚かされる。余命3ケ月と宣告されたら人は何をするだろうか。何をしたいと思うだろうか。

『最高の人生の見つけ方』という映画の中では、パラシュートで降下したり、自動車レースをやったり、世界各国を回ったり、エベレストに行ったり、今までやりたいとは思っていても、家族がいたり、時間がなかったり、金がなかったりして出来なかったことをやりたいと思うのが一般的だろう。だからあの映画は多くの人の願望とリンクし共感を生むのだ。

 余命3ケ月の時期に、百科辞典を大枚はたいて買うというのは、確かに特殊だと思えるかもしれない。しかしそれは「死」をどう捕らえるかによるのだろう。「死」を自己実現の成果として捕らえようするならば、自らの欠落した部分を補い自己を完成に近づけようとするだろう。そして、それを目指してきた人にとっては最後まで知の探求を目指すのは当然の行為だと思う。

余命宣告された人が、限られた時間をどのように使うか、この方法は千差万別であるし、個々人の今までの生き方の反映だろう。しかし、いざ余命宣告された場合、日々どのように過ごしていくかの答えを見出すのはきわめて難しい。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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