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千葉敦子 『死への準備日記』

6月29日(日)
b6ca_convert_20100614233353.jpg 「・・・ガンはなかなかよい病気だ。患者本人はもちろんのこと、家族や友人にとっても、別れの時のための準備が出来るからだ。心臓病とか、事故で死ぬのとは違って、患者は徐々に弱っていくから、本人にとっても、周囲にとっても、死の受容が比較的自然に行なわれるのではないかと思う。」

この文は千葉敦子さんの『死への準備日記』に書かれていた。この本の題名もすごい。死への準備をどのようにするのかと思ってしまう。死期を知り、それまでの時間どうやって過ごしていったのかについて書かれている。

抗がん剤の副作用で、強烈な吐き気や倦怠感の中で仕事をあくまでもやり続ける、そのエネルギーは驚嘆に値するが、むしろ彼女のポテンシャリティの強さがそれを強制してもいるようだ。

本の紹介に書いてあった「迫り来る運命にも目をそらすことなく、一層強靭に自らを燃焼させ続けた姿は“生きる”事の意味を深く問いかける」。しかしこの紹介は全くこの本の意図を理解していない。がん患者の闘病記一般に対するお決まりの解説だ。彼女はいう。

「死を見つめるより、死ぬまでをどう生きるかのほうに感心がある。・・・困難に出合ったとき、それを今こそ自分が成長する機会なのだととらえなかったら、何年生きたって人間は成長しないではないか」仕事は彼女の本能のようなもので、ことさらがんばったわけでも自らを燃焼しようとしていたわけでもない。

 日本では「病気の時はゆっくり休みなさい」とまわりから言われる。アメリカでは医者も含めて、体調さえ許せば仕事をするのは当然と言う風潮がある。「病気の時仕事を奪われるのが一番辛い」「死について考えろと強制しないでほしい、私は生涯観察者でありレポーターなのだ。死に近づいていく自分を観察し正確にレポートする事が自分の仕事だ」と言っている。まして生きる意味など語りようがない。

確かにエネルギーのレベルの高い人と低い人がいる。彼女は治療による副作用がどんなに辛くても、治癒を信じて治療を継続した。そういった意味で、決して「死への準備日記」ではない。「どう生きてきたかということがどう死ねるかを決定する」と彼女は言う。死への記録ではなく生の記録なのだ。

副作用で苦しんでも、2,3ケ月しか寿命を延ばせないのだったら、抗がん剤治療を辞め安らかな死を迎えたいという人もいる。そういう人が日記を書けば死への準備日記となるだろうが、彼女は絶対助かる、腫瘍は抗がん剤の影響で縮小していると信じて治療を続けていた。あくまでも生き続けたいという思いがひしひしと伝わってくる。47歳という精神的に最も充実した時に死を迎えなければならないということに絶対に納得できなかった。

 以前、病院にいた時に、若い人がガンに罹って入院してくるのを見るのはとても辛かった。まだやりたいこと、やり残したこと、経験したいことが一杯残っているのにそれを経験せず死んでしまうかもしれないと思うと、その若者の人生を奪ってしまうかもしれない何と残酷な病気だろうと思った。

自分がガンに罹ったということはあまりショックではなかったが、これも運命だろうとあきらめに似た気持ちだったが、人のことになると、むしろ気の毒でいたたまれない気分だった。

昔から70,80の歳まで生きることにむしろ恐れを感じていたほどだ。何かを達成しようというエネルギーを失った状態で、ただ命を永らえていくということに耐えられない気がしていた。恐らく今の病気での残りの生存期間は2,3年という所だろう。その位で丁度いいという気がすることがある。

だから末期の状態で、副作用で苦しんでまでも寿命が確実に伸びるわけでもない治療を選択することはないと思う。いざそうなったらどういう心境になるかわからないが。そういった意味で冒頭の彼女の言葉は死への準備期間としての現状を意識させるものであった。別れの準備ということでなく、人生を締めくくるにどうしたらいいかを考える時間を与えられたということだ。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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「自己で死ぬ」は「事故で死ぬ」でしょうか。
一瞬,自殺のこと?と考えました。
しかし,世の中には,すごいひとがいるものです。とても,足元にも及ばないです。

誤字の指摘有難うございます。読んでもらっている人がいるという事が分かると書きがいが出てくるものです。千葉さんの生き方は、彼女の性格上ああいった生き方しか出来なくて大変だなと思います。何時も何かに追われているように前進し続けていくああいったエネルギッシュな生き方は,私には向いていないと思います。彼女の行動を読んでいるだけで疲れてしまう。むしろ、静かに、穏やかに余生を送るほうが性に合っている気がします。これは生まれつきのエネルギーのレベルの差なのでしょう。どちらがいいとは言えないと思います。

ご無沙汰しております

yosimine さん。こんばんは。

週に何度も寄らせては頂いてますが、見るだけでコメントせずに申し訳ないです。
私は、この病気になってから「死」について考えたことは無いのですが、将来についての不安は考えたことがあります。
しかし、なるべく現実の目の前のことについてしか考えないことにしています。休職中は色々考えましたが・・・
最近は自分が楽天家なのか不安症なのかよくわからなくなって来ました。
「現実に対応する」これでしばらくやっていくことにします。

よたをさんへ

私は大学で哲学を学んでいたということもあって、生とか死とかについて色々考える性格なのであって、この病気になって、その傾向が強くなったというだけのことで、あくまでも思考のレベルでの考察といった点がかなり強いものです。だから死とかいっても自分のなかでは、必ずしも実感しているわけではなく、不安や畏れはほとんどないといっていいでしょう。その限りではかなり楽天的な面のあるのです。私も実生活では「現実に対応する」というやり方で日々生きていると言っていいでしょう。考えてどうにかなるものなら考えるが、どうにもならないものには思考を停止するに限ります。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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