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キーツ 『煌く星よ』

6月30日(月)
200px-John_Keats.jpg『瞬く星よ』
 煌く星よ、わたしは汝のように不動でありたい―
  だがひとり燦然として夜空の上に懸り
 永遠に瞼を開いて・・・
 新雪の柔らかい表を眺めるのにあらず―
 いや―そうではなくていつも不動で、変わることなく、
  わが愛する人のふくらみ熟する胸に枕して・・・
 常に、常にかの人の優しい息使いを聞き、
 そして常に生きたい―さもなくば、昏倒して死にたいものを。


このキーツの詩の最終稿は1820年10月親友の画家セヴァンが付き添ってマライア・グローサー号という帆船でローマに向かう途中、ドーセットシャー沖に停泊したとき、シェークスピアの詩集の中の空白に書きとめてあったの浄書して渡したものである。

キーツは1820年2月に喀血し、彼の健康を考え周囲の友人たちはでのイタリアの保養を勧めた。理由の一つには恋人ファニー・ブローンへの異常な思慕に身をさいなまれているキーツを一時彼女から遠ざけた方がよいという友人たちの配慮もあった。

11月にローマに着き、落ち着いたが12月になると発熱に苦しみ自殺を考えるほどだった。そして翌年2月死去した。『煌く星よ』は死を間近に感じながら書いた、最後のソネットとなった。

死の間際で人はなにを求めるのか。この詩の中には、恋人への限りない思慕が満ち溢れていながら、あまりにも切なく、辛い心情が書かれている。彼はまだ25歳だった。詩の中で自らを昇華し、解放することによって、彼は死への恐怖と対峙したのだろう。イタリア行きに関しても、ファニーとの別離を非常に恐れていた。しかし病の進行は彼にイタリア行きを決意させた。だからこそ、ファニーへの愛は募るばかりだった。それがこの詩の中に鮮明に現れている。

北極星のように不動でありたい。しかしそれは、夜空に大地や、荒野、山々をじっと見つめるということではない。愛する人と一緒にいるということを不動のものとして貫いていきたいということなのだ。人生の最後に、死を間近にして人は何を望むのか。キーツは、その一つの形を表現している。イギリスロマン主義の集約とも言える真髄がこの詩の中に表現されている。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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キーツ最高です。

「生きる」っていうことをすごく繊細に表現していると思います
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yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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