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授業原稿・子供向け案

7月8日(火)
「いのちの授業」での講演がいよいよ回ってきた。9月に江戸川区の小学校の授業で話をしなければならない。大人ならいいが子ども相手は避けてきたが、やむをえない。まだ時間があるので幾つかの試作を書いてみる。その一回目。

自分が唯一無二な存在であること
ここに一冊の本が有ります。この本を書店であなたが手に取りそれを買うとします。その本があなたの手に渡るのにどれだけの人手が必要でどのような工程があるのか考えてみた事がありますか。さらにそれがあなたの手に入ることの確率を考えると、その偶然さに驚くことでしょう。

物ですらそうです。まして一人の人間が、ここに存在することの偶然さ。父親と母親との出会い。そもそも人類が誕生しこととの奇跡的な出来事。こういった過程の中で何百億分の一の確立であなた方一人ひとりが存在しているのです。絶対的単独性。自己の存在の偶然性。2度と同じものは存在しない。こういった自分の存在を自覚して貰いたい。

自分を嫌いだと思っている人、好きだと思っている人。確かに誰でも変身願望はある。しかし自分はこの世の中に一つしかない貴重な存在だと考える時、結局自分が一番いい。どんなに不完全でも、迷いに満ちていても。今存在するとそのこと自体に意味がある。存在そのものに価値があるのです。

何故勉強するのか
何のための勉強か、それは決して、高校受験や大学受験のためではない。唯一者としての自分の生きる道を見つけるためだ。受験はそのための手段でしかない。高学歴といって大企業に入ってもそこで得る安定賃金の変わりに、自分の確信を持っていなければ、企業に魂と肉体を売り渡すことになる。

確かに一方、派遣労働者になれば、何時首を切られるか不安な日々をおくらざるを得ない。正社員、非正規社員いずれにしても今の社会は生きづらい。日本では年3万人以上の自殺者がいます。一方で生きたくても病によって死んでいく人もいます。

こういった矛盾に満ちた世の中をどうやって生きていくのか、それを探すための勉強なのです。

挑戦し続けること
何かになりたい、何かを実現したい、そういった願望があるからこそ、挫折も苦悩も体験します。それが実現しないこともあります。しかし重要なのはそれを求める過程のです。そのなかで人は多くものを学び人間的に成長していく。願望がなければ苦悩もなくしかしそこには喜びもありません。

高尾山に登ったことがある人は多いでしょう。ロープーウェイやリフトで途中まで行って、舗装された道を登っても頂上に着いた時の感動はあまりないでしょう。

私は以前南アルプスに北岳という日本で2番目に高い山に登ったことがあります。広河原というバス停から真っ直ぐ急坂を登って行くのです。7時間くらいかけてやっとたどり着いた時の気持ちはなんともいえない感動を与えてくれます。挑戦を恐れてはいけない。困難が大きければそれだけ感動も大きいのです。唯一者として、外の人と違った自分を見つけ出すその挑戦が生きる原動力となるのです。人生とは唯一者としての自分探しの旅だといっていいでしょう。

死と対峙して
私はガンで余命を宣告されています。恐らく後2,3年で死ぬことになるでしょう。20歳位の人がそういうと皆びっくりするでしょう。しかしこの年齢になるとどの道あと10年位の命が少し早まった位にしか思わないでしょう。しかし、病気になったことで人生について今までと違った捕らえ方をするようになりました。

世の中では多くの場合、仕事でしか人を見られない。どんな会社に勤めているか、どんな学歴か、しかし人の価値はそんな所にあるのではない。病人になれば誰でも同じなのだ。死と向かい合って初めて自分を見つめる事が出来る。自分の本当にやりたい事が見えてくる。

ツールーズフランスの7年連続優勝者ランス・アームストロングは次のように言いました。「断言していい、ガンは僕の人生に起こった最良のことだ。」死と向かい合ってはじめて、彼は気づくことができたのです。周囲の人たちの優しさに、人を愛すること。そして、生命の素晴らしさに。仕事でしかなかった自転車は、限りある生命を燃やす「生きがい」へと変わっていきました。

いかに生きるべきか

私は後2,3年しか生きられない。全ての人はやがては死ぬことになる。今から死について考えている人はいないかもしれない。しかしどのように生きていくかを考えることはあるでしょう。ある小学校でのアンケートに次のように書かれていた。「何で人は生きているんだろう、どうせ死ぬんだから・・と考えることがあります。私は希望を持ち、協力し、笑いあい、泣きあい、喜びあい・・様々な感情の中で自分たちが明るい未来をどうやって残し、生きがいを探せるか、そして子孫を残せるかに意味があるような気がします。」

「人は何で生きているのか」この問いはあまりにも難しい。しかし、皆この回答を求めて生きている。答えを求めるため生きている。命が限られているということを知ることは、嫌が応でも今をいかに生きていくかを問うことになるのです。死を知れば悔いのない人生を送りたいと思うのです。漫然と生きてきた自分の生き方を見つめ直す事になります。

死があるからこそ生の輝きを見出すことが出来るのでしょう。そういった意味で、命を語ることは、死を見つめることであり、そのことを通して生の意味を再認識することだと思います。

「死」について思いを馳せる時、あたりまえのようにそこにあった自分の生が再び鮮やかによみがえってきて、それがとても尊いものであることに気づかせてくれます。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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