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沖縄旅行・6日目・古座間味ビーチ

7月15日
古座間味ビーチ
10時間位たっぷり寝て目が覚めた。Y氏は4時頃起きてチシ展望台を探しながら散歩していたそうだ。結局見付からなかったらしいが。9時に古座間味ビーチまで送ってもらって、13時30分に迎えに来て貰う事にした。

沖縄座間味038 古座間味ビーチ

古座間味ビーチの入口にはログハウス風の売店件食堂があり、そこを突っ切るとテラスがあり、そこからは浜が一望できる。その横の階段を下りると浜に出る。ビーチパラソルが1000円、ビーチチェアーが1000円という値段で貸し出している。浜には空色と白、黄色と白のパラソルが等間隔に整然と並べられている。浜の端の岩陰が丁度いい日陰になっているのでそこにシートを敷いて陣取る。

今はしてないが、昔はソーセージを使って餌付けをしていたらしい。そのせいか魚が比較的浅い場所でも寄ってくる。このビーチは座間味周辺で最も珊瑚が豊かだと言われている。早速沖の方に泳ぎだす。期待にそぐわず、色とりどりの珊瑚が至る所にある。それに伴って多くの魚が珊瑚の周りを泳いでいる。飽きることのない海の中のドラマだ。

古座間味ビーチの紹介パンフレットに「世界中のダイバー憧れの海・ケラマ諸島。南国の陽射しを受けてエメラルドに輝く海は、色とりどりのサンゴ礁で彩られ、その間をカラフルな熱帯魚たちが群れをなして泳ぐ。これぞ、まさに亜熱帯の楽園だ。」と大仰に書いてあるが、実際その解説が違和感を覚えさせないほど珊瑚と魚は豊富だ。

阿真ビーチからの来訪者
休憩していると、古座間味ビーチと岩を挟んだ隣の砂浜に、4人乗りのシーカヤックが4台到着した。しばらくしてその中の一人が、「ここは古座間味ビーチですか」と聞きに来た。阿真ビーチからきたそうだ。会社の仲間同士で、家族を含めてきている。子供もいる。阿真地区のコテージにでも泊まって、自炊でもしているのだろうか。子供達にとってはいい経験になるだろう。無事目的地についたというわけだ。似たような浜が多いし、海流が早い所もあるので全く違った無人島にでもたどり着いたらどうなるのだろう。子供連れで結構冒険をするものだ。

13時頃浜から上がってロッジで昼食を取った。カレーとかはレトルトを暖めてご飯にかけるだけというものだが、民宿に帰れば食べるものはない。13時20分に迎えの車が2人の客を乗せて前を通り過ぎた。その客を降ろして、我々を乗せていくということだ。一人外国人の姿が見えた。今晩同じ宿に泊まるのだろう。12時着のフェリー座間味で来て、民宿について即この浜まで連れて来られたという感じだ。

阿佐集落の古い民家・船頭殿の石垣

Z25.jpg 阿佐集落の古い民家 

夕方、カメラを持って阿佐集落を散策した。裏の細い通りを歩いていくと赤瓦で、シーサーを門に配置した、昔ながらの民家があり、高い木々に囲まれたしっとりとした雰囲気は沖縄の離島の村を感じさせる。

泊まっている民宿の裏に「阿佐船頭殿の石垣」と看板があった。そこには「座間味島は唐への旅の中継地として古くから栄え、そんな中でもこの阿佐は進貢船の風待ちの港でもあり、数々の船の寄港した記録を残している。そんな阿佐には船頭殿という屋号を持った旧家があり、その船頭を務めた旧家の石垣がここだといわれている。船頭殿の石垣は琉球王朝時代の貴重な石造建築物の一部で、座間味村指定の文化財ともなっている。」と書いてあった。昔は栄えていた時期もあったのだなとつくづく感じさせる。

沖縄座間味010 船頭殿の石垣

民宿での夕食
夕食で30歳前後の外国人男性とその連れの日本人女性と一緒になった。民宿の客といっても昨日は我々だけ、今日は我々とこのカップルの2組だ。男性はフランス人で音楽理論の先生をしている。女性は、大学時代をアメリカで過ごしその後フランスに行きそこに居着いてしまったということだ。

フランス人はほとんど日本語が分からず会話にはついていけないようだったが、民宿の7歳の娘さんがビブラフォンを弾き出すとその傍に行っていろいろサゼスチョンをしていた。音楽は言葉の壁を越えた共通の言語だということをしみじみと感じた。

ここの民宿は料理の量がかなり多い。食べきれないほどだ。沖縄料理を色々工夫して5,6品出している。かつをの刺身もたっぷりとついてくる。話をしながら、酒を飲みながらなかなか食べきれず1時間以上経った頃、宿の主人宮平さんが入ってきて、ここの従業員はパートで雇っているので、早く終わらしたいと言ったので、大分残ってしまったが皆食堂から引き上げた。

夜の宴会

昨日は夜の宴会に付き合わなかったので今日は行こうということで、泡盛の一升瓶をぶら下げて、庭の宴会場に出向いていった。宮平さんの従弟の人が来ていた。宮平さんは58歳、従弟は57歳だという。従弟も民宿を開く準備をしていると言うことだ。

しばらく例の宮平さんお話が続いたが、従弟の人が三線を弾き沖縄民謡を歌うと言うことで是非聞きたいと、フランス人男性も交えてけしかけ、従弟の人は三線を取りに行った。しばらくして戻ってきて三線を弾き始めた。なかなか渋い深みのある声で沖縄民謡を歌う。言葉が分からなくてほとんど沈黙していたフランス人男性もこんな近くで三線についての説明も含めて曲を奏でてくれていることには非常に興味を持って聞き込んでいた。

10時30分になって音楽が始まってからいなくなっていた宮平さんが戻ってきて、近所迷惑だからこの辺で、ということでお開きになった。結局買ってきた泡盛1本は空けてしまった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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