スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

公園のバラ・リルケの詩

8月26日(火)
夏が過ぎ、雨が続く。公園のバラは再び咲き始めた。もっとも真夏でも少しは咲いていたのだが、この間急速に、花が開き始めている。秋バラは、春バラと違って、周りの風景の影響か色鮮やかに見える。リルケの「薔薇」の詩がある。

薔薇009_edited_convert_20100615075157

 幸福な薔薇よ、おまえのすがすがしさが
 ともすればわたしたちをこんなに驚かすのは、
 おまえがおまえ自身のなかで、うちがわで、
 花びらに花びらを押しあてて、やすんでいるからなのだ。(山崎栄治訳)

 薔薇のなかに生まれ、薔薇のなかにひそかにそだち、
 ひらかれたる薔薇のなかよりわれわれにあたえられし薔薇の空間よ、
 心の空間のごと広ければ、薔薇の空間のなかにありても
 なおわれら 大空のもとにある心地すなり。

 薔薇よ、おお 清らかなる矛盾よ
 誰が夢にもあらぬ眠りを、あまたなるまぶたの蔭に宿す
 歓喜よ。(星野慎一訳)


薔薇012_edited_convert_20100615075232

リルケは多くの薔薇の詩を書いている。彼は薔薇を通して何を表現しようとしていたのだろう。絶対的美の表れとして見ていたのだろうか。揺れ動く心に振り回される自己にとっての永遠の安らぎの表現なのだろうか。自己の心の中の葛藤とその昇華としてみているのか。自己の中の絶対的な核心は、個という限られた存在でありながら、永遠の相を見つめる存在である事の表現なのだろうか。

詩集の解説に次のように書かれていた。
「その高貴な善意にもかかわらず、芸術家の感情生活が現世の境涯の中で営まれる日常生活においては、際限もなく自己を否定しない限り、その調和の存続しえない場所に必ず到達する」(岩波文庫『リルケ詩集』p315)

薔薇を表現する時の「放棄が放棄につつまれ」という言葉は、個の絶対性の確信とその自己否定との間で揺れ動くリルケの心のあり方を示しているように思える。

薔薇018_edited_convert_20100615075310

ただ一輪の薔薇。我々はその中に何を見る事が出来るだろうか。薔薇を見ながら、リルケの詩を思い出し考えるのであった。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

最近の記事
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。