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B小学校で話したこと(続き)

9月12日(金)

Ⅳ、ガンでの余命宣告をどう受け止めたのか

私はガンで余命を宣告されています。後2,3年で死ぬかもしれません。20歳位の人がそういうと皆びっくりするでしょう。確かに若い人は生きているということだけで意味があるような気がします。私の場合、病気になったことで人生について今までと違った捕らえ方をするようになりました。

「宿命を転機に」という言葉があります。がんになったと言う事実・宿命は変えることは出来ません、しかしそれを人生の新たな転機にすることは出来ます。人生山あり、谷ありです。つらいことや苦しいことにぶつかることはあります。しかしそれを自分の新たな出発の転機にしていけるかどうかが重要だと思います。

ツー ル・ド・フランス自転車レース7年連続優勝者ランス・アームストロングはがんになって死の淵に立ちその後病気を克服しました。彼は次のように言いました。「断言していい、ガンは僕の人生に起こった最良のことだ。」死と向かい合って、はじめて彼は気づくことができたのです。周囲の人たちの優しさに、人を愛すること、そして、生命の素晴らしさに。仕事でしかなかった自転車は、限りある生命を燃やす「生きがい」へと変わっていきました。

Ⅴ、死と向かい合って

皆さんは自分が何時死ぬか考えたことがありますか。病気とか大怪我とかしないとなかなかそんなことは考えないものです。しかし死は誰にでも予想もしない形で訪れてくるのです。事故で死ぬこともあるし、脳溢血や心筋梗塞で突然死んでしまうこともあります。

私は後2,3年しか生きられないかもしれません。しかし遅かれ早かれ誰でも死を迎えるのです。全ての人はやがては死ぬことになる。今から死について考えている人はいないかもしれない。しかしどのように生きていこうかとは考えるでしょう。

「どのように生きていくのか」「人は何のために生きるのか」
この問いはあまりにも難しいものです。しかし、皆この回答を求めて生きている。答えを求めるため生きている。命が限られているということを知ることは、嫌が応でも今をいかに生きていくかを問うことになるのです。限りある人生を自覚した時、悔いのない人生を送りたいと思うものです。

漫然と生きてきた自分の生き方を見つめ直す事になります。自分らしく生きることそれはどういったことかを考えるきっかけをどこかで見出してもらいたいのです。死と向かい合って初めて自分を見つめる事が出来るのです。自分の本当にやりたい事が見えてくるものなのです。

死があるからこそ生の輝きを見出すことが出来るのでしょう。そういった意味で、命を語ることは、死-限りある人生を見つめることであり、そのことを通して生の意味を再認識することだと思います。人は普通あまり考えることもなくその日暮らしで生きていっているでしょう。自分の残りの人生などという発想を持つことなどないでしょう。それはそれでいいと思います。小学校の頃から死について考えるということはないでしょう。しかし時々は命のこと、人生は限りがあるということ、どうやって生きていったらいいかという事について考えてみてもらいたいと思います。

「死」について思いを馳せる時、あたりまえのようにそこにあった自分の生が再び鮮やかによみがえってきて、それがとても尊いものであることに気づかせてくれます。(続く) 

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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