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高麗ハイキング・高麗神社(続き)

10月4日(土)
高麗神社
聖天院を後にして、5分程歩くと木々に囲まれた高麗神社の鳥居が見えてくる。社殿に向かう参道の横には広い駐車場がある。境内案内地図を見ると第6駐車場まである。初詣の時は駐車場を探すのが大変だという位混むそうだ。

大鳥居をくぐり、木々に覆われた参道を社殿に向かう。駐車場の方から社殿に向かうと、聖天院にあったのと同様な「天下大将軍」「地下女将軍」と書かれたチャンスンが立っていて、その間を通っていくことになる。

駐車場の一角にしめ縄が張ってあって、そこは自動車のお払いをするところだと書いてあった。神社も色々創意工夫を凝らして客集めをしているのだなと思った。この神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は59代目になるという。よくまあ続いたものだ。ご苦労なことです。参道が途切れた所に、神社の略歴が書かれた看板があった。

image0104.gif高麗神社略歴:高麗若光は716年高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、高句麗人1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。(左写真・高麗神社社殿)

この神社は開運神社として知られている。またこの神社を参拝後に何人かが総理大臣となったことから「出世明神」と崇められるようになった。社殿には赤ん坊を連れた親とその両親が集まりお払いを受けていた。

高麗家住宅

社殿の横を通りしばらく行くと高麗家住宅がある。 この住宅は高麗神社の社家・高麗家の住居として使われた。高麗家住宅は江戸時代初期の重要民家とされ、平成元年国指定の重要文化財に指定された。山を背に、東に面して建てられた入母屋造りの茅葺屋根の家である。枝垂桜の巨木が家を覆うように聳えている。春には見事な花を咲かすのだろう。

住宅は1950年代まで高麗家の人々が住居として使用していた。江戸時代以降、表座敷が寺子屋として利用され、土間が獅子舞のけいこ場となるなど、地域住民にも親しまれた。
 
2002年からは、住宅で、童謡や邦楽などのコンサート、オセアニア地域の造形美術展などを不定期に開催している。伝統と格式ある住宅が、多様な形で親しまれている。この日は自由学園が「親と子の悩みの相談」という内容でセミナーを開いていて、20人ほどの母親が講師の話を聞いていた。

帰り道
高麗住宅から街道に出る。カワセミ街道という周りを緑に囲まれた静かな道だ。高麗駅までも45分かかるので、帰りはJR八高線の高麗川駅に出ようと思って街道を歩き始めた。途中標識があり、高麗川駅方面と書いてあったのでさらに歩き続けた。

駅まで2、30分と聞いていた。30分位歩いて県道に出た。そこで道を聞くと、高麗川駅まで2km位あると言われた。標識はどう考えても車への指示だったのだ。高麗神社から、畑の中を通っていけば20分位で駅に行ける。それを、二等辺三角形の2辺を歩いていたと言うわけだ。後30分歩くのはあまりにも酷だ。

丁度バス停があった。埼玉医大から高麗川駅、高麗駅経由飯能行きのバスだ。1時間一本のバスだが、これもまた丁度あと5分で来る。結局バスに乗って、高麗川駅経由高麗駅まで行くことにした。田舎のバスは駅の間隔が長い。高麗川駅まで三停留場だったが、歩いたら大変な時間だったろうとバスに乗れたことを感謝するほどだった。

高麗駅で5分待って飯能行きの電車が出発した。この電車も30分に一本の電車だ。飯能からは15分おき位に池袋行きの急行が出ている。10時45分から歩き始めて、バスに乗ったのが14時51分だった。途中30分位は休憩したので、正味3時間半は歩いたことになる。この調子で体力をつけていければいいだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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