京都めぐり2日目・嵯峨野
10月14日(火)
嵯峨野に行く
京都めぐり2日目は嵯峨野に行くことにした。嵯峨野めぐりのルートマップがありそれは以下のようになっている。これを全部回るというわけではなくこの寺院をつなぐ道が嵯峨野の情景を表している散策路だというのだ。要所要所に「嵯峨野めぐり」の表示があるという。
渡月橋→天龍寺(塔頭として宝厳寺、弘源寺)→竹林→野宮神社→常寂光院→落柿舎→二尊院→滝口寺→祇王子→化野念仏寺→大覚寺
朝から雨が降っていた。市営バスで嵐山まで向かう。バスは満員だった。途中女子大があり大部分がそこで降りた。嵐山で降りず一つ先の渡月橋を渡った中之島公園で降りた。あんなにバスが混んでいて皆嵐山に行くと思っていたのに結局ここで降りたのは私一人だけだった。バスはその後、松尾大社、鈴虫寺、西芳寺に向かう。
渡月橋
渡月橋から天龍寺
渡月橋を、橋の上から嵐山の風景を楽しみながら渡る。写真で見ると木の橋のような感じがしていたが、バスも通るようなしっかりした幅広い橋だった。そこから天龍寺に向かう。渡月橋から天龍寺に向かう道は観光の中心地にふさわしく、土産物屋、食事処などひしめき合っている。同じようなものを売っていて、よく商売が成り立つなと思う。人力車のえびす屋の総本店が渡月橋の傍にあり何台も並んでいて客引きをしている。
天龍寺の山門をくぐるとぐっと静かになる。雨のせいか、人もそれ程いない。天龍寺の本堂に向かう途中に、宝厳院と弘源寺が秋の特別拝観期間で開放されるという張り紙があった。両方とも天龍寺塔頭と記されてあった。特別拝観というとつい惹かれてしまう。宝厳院に向かう途中に、五百羅漢の像が何十体も路端に並んで奉られてあった。これだけ数があると壮観な感じがする。
宝厳院(天龍寺塔頭)
まず宝厳院に寄ってみることにした。全く人がいなかった。小雨が降りそぼ降る京都の庭園の雰囲気を味わうには絶好の情景である。拝観受付で貰ったパンフレットには、この庭園について次のように書かれてあった。
獅子吼の庭
獅子吼の庭:この庭園は室町時代に中国に2度渡った禅僧策彦周良禅師によって作庭された名園で嵐山を巧みに取り入れた借景式枯山水庭園である。「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって人生の真理、正道を肌で感じ、心が大変癒される庭である。
庭園内には、須弥山を現す築山、その前には人生を思わせる「苦海」(空池)が広がり、対岸には「雲上3尊石」が有り、海の中には、「此岸」より「彼岸」に渡る舟石、仏の元に渡る獣石が配置されている。
夢窓国師曰く「山水には得失なし、得失は人の心にあり」
なかなか意味深い庭園だが、誰もいない庭を散策しながら、なかなか庭に込められた真理に到達するのは難しいことであった。受付を出た所が参道になっていて、両側がもみじの木で囲まれ紅葉の時は鮮やかな色彩に彩られたトンネルになるということだ。
天龍寺(臨済宗天龍寺派大本山)
そこから天龍寺の庭園の受付に行って庭に入る。曹源池の周辺が散策コースになっていて、望郷の丘という小高い所まで道があり北門までつながっていて、かなりの距離がある。境内の庭を一周して、本堂の中に入る。大方丈から見る庭は、また趣が違いなかなか見ごたえがある。開山夢窓国師(疎石)の作庭になる廻遊式庭園であり、池の前庭には州浜形の汀や島を配し、嵐山や亀山を借景として取り入れている。白砂と緑が鮮やかである。そこから書院、多宝殿まで渡り廊下で行ける。
天龍寺庭園
天龍寺略歴:京都五山の第一位であるこの寺は、霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)といい、1239(暦応2)年に吉野で不遇の中に崩御された後醍醐天皇を慰めるために、足利尊氏が高僧夢窓国師を開山として、嵐山を背景とする亀山離宮を禅寺にあらためたのがはじまりである。
弘源寺(天龍寺塔頭)
天龍寺の参道を出口に向かう途中に弘源寺がある。ここもまた庭に特徴がある、虎嘯(こしょう)の庭と呼ばれている。「龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず」と言う語句から名付けられ、「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す、すなわち禅の悟りの境涯を表しているという。嵐山を借景にした枯山水庭園だ。
虎嘯(こしょう)の庭
また毘沙門堂にある毘沙門天像(国指定重要文化財)は、インドの仏師毘首羯磨の作で、中国を経て日本に伝えられ、始めは比叡山無動寺にあったものを550年前に開山玉岫禅師がこの寺に移送したものだという。
これら3つの禅宗の庭を見て、そこに込められた思想の大きさに驚かされる。一つ一つの草木や石や岩それぞれ意味を発現しているという奥深さを改めて感じることとなった。
弘源寺を出てすぐ天龍寺の山門になる。そこを出ると目の前が食堂だった。丁度昼食の時間だった。(続く)
嵯峨野に行く
京都めぐり2日目は嵯峨野に行くことにした。嵯峨野めぐりのルートマップがありそれは以下のようになっている。これを全部回るというわけではなくこの寺院をつなぐ道が嵯峨野の情景を表している散策路だというのだ。要所要所に「嵯峨野めぐり」の表示があるという。
渡月橋→天龍寺(塔頭として宝厳寺、弘源寺)→竹林→野宮神社→常寂光院→落柿舎→二尊院→滝口寺→祇王子→化野念仏寺→大覚寺
朝から雨が降っていた。市営バスで嵐山まで向かう。バスは満員だった。途中女子大があり大部分がそこで降りた。嵐山で降りず一つ先の渡月橋を渡った中之島公園で降りた。あんなにバスが混んでいて皆嵐山に行くと思っていたのに結局ここで降りたのは私一人だけだった。バスはその後、松尾大社、鈴虫寺、西芳寺に向かう。
渡月橋
渡月橋から天龍寺
渡月橋を、橋の上から嵐山の風景を楽しみながら渡る。写真で見ると木の橋のような感じがしていたが、バスも通るようなしっかりした幅広い橋だった。そこから天龍寺に向かう。渡月橋から天龍寺に向かう道は観光の中心地にふさわしく、土産物屋、食事処などひしめき合っている。同じようなものを売っていて、よく商売が成り立つなと思う。人力車のえびす屋の総本店が渡月橋の傍にあり何台も並んでいて客引きをしている。
天龍寺の山門をくぐるとぐっと静かになる。雨のせいか、人もそれ程いない。天龍寺の本堂に向かう途中に、宝厳院と弘源寺が秋の特別拝観期間で開放されるという張り紙があった。両方とも天龍寺塔頭と記されてあった。特別拝観というとつい惹かれてしまう。宝厳院に向かう途中に、五百羅漢の像が何十体も路端に並んで奉られてあった。これだけ数があると壮観な感じがする。
宝厳院(天龍寺塔頭)
まず宝厳院に寄ってみることにした。全く人がいなかった。小雨が降りそぼ降る京都の庭園の雰囲気を味わうには絶好の情景である。拝観受付で貰ったパンフレットには、この庭園について次のように書かれてあった。
獅子吼の庭
獅子吼の庭:この庭園は室町時代に中国に2度渡った禅僧策彦周良禅師によって作庭された名園で嵐山を巧みに取り入れた借景式枯山水庭園である。「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって人生の真理、正道を肌で感じ、心が大変癒される庭である。
庭園内には、須弥山を現す築山、その前には人生を思わせる「苦海」(空池)が広がり、対岸には「雲上3尊石」が有り、海の中には、「此岸」より「彼岸」に渡る舟石、仏の元に渡る獣石が配置されている。
夢窓国師曰く「山水には得失なし、得失は人の心にあり」
なかなか意味深い庭園だが、誰もいない庭を散策しながら、なかなか庭に込められた真理に到達するのは難しいことであった。受付を出た所が参道になっていて、両側がもみじの木で囲まれ紅葉の時は鮮やかな色彩に彩られたトンネルになるということだ。
天龍寺(臨済宗天龍寺派大本山)
そこから天龍寺の庭園の受付に行って庭に入る。曹源池の周辺が散策コースになっていて、望郷の丘という小高い所まで道があり北門までつながっていて、かなりの距離がある。境内の庭を一周して、本堂の中に入る。大方丈から見る庭は、また趣が違いなかなか見ごたえがある。開山夢窓国師(疎石)の作庭になる廻遊式庭園であり、池の前庭には州浜形の汀や島を配し、嵐山や亀山を借景として取り入れている。白砂と緑が鮮やかである。そこから書院、多宝殿まで渡り廊下で行ける。
天龍寺庭園
天龍寺略歴:京都五山の第一位であるこの寺は、霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)といい、1239(暦応2)年に吉野で不遇の中に崩御された後醍醐天皇を慰めるために、足利尊氏が高僧夢窓国師を開山として、嵐山を背景とする亀山離宮を禅寺にあらためたのがはじまりである。
弘源寺(天龍寺塔頭)
天龍寺の参道を出口に向かう途中に弘源寺がある。ここもまた庭に特徴がある、虎嘯(こしょう)の庭と呼ばれている。「龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず」と言う語句から名付けられ、「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す、すなわち禅の悟りの境涯を表しているという。嵐山を借景にした枯山水庭園だ。
虎嘯(こしょう)の庭
また毘沙門堂にある毘沙門天像(国指定重要文化財)は、インドの仏師毘首羯磨の作で、中国を経て日本に伝えられ、始めは比叡山無動寺にあったものを550年前に開山玉岫禅師がこの寺に移送したものだという。
これら3つの禅宗の庭を見て、そこに込められた思想の大きさに驚かされる。一つ一つの草木や石や岩それぞれ意味を発現しているという奥深さを改めて感じることとなった。
弘源寺を出てすぐ天龍寺の山門になる。そこを出ると目の前が食堂だった。丁度昼食の時間だった。(続く)
テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記