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京都めぐり3日目・東山周辺

10月15日(水)
東大谷祖廟(浄土真宗大谷派)
円山公園の入口の手前に長い石畳の参道があり突き当りに山門が見える。地図には東大谷祖廟と書いてある。どのような寺院かは分からなかったが、足を運んでみた。境内に入ると、檀家の関係だろうか20人近くの人が僧侶と共に本堂に入っていくのが見えた。

京都054  東大谷祖廟

社務所は丁度葬儀場の待合室のようで、参拝客の休憩場となっている。東大谷墓地には真宗大谷派の門信徒による多くの墓碑が建ち並び墓参の信徒が絶えないそうだ。だたし大谷祖廟の納骨は全て合祀式であるため、納骨直後に骨箱から取り出され、他人の遺骨と混ざることになる。

本堂からかなり急な階段を上がると納骨堂があり、信徒が何人かお参りをしていた。本堂の裏手からは、納骨堂の階段を上がるのが困難な人のためにエレベーターまで設置されている。山門や本堂は格調高く古い建物だが、全体の雰囲気は、墓参りのための施設といった雰囲気だ。

略歴:東本願寺の祖廟。現在は親鸞聖人の分骨とともに多くの信者の遺骨が納められている。本堂からさらに石段を上ったところには、聖人の石墳の廟があり、その上に聖人遺愛と伝える虎石(親鸞聖人が入滅されたときに、善法坊にあった庭の虎石が涙を流したという)が安置されている。

知恩院(浄土宗総本山)

円山公園を突っ切っていくと、広い駐車場があり、その先に巨大な三門が聳えている。そこが知恩院の入り口だ。三門から急な階段を上って行くと、御影堂(本堂)を中心とした境内に出る。この急な階段は男坂と呼ばれ、それと並んで緩やかな勾配の女坂がある。

京都057_convert_20100605132401  知恩院山門

御影堂に上がって周囲の廊下を歩いていると、子供連れの団体がいて何らかの関係者なのかもしれないが、年配の僧侶が知恩院の歴史や寺にまつわる様々なエピソードを解説していた。その団体と一緒になって解説を聞きながら廊下を進んでいった。

寺院の天井に傘が一本置かれている。案内パンフレットでは「左甚五郎が火災避けのために置いた」と書かれていたが、僧侶の説明は次のようなものだった。

「昔寺の拡張工事をしていた時に、狐の住み家を壊してしまった。狐は復讐しようと思って童子に化けて、寺に赴いた所、僧侶が出てきて狐だとすぐ見抜き、復讐はさらなる復讐をよぶその繰り返しになる、許す心が必要だと説いた。狐は何故狐だと分かったのかと言ったら、人間は雨の日は傘をさす、傘をさしてなかったから分かったといって、帰り雨に濡れないようにと傘を貸し与えた。次の日その傘は返され、天井の梁の所に置かれていた。それがそのままにしてある。その後狐の住み家にと、丘の上に濡髪大明神という神社を作った。」といった話だった。

京都059  知恩院本堂(御影堂)

御影堂には一切の彫刻がない。正面と左右は扉が並んでいて、裏側は窓になっている。その窓の実際にはふさがれていて飾りでしかないが、かなり質素に作られている。裏側の扉を開けて中を見せてくれた。そこには海の上に座っている釈迦が描かれていた。修行中の姿だという。その絵も墨絵のように白黒だった。

京都_convert_20100605163804  宝物殿

法然上人の教え:学問をして経典を理解したり、厳しい修行をし、自己の煩悩を取り除くことが「さとり」であるとし、人々は仏教と無縁の状態に置かれていたのです。そうした仏教に疑問を抱いていた法然上人は、膨大な一切経の中から、阿弥陀仏のご本願を見いだします。それが、「南無阿弥陀仏」と声高くただ一心に>称えることにより、すべての人々が救われるという専修念仏の道でした。承安5年(1175)、上人43歳の春のこと、ここに浄土宗が開宗されたのです。

京都1_convert_20100605165741  権現堂

方丈庭園
本堂を後にして、有料の方丈庭園に入る。大方丈、小方丈が並び、その前に方丈庭園がある。方丈庭園は江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧玉淵によって作庭されたと伝えられている。池泉回遊式の庭園で、東山を背景にして方丈の華麗な建物が庭を引き立てる。

京都068_convert_20100605132522  方丈庭園

そこからさらに山道を登ると山亭庭園があり、そこからは京都の町が俯瞰できる。そこで方丈庭園は終わり、木戸を抜けると、左側に行くと千姫の墓と濡髪大明神の鳥居と祠があり、右に行くと法然上人の終焉の地である大谷禅房の旧跡である勢至院があり、そこから階段をさらに上ると法然上人の遺骨を納めている御廟がある。

境内に戻って、経蔵の脇を上ると除夜の鐘で名高い大鐘楼がある。この鐘は大戦の時供出されかけたが、住職が飛行機を寄付することによって、供出を免れたものだという。

東山の麓の山の斜面を利用した様々な建物は、徳川幕府が、何かあれば戦用の城郭に転用しようと援助を惜しまず作られた結果、広大な敷地に様々な様相を凝らし建設されていった。

八坂神社
京都087 八坂神社本殿

知恩院を後にして、祇園のバス停に向かうが、その前に八坂神社に寄ってみることにした。どのみち通り道だ。八坂神社には思い出がある。何十年も前の話だが、大晦日の日、八鹿の親戚の家に向かって新幹線に乗った。仕事が終わってからで、その新幹線は京都で最終の山陰線に接続する。しかし、寝過ごして気がついたら新大阪だった。

京都に戻ったが山陰線の最終電車は出発した後だった。しょうがなく京都で始発の山陰線を待つほかなかった。一晩過ごせる喫茶店を探して河原町四条の方に行った。群衆がぞろぞろと通りを一定の方向に向かっている。その流れに沿って歩いていくと八坂神社に着いた。初詣ということだった。そこで皆と一緒に一度もした事がなかった初詣をして破魔矢まで買って親戚へのお土産にした。

こういった思い出のある場所だったが、昼間見る光景では、全く昔の記憶を喚起する物は見当たらなかった。神社をしばらく散策して、祇園のバス停に行き、京都駅へのバスに乗った。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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有意義なシンポジウム出席に続いての小旅行、一日を除いてお天気もよくて、よかったですね。京都への修学旅行は、開業1年ほどの新幹線で行きました。東京駅のホームで写した記念写真が、当時の新幹線に対する珍しさを物語っています。その後2回ほど観光で行きましたが、どこも庭園がすばらしく、心を洗われるようでした。yosimineさんの写真もきれいに撮れていますね。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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