スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鬼怒川温泉・2日目-輪王寺、東照宮、二荒山神社

1月6日(火)
1月1日-輪王寺・東照宮・二荒山神社

輪王寺
龍王峡日光・白虎隊095_convert_20100606122159 山門

龍王峡日光・白虎隊096 本堂

いろは坂を下ってきたバスは、西参道の日光観光センターの前で止まる。ここで昼食を各人とる事になる。2社1寺巡りをするには、神橋からの道、表参道、西参道と3ヶ所ある。ここからはバスガイドの案内ではなく、専任の解説者が案内する。最初は輪王寺の本坊に行く。

最初に目に入るのが相輪塔である。青銅製の細長い塔。高さは13.2メートル。上部には金瓔珞(きんようらく)というものと、金の鈴がそれぞれ24個つづられていて、下部には徳川家の家紋である葵の紋が3つ見える。それらが、4つの控柱で支えられている姿となっている。これは天海大僧正が建てたものと言われている。
 
輪王寺とは、お寺やお堂、さらに15の支院の総称で、勝道上人が天平神護2(766)年、神橋のそばに四本竜寺を建立したのが始まり。山岳信仰の場として栄え、たくさんの行者が修行に訪れた。

その中心が大本堂で、三仏堂と呼ばれている。山岳信仰にもとづき、日光の三山つまり男体山、女峰山、太郎山を神体とみて、その本地仏である千手観音(男体山)、阿弥陀如来(女峰山)、馬頭観音(太郎山)の三仏をまつってある。本堂の入口のところで僧侶の説明を聞く。中禅寺もそうだがこの輪王寺も檀家を持たず、葬式を行なったり墓を守ったりということはしていない。邪気を払うための寺院だそうだ。

僧侶が数珠の説明をしていた。数珠は厄除けの意味を持つ。その意味で葬儀とかに持っていくが、いつも持っているといい。ここで売られている数珠は生まれた月に関係している仏様が埋め込まれている。邪気を払う木として梅の木が使われている。といった説明をして3000円で数珠を売っていた。三仏堂の中では寺の由緒の説明から入って、魔除けの円盤を家の鬼門・東北方面に吊るして置くといい、とここでも商売をしていた。輪王寺から東照宮に向かう。

東照宮
A鬼怒川・日光・会津056_convert_20100606123326 五重塔

龍王峡日光・白虎隊109 陽明門

最初に石鳥居をくぐる。この鳥居は京都八坂神社、鎌倉八幡宮のものと合わせて日本三大石鳥居と呼ばれるものだそうだ。次に五重の塔がある。上から下まで全てや屋根大きさが同じという珍しい作りらしい。

東照宮は、徳川家康が目指した「八州の鎮守」であり、現代風にいえば「日本全土の平和の守り神」である。日光は江戸のほぼ真北にあたる。家康は不動の北極星の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたのである。この意思を継いで家光が、今の金額に換算すると約400億円、使った材木が14万本、工期は1年5か月、延ベ454万人が携わり、絢爛豪華なシンボルに作りかえた。

「見ザル、言わザル、聞かザル」で知られている神厩舎の彫刻は、左から右へ8ページの絵本「三猿の物語」になって、猿の一生を描きながら人の生き方を伝えている、ということをガイドの説明で始めた知った。なかなか意味深い物語だ。陽明門の彫刻や、眠り猫もそうだが、人生や政治を考えるための示唆に満ち溢れているのが興味深い。

猿の物語:1、手をかざした母猿が子猿の将来を見ている。子猿は信頼しきって母猿の顔をのぞき込む。2、子どものときは悪いことを「見ザル、言わザル、聞かザル」。3、一人立ち直前の猿。まだ、座っている。4、口をへの字に曲げ、大きな志を抱いて天を仰ぐ。青い雲が「青雲の志」を暗示。5、人生にまっすぐ立ち向かうが、がけっぷちに立つときも。迷い悩む仲間を励ます友がいる。6、恋に悩む。7、結婚した2匹の猿に、どんな荒波が待ち受けているのだろう。8、おなかの大きい猿。子猿も、やがて母親になる。

陽明門では500をこえる彫刻の説明を受け、眠り猫を見て、薬師堂では鳴き龍が鳴くのを聞く。僧侶が拍子木を叩くと鈴のような音が反響する。ともかく東照宮は見るところには事欠かない場所だが、ガイドはどんどん先に引率して行ってしまう。初詣の参拝客が多くそこらじゅうがごった返していてゆっくり見るという雰囲気でなかったのは確かだ。そこから杉並木の参道を通って二荒山神社に向かう。

二荒山神社
龍王峡日光・白虎隊127_convert_20100606122241

龍王峡日光・白虎隊124

今からざっと1200年以上も前の奈良時代の末、二荒山(男体山)に神霊を感じた勝道上人が、大谷川の北岸に四本竜寺を建て、延暦9(790)年に本宮神社を建てた。二荒山神社のはじまりである。

勝道上人はさまざまな難行苦行を積み、二荒山初登頂の大願を果たし、山頂に小さな祠をまつった。天応2(782)年のことであった。これが奥宮である。二荒山神社は早くから下野国一の宮としてうやまわれ、鎌倉時代以後は、関東の守り神として幕府、豪族の信仰をあつめた。

拝殿は参拝客が列を作っていたのでそこは素通りして裏に回る。ここには重要文化財に指定されている銅製春日造りの灯籠がある。夜ふけに火をともすと、ゆらゆらと怪しげな姿に変わるというので、警固の武士に切りつけられた無数の刀きずがあり、化灯籠の名でも有名である。

二荒山神社を後にして、神門、鳥居を通って、日光観光センター前まで行き観光バスに乗る。バスは日光駅まで行ってそこで乗り換え鬼怒川温泉まで送ってもらった。
(日光の名所旧跡の情報は日光観光協会オフィシャルサイトより)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

yosimine

Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

最近の記事
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
月別アーカイブ
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。