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華厳の滝・巌頭之感

1月15日(木)
A鬼怒川・日光・会津0441月1日に華厳の滝の見学に行った。その時はバスガイドの説明にも、滝周辺の説明書きにも藤村操の事は触れていなかった。確かに自殺の名所などというのは、有り難くもない評判でことさら宣伝する必要もないだろう。そういった意味で滝を眺めながらも、「巌頭之感」の事は全く失念していた。

昨日、間羊太郎の『ミステリー百科辞典』の「遺書」の章を読んでいて「巌頭之感」の事を思い出した次第だ。その章は次のような書き出しで始まっている。「自殺の名所といえばまず第一に熱海の錦ヶ浦、大島の三原山、日光の華厳の滝などが思い浮かぶ。

この中でもなんとなく清らかでロマンティックな感じがするのは・・・華厳の滝ではなかろうか。」という書き出しから、当時ジャーナリズムを賑わしセンセーショナルな事件として扱われた一高生の投身自殺に言及していく。

「自殺した事それ自体が世間の注目を集めたのではなく、投身地点の樹の幹に書き残した遺書が人々の大きな興味をそそったからにほかならない。新聞に発表されたこの遺書を読んだ中高生は好んでこの文句を暗誦したほどであった。」と書いている。

藤村操と「巌頭之感」を思い出しながら華厳の滝を見ればまた違った感慨があったかもしれない。どちらにしても自然は人の思惑や心の煩悶など一切関係なく、ただただ自らの変わらぬ営みを続けているだけなのだ。そのギャップが逆に死を決意させるものとなったのかもしれない。

明治36年(1903年)5月、一人の18歳(満16歳10か月)の旧制一高生、藤村操が華厳の滝に身を投げて自殺した。巌頭の大きなミズナラの樹肌を削って書き残した文言が、次の「巌頭之感」である。

悠々たるかな天壌、遼々たるかな古今、五尺の小躯を以ってこの大をはからんとす。
ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリティに価するものぞ。
万有の真相は唯一言にしてつくす。 曰く“不可解”
我、この恨みを懐いて煩悶、終に死を決す。
既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。(藤村颯 遺言)。


彼を死に追い詰めたものはいうまでもない「不可解な人生」である。悠々たる大自然、はるかなる人類の歴史、その中での自分の存在は余りにも小さく短い。一体、この人生は何のためにあるのか。「ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリティに価するものぞ」いかなる哲学も彼に解答を示さなかった。人生の目的に対する哲学の無力を身をもって示した藤村操の自殺であった。日本で初めて人生の意味を求めて哲学的死を実践した若者を意味する。(ブログ・玉川和正+アートランダムより)

「その死は当時の青年たちに異常の衝撃を与え、遺書の“人生不可解”は、多くの哲学青年の合言葉ともなった。操の死に象徴される懐疑主義は、明治末年の内観的哲学的時代の開幕を告げるものであり、多様な教養摂取によって自我の拡充をはかる大正教養主義の出発点であったと見られよう。」(助川徳是『日本近代文学事典 第三巻』日本近代文学館編 講談社)

哲学を学ぶ一人の若者が日光・華厳の滝にその身を投じた。前途有望な若者の死に、当時の青年たちは大きなショックを受け、後追い自殺が相次ぐなど、社会現象にまでなった。華厳の滝は自殺名所とされ、この年11名の自殺者がで、未遂者は15名を数えた。自殺は伝染する。

観光名所の華厳の滝もこういった視点で見ると複雑な様相を呈してくるものだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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