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入院するにあたって何を考えたか

1月25日(日)
昔のフロッピーデスクを整理していたら、入院中の病状日記が出てきた。病院で点滴された抗がん剤や服用している薬をメモする事や病院生活での出来事の感想などを書いたものだ。その記録の最初に「はじめに」という部分がある。そこには入院に至る経過から、どのような治療を受けるのか、そしてどのような入院生活を送っていこうとしているのかが書かれていた。今振り返ってみると感慨深いものがある。自分が何を考えていたのか振り返るために転写しておこうと思う。

1、入院にいたる経過

2005年11月7日10時過ぎ、秋晴れの空気の乾いたすすがすがしい日差しの中、綾瀬川沿いに自転車をこぎながら、これから延べ11ケ月に渡って入院し、一生続く闘病生活を送らなくてはならなくなることになろうとは誰が想像できただろう。

いつものように会社の足立区の花畑にある倉庫で作業をしていると、これから八潮市にある倉庫に荷物を下ろしに行くので来て欲しいと連絡が入り出かけた。会社はマネキン・ディスプレィの会社で2001年花畑倉庫が手狭になり、自転車で10分位の埼玉県八潮市に倉庫を建てた。大きな荷物や、季節商品を主に収納している。

八潮倉庫に着き荷物を降ろしている最中、足の親指の上に物を落とし、血が滲み出してきて靴の中が濡れてきたが、降ろし作業を最後までやってしまう。靴を脱ぐと親指の爪が割れ、かなり出血し、靴下は絞れるほどであった。ティッシュを何枚も重ねで指を包み血を抑えガムテープで固定し近くの間崎整形外科に行って治療してもらった。

11月15日頃出血がなかなか止まらないで医者に血液検査をしたほうがいいと言われ、採血した。11月21日血液検査の結果が出て蛋白に異常値があることがわかり、血液内科の専門病院に紹介された。

11月24日、文京区にあるK病院にO医師への紹介状を持って行く。そこで「血液ガンの疑いあり。一般的には3ケ月から6ケ月の治療期間後、社会復帰が可能と考えられております」と書かれた診断書を受け取る。

即入院だということだったが、引継ぎなどあるので12月1日を入院日とした。病院から日本橋浜町にある本社に直接行き、社長に診断書を見せながら「3ケ月から6ケ月の入院加療を要する」という診断書の内容について説明する。その後花畑倉庫に戻り上司と相談し、運転助手のアルバイト1名の倉庫要員としての配置換えや、私の仕事を係長にいかに短期間で引き継ぐかなどを検討した。11月30日まではこれらの引継ぎを行い、入院準備に当てられた。

毎年健康診断(成人病検診)を受け血液検査をしていながら血液中の蛋白をはからなかったので病気(ガン発症)には気がつかなかったし、一般的には疲労、頭痛、めまい、痺れなどの症状が出るそうだが、全く自覚症状はなかった。むしろ仕事が忙しく土日祭日の出勤も多く、毎日20時前後まで、遅いときには1時過ぎまでの仕事をこなしていく、体力があったということだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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