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カミュ『異邦人』

2月23日(月)
211401_convert_20090223133845.jpg 何十年前に読んだ本をまた読んでみる。本は読んだ時の人の成長過程で全く違った様相を呈する。かって読んだ時どんな風に感じたかは全く覚えていなかったが、今回読んでまた新たな感覚を持つ事ができた。

『シーシュポスの神話』はいわば『異邦人』の解説書のようなものである、その最初に次のように書かれている。「真に重大な哲学上の問題は一つしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。」この答を求める事の困難さが『異邦人』の中で展開されている。

果たして、人生は生きるに値するか。人生の目的は何か。人は何故生きるのか。最も根底的な問題が、回答のないまま綴られていく。

「不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴り響いていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。」(『シーシュポスの神話』)

人間の奥底には、生きる意味を「死に物狂い」で知りたがる願望が、激しく鳴り響いている、とカミュは言う。どうしても生きる目的を知りたい、いや知らなかったら生きていけないのが人間なのだ。しかしその答えは見つからない。その時人は死を選ぶのか、あるいは生を放棄した人生を歩むのか。

『異邦人』の主人公ムルソーは、生きる意味を見出せない中で、世の中に対して無感動、無無関心に生きるほかない。しかし、彼の本心を偽らないアウトサイダー的人間性が、彼をとりまく教誨師の司祭に代表されるキリスト教中心の欺瞞的な社会常識との間で、亀裂を生を生み出して行くのは必然的なものだった。

ムルソーは考える「人生は生きるに価しない」と。「根本において30歳でも70歳でも死ぬのに大して変わりはない。」今であろうが、20年後であろうと、僕が死ぬことにかわりはないのだ。」死を20年後に引き延ばすことには何の意味もない。人が死ぬ以上は、何時どうしてということは大した問題ではない。不条理の世界で人は果たして生きる意味を見出せるのだろうか、を問いかけている。

ムルソーは何故アラビア人を殺したのか。「自分がうしろをふりむきさえすれば、それですむと僕は思った。しかし太陽に慄える長い砂浜が、僕の背後をふさいでいた。・・・灼くような痛みに堪えかねて、僕はちょっと前にでた。それが馬鹿げていることは、一歩前に出たからといって太陽を免れるわけには行かないことはわかっていた。しかし僕は一歩、ただ一歩だけ前に踏み出した。・・・全てがゆらめいたのは、その時だった。海は濃く熱い息吹をもたらした。空は真二つに裂けて火の雨を降らすかと思われた。僕は全存在を緊張させ、手をピストルの上にひきつらせた。引金は言うことをきき、僕は銃尾のなめらかな腹にさわった。そこで、短いが耳を聾する音のなかで、すべてがはじまった。」

「太陽のせい」にした殺人を犯したが、それは「人生が生きるに値しないと思っている」生き方の中で、いわば一つの表れであり結果なのである。確かに、人生に意味があろうとなかろうと、人はこの世界に生まれ、この世界をすでに生きてしまっているという事実に満たされている存在である。それは人を否が応でも不安に陥れる。ムルソーもその不安に蓋をして生きてきたのである。それが眩い太陽の光の中で爆発したのである。あの銃声は生きていることの耐え難き不安と絶望を断ち切るものであったのだ。

母の死に感動を示さなかったことや、母の年齢を知らなかったこと、翌日女と海水浴へ行き、喜劇映画を見て笑い、一緒に部屋へ帰ったことなどの事実をもって、一般市民にはムルソーを自分たちとは違う「異邦人」のとして見ようとしたのだろう。そして、そういった者として断罪したかったのだろう。しかし、人生に意味がないというムルソーの考えは、人生に意味があると思い込みたい多くの人の心の琴線に触れ、それ故に、彼の考えは市民の憎悪を招き、その考えがもたらす不安を社会に撒き散らさないために、彼を「異邦人」として処刑せざるをえなかった。

人生は生きるに値するか。人生の目的は何か。人は何故生きるのか。この答えは『異邦人』の中にはない。最後に「僕は初めて世界のやさしい無関心に、自分を開いた。世界を自分と非常に似た、いわば兄弟のようなものと悟ると、僕は自分が幸福であったし、今でそうだと感じた。」と語っているが、ここには生きることの不安と絶望から開放されるということの心の安定を述べているだけでしかない。

『シーシュポスの神話』の中でカミュは言う。「以上ぼくは不条理から、ぼくの反抗、ぼくの自由、ぼくの熱情という3つの帰結を抽き出した。意識を活動させる、ただこれだけによって、ぼくは、はじめは死への誘いであったものを生の準則に変える、―そうしてぼくは自殺を拒否する。もちろんぼくは、そうやって生きる日々をつらぬいて、鈍い響きが流れている事を知っている。だがぼくの言うべき言葉は一つしかない、―その響きは必然的だ、と。」

不条理な感性を持った人間はどうやって生きていくのか、その答えは与えられていない。しかしその道筋をカミュは上記の言葉で表現しているのではないか。それをどう受け止めるかが問題だ。どちらにしても「風立ちぬ、いざ生きめやも」なのだろう。
(『異邦人』『シーシュポスの神話』の引用は新潮社『カミュ全集2』から) 

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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昔 昔のこと

異邦人を読みましたね。10代後半。ここを読んでストーリーを思い出したほど昔^^
当時は理解できませんでしたよ。はぁ??って感じ。

ところで こちらへで失礼しますが報告。
なかなか気分がのらないと 病院へ血液検査に行かない母でしたが
今日 行ってきました。久しぶりに 私が一緒に診察室で 医者の話を聞くのを
許可してくれまして^^ほんの数分だけ 私が医者と一対一で話を聞けました。
IgM値は 昨年の8月で2412 その後 3000台(曖昧?)
今回は4620。普通の内科で 血糖値と一緒に検査していますが
5000台になったら 以前の血液科のある病院で 治療を考える予定。
それと 今回は これと関係があるのか はっきりしませんが
心臓の 動脈の弁の伸縮に異常があるので 早々に 大学病院に紹介状を持って
行くことになりました。また その後の報告は  解り次第 この場を借りて
報告させていただきたいと思っています。それと 最近 貧血もあるみたい。

rieeさんのお母さんは半年でIgM値が1200も上がったんですね!私も5000が治療を始める一つの目安と言われました。前にも書いたと思いますが、先日夫は高濃度ビタミンC点適法の日本での第一人者と自負している水上医師の講演を聴いてきました。昨年からアメリカでガンに対する治験が始まったとのことですが、その効果を信じている夫は経過観察中でも試してみたら?と熱心に勧めます。水上医師の本にはいいことばかり書いてあるけど、いくつもの疑問点が出てきます。もう少し情報がほしいところです。

抗がん剤など使用せずにがんが治ればそれに越した事はありません。代替医療で済めばそれの方が体に負担をかけずにすみます。がん治療に効果があるといわれるサプリメントや様々な民間療法があります。アガリスクや波動水など一般的にいわれています。医者に見捨てられたがん患者が玄米食で治ったなどの話もあります。確かに人の体は様々で、どういった物がその人の固有の免疫力に働くかは全くわかりません。だから全くのいんちきでない限り、どんなものでも誰かには効く可能性はあると思います。ただそれは確率の問題でしかないのでしょう。梅澤充氏は言っています「人間の身体は、本当に奥が深い。同様にサプリメントも、当然エビデンスはありませんが、只者ではないヤツもいるようです。ガンも何がどのように効いてくれるか分かりません。ただし、法外な値段の薬には、くれぐれもご注意ください。」といった気持ちで余裕があれば試すのもいいかもしれませんとしか言いようがありません。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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