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水戸偕楽園・弘道館

3月1日(日)
好文亭を後にして、中門をくぐると、庭園の様相は一変する。高い杉の木に覆われ、梅林の明るい世界から急に静かな暗い針葉樹林と竹林の世界に足を踏み入れることになる。

A撮影・水戸偕楽園064_convert_20090302115547

庭園解説には次のように書かれている「偕楽園は、表門から入ってこそ斉昭公が意図した“陰”から“陽”の世界を堪能できるとされています。“表門”“一の木戸”から始まる孟宗竹林・大杉森など、陰の世界があり、水戸市内に深山幽谷の世界があることに驚かされます。」

2本並んだ杉の巨木、樹齢750年という太郎杉がある。吐玉泉というこんこんと湧き水を絶やす事のない泉に人が群がっている。眼病に効くと言われた湧水は、茶室何陋庵(かろうあん)の茶の湯に供用されていたそうだ。川縁に出ると流し雛が催されていた。

流し雛とは雛祭りの大本となった行事で、雛祭りの源は、3月3日の上巳の節句の薬草摘みだったといわれているが、やがて人の形をした紙の人形(かたしろ)で体を撫でて、それを川に流すことで穢れを祓い、災厄祓いを願ったというものだ。観光客に紙を配り、各人が人形をおり、それを川に流していた。

A撮影・水戸偕楽園071_convert_20090302115141

ひらけた川べりから再び暗い森の中に入っていく。孟宗竹林と大杉森に囲まれた道を表門に向かって進む。表門(上の写真)に立ち、目を竹林から梅林に転じる。空を覆う竹と杉の深緑の暗い世界から突然光の中に放たれたような錯覚を覚える気がした。それ程、明と暗の対比が見事だった。竹林と杉林はあくまでも暗く、梅林は輝くばかりに鮮やかな明るさを放っている。

広い敷地全てが梅の木で覆われている。「水戸六名木」を中心に、白を基調としながらピンク、赤が晴れてきた空に眩い色彩を振りまいている。庭園内では梅の下で野点茶会や水戸の梅大使・水戸黄門一行との写真撮影サービス、琴の野外演奏会など様々なイベントが用意されていた。梅林を散策し、東門に戻る。

A撮影・水戸偕楽園061_convert_20090302115427

偕楽園に隣接する常磐神社は、水戸藩を代表する2代藩主徳川光圀・9代藩主徳川斉昭公祀っている神社だ。当日は梅祭りのイベントとして、神社の横にある舞台で舞が披露されていた。

神社には義烈館という展示場がある。義烈館の名は、徳川光圀公(水戸黄門)が義公(ぎこう)、徳川斉昭公が烈公(れっこう)と称される所から名付けられた。ここには追鳥狩(おいとりがり)に使用したといわれる陣太鼓や大極方砲などの遺品がある。また光圀が主導した「大日本史」が展示されている。

光圀には名君伝説があるが、水戸藩は年間財政収入の三分の一近くを「大日本史」の編纂に注ぎ込んだ。それによる、藩の財政悪化が指摘されている。一説には光圀時代は年貢比率が八公二民の超重税を強いたと言われる。結果的には「水戸学」が目指した“愛民”の理想からは逸脱してしまった側面を見なければならない。

梅の名所めぐりとして、偕楽園から弘道館というルートが紹介されていた。梅祭りの期間中の土日限定で、無料の市内周遊「漫遊バス」助さん号、角さん号が水戸の名所を巡回している。旧式のボンネットバスでレトロな雰囲気を出している。これを利用して、弘道館まで行く事にした。

A撮影・水戸偕楽園108_convert_20090302115306

弘道館略歴:水戸藩の藩校として第9代藩主徳川斉昭により天保12年(1841年)8月に創設された。藩士に文武両道の修練を積ませようと武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問をとり入れたいわば総合大学というもので、当時の藩校としては国内最大規模のものだった。敷地には、梅が60種800本植えられており、梅の名所となっている。
 
・弘道館の敷地は54,070坪(約178,400平方メートル)と大規模で、
   金沢の明倫堂(17,000坪)、
   萩の明倫館(14,000坪)、
   幕府の昌平黌(11,000坪)と比較しても構想の雄大さを窺うことができる。
・施設としては、
   正庁・至善堂・文館・武館(撃剣館・槍術館・柔術館)軍機局・天文・算数・地図等の館・
   医学館・その他の建造物、また広い調練場・馬場のある、今日の総合大学的規模であった。

弘道館の施設案内には正庁、至善堂、八掛堂、種梅記碑、要石歌碑、孔子廟、学生警鐘、梅林などの見所が記載されている。

まず最初に正庁(学校御殿)から建物の中に入る。ここは藩主が臨席し、文武の大試験、その他の儀式などに用いられた第一の場所である。そこから奥に進むと至善堂がある。至善堂の名は、斉昭が中国の経書『大学』からとって命名したものであるが、特に明治元年に最後の将軍徳川慶喜が謹慎された部屋としても有名である。

水戸偕楽園048_convert_20090302115933

建物を出て庭に降り、梅林を散策しながら、庭園を巡る。八卦堂と弘道館記の碑がある。弘道館記は次の文で始まっている「道を弘めるものは人である。故に人は人としての道を学び、これを弘める使命を持たなければならない。」

敷地内に孔子廟がある。斉昭は弘道館を開設するにあたって、その敷地内に、精神のより所としての鹿島神社と孔子廟をまつり学校の聖域とした。孔子と鹿島神宮という奇妙な取り合わせだが、そういったものとして弘道館の建学の精神はあるのだろう。

弘道館正門
は老朽化が激しく通常開門されないが、梅祭りの土日に限り開門されくぐることが出来た。水戸城跡大手橋に向かい、正庁の正面にある門で、棧瓦葺きの四脚門、左右に瓦葺きの漆喰塗り土塀が続いている。重要文化財である。ここから弘道館を出て、大手橋の横の階段を下り水戸駅に向かった。

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