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ももバー

4月18日(土)
血液患者コミュニティー「ももの木」の活動の中心として患者、元患者、家族、関係者が気兼ねなく集まり、語り合う場として交流会がある。ここには通常20人から30人ほど集まり、共通の病気や、体験者が5,6人ずつグループになって闘病生活や退院後の生活のあり方などの情報を交換し、生きる展望を探って行く。

この交流会は2月一度土曜日の日中行われる。ここに出られない人やももの木の理事長の田中医師と直接話したい人が小規模で集まれる場がほしいという要望があり、2006年3月から「ももカフェ」がももの木の新しい活動として行なわれるようになった。

しかし、ももカフェだと女性しか集まらないということで、もう少しざっくばっらんにお酒でも飲みながら話しましょうということで「ももバー」と名前を改めて昨年7月から再出発した。最初は1ケ月一度行われていたが今は2ケ月一度新宿3丁目の『楽屋』という喫茶店で18時から行っている。酒好きの私はこのモモバーになってから、ほとんど出席している。参加人数も多い時もあるが通常7,8人で話しやすいし、田中医師がいることで、普段主治医になかなか聞けない病気の悩みやなど色々相談も出来る。

昨日「ももバー」が行われた。そこに40歳少し過ぎ位の父親と20歳の娘が参加した。その父親の話しは、世の中にはこのように矢継ぎ早に不幸が続くことがあるのと思うような人生だった。苛酷な運命は人を強くすることはあるだろうが、あまりにも苛酷だとそれに押しつぶされてしまうかもしれない。

何年か前から息子の不良問題に悩まされていた。その心労もあってか妻が1年半前に急死してしまった。その頃19歳の娘は妊娠し子供が生まれた。子供が生まれて3ケ月も経たない頃、体中あざができ、最初は出産の後遺症かと思っていたが中々治らないので医者に行って精密検査をし白血病と診断された。それを聞いて父親が病院に駆けつける時に自動車事故を起こしてしまった。

娘は即入院になった。病棟では基本的には子供面会は出来なかった。とりわけ正常な白血球が減少し免疫力が低下しクリンー・ルームでの生活を余儀なくされている状態ではなおさらだ。子供と会うことが出来ないことが一番辛かったと言っていた。入院した時ははいはいしていたのに、退院した時は走っていて感動したという。入院中はずっと夫が子供の面倒を見ていたということだ。

父親は娘何としても助けたい一身で治療を巡ってセカンドピニオンに行ったり、田中医師に相談に行ったり東西奔走して回ったそうだ。入院中も特別に許可を取って病室に寝泊りしたそうだ。もし娘に万が一のことがあったら自分は何を心の支えとして生きていけるだろうとも思ったという。結果的に娘は臍帯血移植が成功し6ケ月で退院することが出来た。

退院してから入院中毎日のように面会に来ていたくれたおばあちゃんが退院後1ケ月後死んでしまった。次々と苛酷な運命の来襲、息子の問題、妻の死、娘の白血病宣告、自動車事故、おばあちゃんの死これらが続いて一人の人の身の上に襲いかかることがあるとは世の中どう見ても不公平だと思いたくなるだろう。

ただ救いがある、孫の誕生と成長、娘が白血病から生還したということだ。これを拠り所して生きる力を得ていくことが出来るだろう。

入院中もそうだったが、患者やその家族の話は、決して楽しい話ではない。辛く苦しく不幸を一身に集めたような話ばかりだ。しかし人は絶望の淵の中で自分の本音をさらけ出し、その人の本当の姿を表してくる。そこにはこの世の中の縮図が示されているようだ。

こういった体験を経ながら人は今日も生きていかなければならない。どこかで生きる目的と希望を求めながら、どこかに突破口を見つけようと必死になって生きて行っている。それはどんなドラマよりもドラマティックな物語だ。「人生、社会という濁流の中で起きる出来事の決定権は自分にはなくても、その流れにどう乗るかは自分の意志」(宮沢和史)。科せられた運命をどう乗り越えていくかの選択は自らの意志にあるのだ。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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こんな不幸なこともあるのですね。
娘をなんとしても助けなければ!という思いがこの方を強くしたのでしょうか。
そうでなければ重なる不幸をのろったり、落ち込んでしまって精神的に変調をきたすことも
あるでしょうに…。
あまりの大変さに、不運を嘆くゆとりもなかったのかもしれません。
ももバーに参加されて、自分を受け止めてくれる人がいることを確認できたこともよかったのでしょう。
娘さんが回復されたことをきっかけに、これからはおだやかな生活が取り戻せることを
こころから祈らずにはいらせません。

この父親を見ていると穏やかで、物分りがよく恐らく子供たちへの接し方は丁寧で優しかったと思われます。2人の子供がいて一見幸せな家庭のように思われます。どういった子育ての仕方をすればいいのか、その答えはどこにもないという事を思い知らされます。
長女は高校を出て直ぐ男と暮し始め生活力がない中で19歳で子供を生みます。弟は不良仲間と付き合い色々問題を起こします。何故そうなったのか両親は恐らく全く理解できなかったでしょう。そして解決の方法も分らなかったでしょう。
しかし娘の病気を共にくぐることによって娘との心からの和解が出来たし、また息子も母親の死と、姉の病気の中で自らの生き方を見直すことになったということです。一つの病が家庭の絆を取り戻したような気がします。幸福も不幸も紙一重のようなものです。
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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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