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映画 『第三の男』

4月21日(火)
安売り店「大黒屋」に買い物に行った。その時、入口に古い映画のDVDが10種類ほど並んでいた。「風と共に去りぬ」「カサブランカ」「哀愁」など過去の名作ばかりだ。それが何と300円で売っていた。レンタルDVDを借りるより安い。その中に「第三の男」があった。以前から見たいと思っていた映画だ。何故か見る機会に巡りあえなかった。早速買った。この映画は、第二次世界大戦直後のオーストリアで、四ヶ国(米英仏ソ)によって四分割統治される首都ウィーンの殺伐とした世相を背景とするサスペン映画だ。1949年製作。

第三の_convert_20100507213732STORY: 第二次大戦直後、廃墟になったウィーンにアメリカ人の作家ホリー(ジョセフ・コットン)が列車から降りた。親友のハリー(オーソン・ウエルズ)を訪ねて来たのだ。しかし、着くや否やハリーの死を知らされる。車に轢かれて死んだという。釈然としないホリーはハリーの愛人アンナ(アリダ・バリ)をはじめハリーのことを聞いてまわるが謎のまま。

だが、イギリス占領軍の少佐(トレバー・ハワード)から意外な情報がもたらされる。ハリーは水で薄めたペニシリンを横流しする闇取引の黒幕だったというのだ。しかも多数の犠牲者を出していた。

そんな折、ハリーの死体を運んだ第三の男を見たという門番の証言が出た。第三の男とは誰なのか?アンナのアパートからの帰り道、ホリーは、アパートの下に不審な人影を発見する。闇から浮かび上がった顔はなんとハリーではないか。ホリーは追った。しかしハリーは忽然と消えてしまう。夢か幻か。いったいハリーはどこへ消えたのか?謎が謎を呼び鮮烈なラストの地下下水道での追跡劇へと続く。

音楽
映画が始まると同時に流れてくるのが、良く聞いたことのあるメロディーだ。全編にわたって「ハリー・ライムのテーマ」が変奏されて用いられており効果をあげている。この音楽にアントーン・カラスが演奏する民俗楽器のツィターを採用し、弦楽器一本で伴奏がつけられているのだがこの味わい深いテーマ音楽がある時は軽快に、ある時は鮮烈にサスペンスを盛り上げている。

光と影の芸術

映画全体に貫く光と影のコントラストを巧みに使った映像の作り方には感動させられる。モノクロ映画の醍醐味だ。黒澤明の映画「七人の侍」や、イングマール・ベルイマンの「第七の封印」などに見られる白と黒の絶妙な色の構成が全編に貫いている。

特に印象的なシーンは、ライムが初めて現れるシーン。猫が足に絡みついている斜めの影である人物を描写する、光は猫の所にしか届いていない。しかしこのアンナの猫はただハリーだけに慣れていたということを知っている観客はその影の人物がハリーであることを知っている。

ホリーが、怪しげな人物を追求しようと叫んだ時に、その声で近所の人が窓を開けた。その明かりが暗闇を照らし出すと、そこにライムの顔が映し出される。夜のウィーンの街角の一角の闇の中に顔だけを浮かび上がらせるときの不気味にニヤリとした風情は、オーソン・ウェルズでしかとうていあらわせない。このシーンのためにオーソン・ウエルズが必要だと言ってもいいほどの表情だ。

また、軍隊の包囲網の中、逃げるライムの影。モノクロ映画ならではの素晴しさが、そこにある。少し斜め気味に撮影したユニークな構図や、光と影のコントラストを強調した映像がこの映画の大きな持ち味となっているだろう。

構図の妙 

被写体を俯瞰したり、仰角、斜めと様々な撮影方法を駆使している。主に下方から撮る方法を駆使している。ホリーとその後景にある巨大な観覧車を下方から捉え人物と観覧車とを対比することでその迫力を強調している。それに続く観覧車の幾何学的に見える軸を観覧車の窓から捉え、そこから見下ろす2人の姿を観覧車の鉄枠の中に織り込んでみせる技法、夜の町の壁に長く延びた風船売りの老人の影を斜めから捉えることによって、ウィーンの夜の闇の深さを表現している。

白い光を放つ下水道の奥へ逃げていくハリーの小さな姿や、鉄格子の間から突き出たハリーの指を映し出し、ハリーの必死でありながらしかも絶望的な微妙な心理を映像の中で表現している。最後に、本物のハリーの葬式の後、長い並木道の左手で突っ立っているホリーと向こうからやってくるアンナを捉えた遠近法かつ対照的なロングショットは、ただ何も語らず時間だけが流れて行くその中にすべての結末が凝縮されている。ただ構図だけでそれを表現している。

台詞
観覧車の中で、ハリーはホリーに対して、自己の犯罪を正当化し一切反省の色を見せない。大観覧車から遥か下に芥子粒のように小さく見える人間を指してこう言う。「あの小さな点の一つが永遠に動かなくなって、哀れを感じるかね?」と。 

そして、別れ際最後にホリーに言う「ボルジア家の30年の圧政はミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチのルネッサンスを生んだが、スイスの500年のデモクラシーと平和は何を生んだ? 鳩時計さ」この言葉は、オーソン・ウエルズが脚本になかったものを付け加えたと言われている。映画史上最高の名セリフになっている。「悪をこれほど正当化するセリフはない」といった見方もあるが、一般的には、優れた芸術作品は、穏やかで平和な時代よりも変化と混乱の時代に生まれるのは事実だ。

最後のシーン

最後の名シーンといわれる場面はことさら印象的だ。警部とともにホリーを乗せた車が、いったん冬枯れの並木道のアンナを追い越す。飛行機の時間が迫っている。ホリーはそれでも警部に車から降ろしてくれと頼む。警部はホリーを降ろし車は去って行く。

カメラが並木道をまっすぐに映し出すと、遠くにアンナが見える。遠方から並木道を歩いてくるヒロインを撮り続けるカメラ。なんとも言い現しようがない感動的なシーンだ。

ホリーが道端でそれを待っているあいだ、カメラはしだいに近づくアンナと舞い散る枯れ葉を撮りつづけている。アンナが徐々にホリーに近付いてくる。ホリーとアンナはすれ違う。ホリーの傍らを過ぎるアンナは一瞥もくれずに無視してそのまま歩き去っていってしまう。そこでチターの音色が何処からともなく聞こえてきて映画は幕を閉じるのである。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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がん治療とは長く細い道を辿ら
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