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現代社会の労働者の現状

5月19日(火)
現代の労働者の状態
資本主義社会における労働は、マルクスの指摘にあるように、まさに疎外された労働として立ち現れる。「・・・労働者はより多くの商品を創造すればするほど、彼はそれだけいっそう安い一個の商品となる。事物世界の価値増大に、人間世界の価値下落が直接比例して進む・・・すなわち労働が生産する所の対象、労働の生産物は、労働者に対してある疎遠なものとして生産者に依存しない力として立ち向かうということ」(『経哲草稿』)。そして現在、分業の更なる加速の中でそれはますます進行している。

だが今日の労働環境はマルクスの予想した地点を遥かに越え労働者に対して苛酷な運命をもたらしている。アメリカ発の経済危機が世界中に広がり、国内の雇用情勢の悪化が加速している。真っ先に、雇用契約が更新されなかったり途中で打ち切られたりする「派遣切り」が急速に進行している。製造業の非正規労働者の失職者は、昨年末には3月までに30万人と算定されていたが、恐らく現在、総失業者数は100万人に迫ってきているのではないか。

新自由主義経済の破綻
「聖域なき構造改革」の大号令の下、小泉・竹中のネオコン路線の下、新自由主義経済を推し進め、経団連の奥野を含めた経済・財政諮問会議の方針によって、産業再編合理化が急ピッチに進められた。派遣法の改悪を始め、労働法制の規制緩和の中で大量のリストラと合理化、下請け切捨てを行い、正社員を削減し、下請け、派遣労働者を大量に導入していった。

こういった政策、路線の結果、大企業はバブル期を超える収益を上げ、一方労働者は悲惨過酷な労働条件に追い込まれていったのである。その政策の誤りが今はっきりと形を取って現れてきた。

今回の大不況は正社員にも及んでいる、大企業においても正社員のリストラが始まっている。内定取り消しもかなりの数になっている。製造業の下請け企業も発注減で経営が成り立たなくなって来ているところが多い。大企業から中小、零細企業を貫いた不況の波の中で労働者の雇用条件は最低以下の状態に叩き込まれている。

貧困スパイラル
反貧困ネットワークの湯浅誠氏はこの状態を貧困スパイラルと言っている。構造改革による社会保障の弱体化の中で、貧困は社会全体に拡散していく。非正規労働者を拡大させ、不況になれば切り捨て、雇用保険未加入者が1千万人を越え、失業すれば生活できない。生活保護も10人のうち申請が通るのは2,3人しかいない。また中小企業への緊急小口融資の制限が強まっている。銀行の貸し剥がしが進行している。

さらに教育費が高く貧困の世代間連鎖、子供の貧困へと、貧困の社会化が進行している。社会のセフティ・ネットの脆弱さの中で、失業者は自殺するか、犯罪においこまれるか、ホームレスに追いやられる。こういった貧困スパイラルの根を何処で断ち切るのか。

湯浅氏は、貧困対策として、まず、シェルター+相談窓口の設置から始め、緊急小口貸付制度を活用する、生活保護を取る、アパートを借りるなどの最初一歩を踏み出す必要を訴える。そして政策的には、教育、住宅の整備、派遣法改正、つなぎ融資の要件緩和、雇用保険の獲得、生活保護の枠の拡大を目指していく事を提言している。しかしこれは大変な道のりである。

現在の労働現場は、そして溢れる失業者の状態は、希望する職種を選べる様な状態ではなく、「NOと言えない大量の労働者」を生み出している。どのような労働条件でも働く所があればいいので、何としても明日の食事代を稼がなければならない所まで追い込まれている。労働条件に文句を言えるわけはない。こういった大量の労働者群の存在は、日本の労働者の今まで勝ち取ってきた労働者の権利をますます引き下げていく役割を図らずも担っていってしまっているのである。

現代社会の中で働くということ
今日のこのような労働現場の只中で、働くということはどういったことなのだろうか。もちろん基本的には生活するためであり、苛酷な現実の中でそれが全面に押し出されてしまっているが、本来はもう一つ労働過程に係わることの意味があるのではないか。それは仕事を通しての社会性の獲得であるように思われる。

人は一人では生活できない。人との関係の中で自己の存在を確認しながら生きていっている。職場人間関係がどのようなものであれ、そういった関係の中で、自己は自己としての存在を確認していくことが出来る。このような社会性の獲得が労働過程への参加の目的の一つではないだろうか。

職を持たない人、または定年退職した人などは何処で社会性を獲得していくのか。ある老人の話を聞いたことがある。妻が死に息子に誘われて住み慣れた故郷を離れて、息子夫婦と一緒に暮し始めた。しかし全く話し相手がなく孤独の中で田舎に帰る事を考えているという。田舎では知り合いがいて話し相手には事欠かない。また老人クラブや村の催しや役割分担などで色々やることがある。そういった村落共同体の関係も今は段々崩れていってきているのは確かだが。

都会に住んでいる人は、どうしているのだろう。日本ではまだ定着していないがボランティア活動は徐々に広まりつつある。仕事に就いていないため失われている社会性、あるいは新たな人間関係の形成をそういった活動に求めていくことによって得ることが出来るのではないか。

時間があるから暇つぶしにやるということで係わり始める人もいるかもしれないが、しかしその人の内心は、個としての自己は完結しない存在であり、他社との関係、とりわけ社会との関係を切り結ぶことによって自己を確定し、自己の存在を対象化していこうとする願望があるのではないか。人は個としては生きられない。社会との何らかの係わりの中で自らを見出していくことが出来るのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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