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何を伝えるのか

5月25日(月)
◆ 「いのちの授業」とは
「いのちの授業」は様々な所で行われている、主にがんや難病を体験し、その体験から命の貴さを感じそれを多くの人に、とりわけ子供たちに知ってもらおうと学校で体験談を語る。また学校の道徳の時間に、いのちについての体験談を書いた教材を読み、生徒たちに感想を求める方法などがある。医者が行っている「いのちの授業」もある。

よく知られているのは山田泉さんの「いのちの授業」だ。乳がんが再々発し命の危機に直面した彼女は、自らのがん体験を子どもらに語り、生きることの意味を共に考えていく「いのちの授業」を行っていった。そして思春期に揺れる子らの心を揺さぶり、人間の尊厳に目を開かせていった。

その山田さんが言っている。「稙田(わさだ)妙子さんを招いての“いのちの授業”の記録は、私の宝物です。余命3カ月と告知を受けた彼女は、人が死ぬということはどういうことなのか、死を見つめて生きる人間の輝きを、子どもたちに精いっぱい伝えて、旅立っていかれました。」

◆ ももの木の「いのちの授業」の始まり
看護学校から「患者さんの生の声を聞きたい」という講演の依頼を受けた事が始まりだった。それをきっかけとして「ももの木」の交流会に参加していた人が、是非自分の子供の学校でも話をしてほしいという事で、保護者が小学校に働きかけ2002年12月狭山市の小学校で初めてももの木の「いのちの授業」が行われた。

その頃は子供たちのいじめや自殺などの暗いニュースが多かった時期で、親や先生が子供に注意しても、子供は慣れっこになって話をまともに聞かない。そこで直接自分たちとかかわりのない第三者で、しかも、もしかしたら本当に死んでいたかもしれないという状況を経験した人の話なら、子供たちも何か感じてくれるのではないかと考えて話を要請したということだった。

初めての講演後、子供たちから「死ね」という言葉を聞くことが少なくなったと保護者の人から聞き、その後も継続することになった。こういったことで始まった「いのちの授業」は、2008年9月には60回目を数えるに至った。

◆ 「いのちの授業」で訴えたいこと
「いのちの授業」には回答は存在しない。授業に参加し、死に直面した患者の話を聞いてもらい、皆が「命の大切さ」ということを考え感じてもらえること、そのきっかけを与えることが出来るのが望みである。この時間を共有することで一緒に考え感じてもらい、コミュニケーション作っていく糸口になればいいと思っている。

ももの木の「いのちの授業」では、学校に事前アンケート、感想文作成、事後アンケートなどを頼んでいる。これは普段は全く考えることがないだろう「命」について少しでも考える機会を多く持ってもらいたいからだ。患者の体験談は考える一つのきっかけでしかなく、それを通して子供たち個々が考えを深めていってもらい、また将来何かあった時に思い出して生きる気力を持てるようなことにつながればいいと思う。

患者の多くは自分が死と向かい合う事で、自分の大切さを知ることになった。自分を大事しないと、人を大事にすることは出来ないのではないではないだろうか。ももの木のメンバーは、このような気持ちや願いを持って「いのちの授業」を継続している。

◆ 「いのち」について考えるきっかけを
がん患者であろうとも、普通の人であろうとも「人はいつかは死ぬ」という事実は変えようがない。その意味で、全ての人は同じ条件で生きているといえると思う。そう考えると何もがん患者や病気を抱えている人だけが特別なのではない。問題は残りの人生をどう生きるのかに関わってくるということだけなのだ。

死を見つめることは、生きていることそのことに意味を見出すことになる。生きて日々を送っているそのこと自体に意味があるのです。「人はいつかは死ぬ」という事をいかに受け止め日々生きていくか、限られた時間の中でいかに生を全うしていくのか、時には立ち止まって考えてみる必要があるのではないか。

今ニュースでも騒がれているように景気が後退し、企業が倒産し、失業者が増え、そういった中で自殺者が増加している。年間3万人以上が自殺している。無差別殺人も起こっている。こういった殺伐とした世の中だからこそ、むしろ命の大切さについて考えなければならないと思う。

一方では「死にたい」という人がいる。しかし、もう一方では生きるために懸命に闘っている人たちがいる。ある闘病中の患者は、自殺しようとする人に対して強く糾弾する「あなたが”死にたい”と思って無駄に過ごした今日は、昨日死んで行った人が懸命に”生きたい”と思って努力した明日なのです。」この言葉には、人間のいのちの重さを再認識させ、人を納得させる強いメッセージがある。

◆ 患者としての想い
「死」について思いを馳せる時、あたりまえのようにそこにあった自分の生が再び鮮やかによみがえってきて、それがとても尊いものであることに気づかせてくれる。

猿渡瞳さんは『瞳スーパーデラックス』(西日本新聞社刊)の中で次のように書いている。「今の世の中、人と人とが殺しあう戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。」がんと闘い、限られた命を見つめ最期の一日まであきらめずに生き抜いた13歳の少女は激しく訴えている。

ももの木の「いのちの授業」のメンバーである血液ガンの患者は、死と隣り合わせの時を潜り抜け、今生きて立っていられる。多くの同じ病気で死んだ人たちの中で生き残っている。確かに死は怖い。しかし人間誰でも何時かは死ぬことになる。だからこそ、限られた命だからこそ自分のやりたいことを一生懸命やって悔いのない人生を送ろうと思う。

患者が語る闘病体験を聞く事を通して、多くの子供たちはかなり深いところまで考えていく。「人は何故生きるのか」「死とは何か」「どのように生きていくのか」といった本質的な問題にまで質問は及ぶ。思考は限りなく広がっていく。そういったものとして「いのちの授業」は意味を持つのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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Author:yosimine
がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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