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『アボリショニストの視点』-フルスマン記念論文集より

5月26日(火)
現在アメリカでは200万人を超える受刑者がいる。これは犯罪原因を個々の犯罪者に求めその隔離が犯罪を減少させるという厳罰化政策によってである。日本においても凶悪犯罪は減少傾向にあるにもかかわらず、重罰化の進展によって過剰拘禁が起きている。

各国の受刑者率と犯罪率は全く相関がない。むしろ受刑者率と所得格差や福祉予算等を比較して、犯罪との戦いより、貧困との戦いこそが受刑者率を引き下げるものあることが明らかである。つまり拘禁の強化は犯罪抑止に何ら効果をもたらさない。むしろ貧困を改善する社会福祉政策の遂行こそ、犯罪の減少に直結するものである。

書棚を整理していたら、20年位前に発行された『警察研究』のバックナンバーが出てきた。そこに書かれていたのは『学会展望―最近の外国刑法事情・アボリショニストの視点』という論文の連載だった。「刑事司法制度廃止論者(アボリショニスト)の急先鋒として世界にその名を知られているエラスムス大学ロッテルダム校法学部教授ルーク・フルスマンの退官を記念して、同大学司法研究所は記念論文集を特集した」その論文集の要約だという。現在の刑事司法制度の問題点を考える上で、フルスマンの視点は考えるべき点を多く持っている。簡単に紹介してみたい。

Ⅰ、フルスマンのアボリショニズムの立場


フルスマンは主張する。刑事司法制度は完全に廃止されなければならない。何故ならそれは「犯罪」と一般に呼ばれている問題を取り扱うための人道的かつ意味ある方法を、決して論理的に提供するものではないからである。

フルスマンが刑事司法制度を廃止されるべき社会問題として理解する根拠は、次の4点に基づいている。
、刑事司法制度は苦痛を科す。犯罪者の自由の剥奪が苦痛であることはいうまでもないが、その家族、近親者にも苦痛を科すことになる。さらに多くが既に社会の周縁部に属する人達であることを鑑みると、社会の不公平と問題性を一層増大させる事になる。

、刑事司法制度は、その制度自体が公言している目的を達成するものとして機能していない。

、刑事司法制度は統御不可能になっている。この制度は統御関係当事者から紛争を「潜脱」して、ほとんど丸腰の状態にさせられている犯罪者と国家官憲との間の紛争へと変質させてしまっている。

、現代の多様化した社会(極度に分業化され、価値観と現実認識が実質的に異なる)においては、「犯罪」「犯罪者」及び「刑罰」という概念を基礎として動いている刑事司法制度によっては、社会に生起する多様な問題を有効・適切に解決できない。むしろ「犯罪」と規定する事によって、当該問題の合理的分析と、それを処理するための最も有効な手段の発見をかたくなに阻止する。

Ⅱ、刑事司法概念の転換


フルスマンにおいては、刑事司法制度の廃止とは、その運用を実際に基礎づけている概念の廃止を意味することとなる。彼は「犯罪」を「問題状況」、「犯罪者」を「直接関係者」、「刑罰」を「社会統制・社会構造変容の様式」と置き換える。

犯罪事実を含む問題状況は、人間存在の中心的な一部であり、食料や空気同様に、人間存在にとって不可欠な生活の一部である。

個々の具体的状況における問題の本質が、社会関係的なものか、対人関係的なものかが解釈されなければならない。もし社会関係的なものであれば、社会構造上の欠陥が手直しされねばならず、もし対人関係的なものであれば、社会統制の様式の中から、直接当事者間での徹底した話し合いを通して、解決手段が創造的かつ柔軟に選択されることとなる。

Ⅲ、フルスマンの思想


1、フルスマンの問題提起

第1に、刑事制度は犯罪に対応する方法として唯一最高のものではない。第2に、犯罪は刑事制度の確立に選考する特定の範疇や所与のものとして独自に存在するものでなく、その制度の結果として存在する。第3に犯罪者即ち刑法によって犯罪と定義された行為を行うものは、人類学上何らかの点で「非犯罪者」と違った、それ自体でほかと区別して認識しうるような異常な存在ではない。

2、犯罪現象に対するアプローチのあり方
現在、犯罪問題は単に法律上の問題として理解されるばかりではなく、様々な学際的アプローチが要求される多面的問題と考えられている。刑罰的・法的思考を放棄して「犯罪状況」、真の「犯罪性」を構成する社会矛盾に目を向けなければならない。

3、再社会化

再社会化とは当該個人を取り巻く環境に対する処置をも含む。かくしてそれは社会そのもの参加が要求される。そのプロセスは本人と社会の双方の側の受容と参加を必要とし、これら両者の協働と出会いは、市民社会の連帯の証である。再社会化は権威主義的な価値の押し付けによる個人の操作ではなく、衝突が生ずる環境の社会的再統合なのである。かくして人は処遇の客体から、社会権の主体となり、再社会化の手段は行為者と被害者の社会的再統合に合致するよう発展させられる事になるだろう。

4、非刑罰化

現在の非犯罪化の大きな動きは、ある刑罰の代替えを求めるのではなく、対応の多様性を探り、我々に非刑罰的解決を求めるのであって重要な意味を持っている。非刑罰化は単なる刑罰の削減や、拘禁についての争いとは全く異なり、刑罰制度それ自体の正当性に関する問題提起のみならず、拡大された社会政策の方向に向けて犯罪政策を進歩的に社会化することの必要性に対する提言をも含んでいる。

5、被害者と加害者

刑罰は、第1に個人的なものであり他のものにより代替えすることができず、第2に感情に由来するものであり、第3に無目的なものである。この立場は功利的刑罰論に比して一定の利点が求められる。

つまり無目的な刑罰は、一層純粋にモラルの問題に帰着する事になるから、構成員は刑罰を賦課することが正しいかどうかを熟慮せねばならない。規範違反者は責任を問われしばしば釈明をしようとするから、刑事訴訟手続きは対話と変えられ、我々は、民事訴訟手続きと損害賠償へと立ち戻る事になるが、もちろんそれは、利益システムにおけるのとは異なった形においてである。

紛争処理手続きは本来刑罰的な対応であってはならず、基本的には被害者に対するサービスとして民事的なものでなくてはならない。加害者を処罰することによってではなく。国家の干渉を最小限に留め、紛争の直接当事者である被害者、加害者の間での民事的、和解的な解決を目指すべきである。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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