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お墓のこと

6月21日(日)
伯父の3回忌が行われるということで、伯父の自宅であった府中に向かった。実際には3回忌は自宅ではなく伯父の墓地に僧侶を呼んで行われる。府中から車に分乗して墓地まで行く。ところがその墓地というのが遥か彼方にあるのだ。

伯父は青梅線奥多摩駅から車で10分以上かかる所にある奥多摩霊園という所に埋葬されている。奥多摩の山を一つ切り開いて、山全体を墓地に変え、霊園を作ったということだ。

奥多摩霊園の案内書には次のように書いてある「墓地は高台にあり、どの区画からも抜群の展望です。自然と調和した美しい環境の中に、永遠の安らぎを願い、秩父多摩甲斐国立公園のゆるやかな丘陵地にひらかれた霊園です。東京に残された自然の恵みが、安らぎの環境をつくります。

近くには御嶽山、奥多摩湖、日原鍾乳洞、玉堂美術館、吉川英冶記念館などがあり、ハイキングコースや釣堀と行楽地が多彩で観光を兼ねたお墓参りができます。」

o-okutama_convert_20090621224732.jpg故人にとっては見晴らしのいい所だろうが死んでしまっているのだからあまり関係ない。要は墓参りに来る家族の考え方の問題だ。伯父の息子が墓を買った経過を話してくれた。伯父の一族の菩提寺は新宿区山吹町にあるのだが、そこではもう墓を建てる余裕はない。

そこの住職に相談した。住職からは、ピクニックとかハイキングとかを兼ねて墓参りが出来るような所がいいのではないかと言われたので、色々考えた末「奥多摩霊園」に決めたそうだ。かなり遠い。府中の自宅から2時間近くかかる。だが別の考え方をすれば墓がなければ奥多摩くんだりまで出向いては行かない。自然と触れ合う機会も持つことはない。

奥多摩駅からかなりの急坂のヘアピンカーブを次々と曲がりながら途中管理棟に寄り、仏花と卒塔婆を受け取り、墓地まで登っていく。墓地に着いた。山の中腹に位置する伯父の墓の場所から見える山々は霧に霞み深山の雰囲気をかもし出していた。山裾まで眺望がきいている。確かに見晴らしは抜群だ。

墓の掃除をし、花を飾り、線香を上げていると僧侶が到着した。雨が降ってきた。傘を差したまま3回忌の読経が山間に響く。20分位で3回忌は滞りなく行われた。僧侶は何処から来たのか聞いた所、1つ隣駅の寺の僧侶で、奥多摩霊園に頼んで手配してもらったそうだ。霊園は近隣の僧侶を登録しておいて、必要に応じて出張してもらうという。

どのような宗派の人にも対応する。つまりお経でありさえすれば何でもいいという相手でなければこのシステムは機能しない。しかし、今までそれで問題が起こったことはないということだ。何宗の僧侶が来るかは分らない。どのような経文が読まれるか分らない。しかしほとんどの人がそれでいいというのがなんとも言えずおもしろい。

東京からわざわざ奥多摩の奥地まで僧侶を呼ぶわけには行かない。そこで、地元の僧侶に頼むわけだが、宗派は一切問わない。お経が読まれさえすれば、行事は滞り完了するということだ。この驚くべき形式主義、これが日本人の仏教に対する平均的考えだろう。習慣として通夜や葬式にお経は必要だが、特定の宗旨のお経が必要だとは露ほどにも思っているわけではない。

奥多摩霊園を後にして、精進落しということで、御岳駅近くの、青梅の酒澤乃井の小澤酒蔵経営の料亭ままごとや(飯事)という所に行った。食事まで時間があったので周辺をぶらぶらした。吊橋で多摩川の対岸に渡ると櫛かんざし美術館がある。

中国蘇州の寒山寺から持ち帰った釈迦仏木を祀り、同じく寒山寺と名付けたお堂が御岳渓谷の遊歩道沿いにひっそりと佇んでいる。近代日本画の巨匠・川合玉堂の作品を所蔵した玉堂美術館などある。御岳山や御岳渓谷はよく知られているが見所は他にも色々ある。墓参りの帰り道行く所には事欠かない。山奥の墓という発想法があるということに初めて気がついた。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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似てますね

日本人が結婚式をハワイで、ホテル付属のチャペルでお雇い牧師を呼んでするってのに、
結局仏教も日本人にとっては所詮外来なんですよね、僕は最近とみに日本の文化は大部分が外来になってしまい、ファッションにしろ食事にしろいちいち大騒ぎし過ぎるんじゃないかって思い始めたんですよ、歳のせいかもしれませんが。
最近モディフィランって言う昆布のサプリと椎茸茶をやりだしてから、なんだ両方とも日本の出汁の素じゃんかなんて思ったりして、意外と食事なんかも純和風にした方が栄養バランスが取れるのかも知れません。

狂四郎さんお久しぶりです。いつもブログには訪問させてもらっていますが、コメントも書かず失礼していました。コメント有難う御座います。習慣としての宗教、ファッションとしての宗教そういった現状を色々な所で感じます。
江戸時代、江戸の町は物のリサイクルが徹底して行われていたと聞いています。捨てるものは全くなく、食料を自給し、全て自然の循環に従って消費され再生されていたようです。もっとも物資があまりにも少なく、捨てる余裕などなかったというのが現状でしょうが。
こういった文化がどんどん失われていっているようです。これも外来文化の影響でしょうか。食生活も欧米並みになり糖尿病など様々な疾患が増加してきている現状の中で、改めて昔の日本人の食生活を思い起こしてみるのもいいかもしれません。
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