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千葉敦子 『ニューヨークでがんと生きる』

6月30日(水)
大分前に友人の家に行った時に、本の整理をしていて、100冊近くの本が山積みにされていた。本はひたすら溜まる一方で、本箱から溢れ出てきてしまい時々整理して売りに出す、欲しい本があれば持って行っていいよということで、何冊か持ち帰った。

その中に千葉敦子さんの本があったので4冊貰って来た。今まで闘病記などは全く読んだことがなかった。買ってまで読もうとは思わなかった。がんとどう対峙するかは、人それぞれで参考になるとは思えなかったからだ。

昔からエネルギーレベルの高い人と話すのが苦手だった。千葉敦子さんは自分でも言っているが、その部類に属する。激しい情熱を持って仕事に打ち込み、日常生活もエネルギッシュにこなす。しかし、最近はそういった人と話してもあまり苦手意識がなくなり、疲れなくなった。そのせいか千葉さんの本もすんなりと入るようになった。彼女の『ニューヨークでがんと生きる』という本を読んだ。

この本が書かれたのは1983年で、今の日本のがん治療、がんの患者の置かれた状況とはかなり違っている。その頃は患者へのがんの告知がほとんど行われない状態だった。従って今でこそ言われる「インフォームド・コンセント」などありようがなかった。そういった時代に書かれていながら、がん患者としての心構えについての彼女の提言は今でも参考になる。

彼女は、自分の病状、治療経過、アメリカのがん治療の現状について客観的に理論的に記録しジャーナリストとして叙述していっている。その文章はむしろ、感情的興奮を抑制し、あくまでも取材者として自己を対象化していて、読むほうにとってみれば極めて受け入れやすい。

『ニューヨークでがんと生きる』より
newy_convert_20100614232340.jpgがんは治る可能性より治らない可能性の高い病気であることをしっかりと心に刻み付けて初めて闘病の計画が意味あるものになる。「治ったとき」にだけ希望を託して、今現在何をやるべきかを見失っている患者があまりにも多い。

最初の治療のあと、再発するまでの期間は充実した人生を送るべき最も大切な時間なのだ。この期間に、自分の人生から下らぬものを排除して、本当に大事なことにだけ、時間を使うという習慣を身につけてしまえば、再発再々発に見舞われてもそれ程あわてなくてもすむ。(文春文庫p151)

がんは日本人成人の三人に一人がいつかはかかる、ありふれた病気なのだ。がんにかかって他の人よりは早く死ぬことがそれ程不幸なことだろうか。誰だっていつかは死ぬのだし、たいていの人は病気で死ぬ。ガンで死ぬことが格別不幸だとは、私には思えない。どんな病気にかかろうとも、死ぬまでの時期をどう生きるかだけが問題なのだと思う。(p152)

がん患者は、知性と感性を備えた生きた人間なのだ。物理的な痛みや吐気も確かに辛いが、患者にとって人間らしく生きていけるかどうか、これからも生きていけるかどうかの問題の方がもっと切実だ。(p171)

がんは多くの死病と違って診断されてすぐに死なないのが特徴だ。だから残された時間をどう生きるかを患者が決められる、珍しい病気といっていい。どの位生きられるかは医者にも分らないことが多い。いつまで生きられるか分らないという不確実性こそ人生の本質ではないか。(p208)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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懐かしいですね、千葉敦子さん確か亡くなったんでしたよね、僕もあのフェミニズム全盛の頃読みました、彼氏とのシャワーの描写とか多少露悪的で何冊か読むと食傷気味になって来ましたが、彼女の"today is the first day of the rest of your life"って標語を便所の扉に貼っていたというのが印象的でした。
人にものを依頼するのはわざわざ義理を作る為に世話になってやってるのだみたいな下りも、姉が同じような事を言ったのには参りましたが、日本人批判とかかなり気に入ってました当時。

千葉さんは1987年46歳で亡くなりました。若くして死んでしまったという感じです。自分の短い人生を悟っていたかのように、がむしゃらに仕事をし、趣味にも、人間関係を作る事にも力を注いでいました。
彼女が便所に貼っていた標語というのが確かに、彼女の生き方を端的に示しているようですね。しかし、毎日残りの人生の一日目と考えながら生きていくというのも疲れる話です。そんな緊張感を持って日々過ごしていくのは並大抵の神経では出来ないでしょう。
がん患者だけでなく誰でも残りの人生を生きているのだから、がん患者だからといってそんなに気張って生きていこうなどと考えなくてもいいのではないかとも思います。気楽に余命を楽しんでいくという生き方だってあるのではないだろうか、と彼女の本を読んでかえって考えてしまいます。

人はいつか必ず死ぬ、ということを自覚したとき、私はすごく不安にかられました。まだ親にすべてを頼って生きていましたから、親がいなくなったらどうしよう!と思ったり、かといって、自分が死ぬのはもっと怖い!と思ったり。
痴呆になって家族に迷惑をかけながら年をとるのはいやだと思っていましたから、WMとわかって、私が迎える死の形がこれで定まった!という変な安心感がわきました。意外と動揺しなかったのは、父をはじめ身近な人との別れを体験していたこともあったかもしれませんけど。
でも良く調べたらWMで脳の機能が落ちて痴呆になることもあるとあったので、これからのことを考えると、やっぱり怖い!

>WMで脳の機能が落ちて痴呆になることもある
本当ですか、勉強不足で知りませんでした。しかし人はいつかは死ぬと同じように痴呆になる可能性だってがんになる確率よりも低いとしてもかなりの確率でなるわけだから、これは運を天に任せる他ないでしょう。WMだから少しは確率が高いのかもしれませんが、どの道なったらなったなったで本人には分らないのでしょう。かえってそれが、もしなったらと考えると耐え難いと思う大きな要因となっていると思いますが、そんな心配をするより交通事故で車に引かれない注意をしたほうが賢明なような気もします。将来こうなるかもしれないと考えるより、千葉さんの言うように今をどう生きるか考えるようにしたいと思います。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
望があると信じながら。

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