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文京区散歩-3 目赤不動

11月23日(金) 
▼ 病院の裏の天租神社を抜け本郷通りに出て、南北線本駒込駅の方に進んでいくと左側に吉祥寺があり、少し行くと右側に南谷寺がある。本郷通りは12階建て14階建ての高層マンションが次々と建っている感じだ。天台宗のお寺、南谷寺はその狭間に挟まれ気がつかないほどこじんまりしたたたずまいだった。入り口は2本の柱に囲まれ柱には大聖山・南谷寺と書かれ、もう一方には目赤不動尊と書かれてあった。

駒込周辺・六義園035_convert_20101124183746 南谷寺本堂

▼ 入口から入って正面が本堂でその周りがお墓になっている。本堂のすぐ右手に不動尊が安置されているお堂があった。喧噪の本郷通りが目の前にあるというのに境内は何故か静寂に満ちている感じがした。2間四方位の小さなお堂だが、質素で素朴なたたずまいが庶民の信仰の対象であるというイメージを強く感じさせるものであった。

扉は閉まっていたが開けることが出来て、お札に自分お名前を書いて奉納することが可能だ。代金は賽銭箱に入れるようになっている。ろうそくが灯り、ほのかな光線の中に、厳しい表情をした不動尊が睨んでいる。

駒込周辺・六義園031_convert_20101124183635 不動堂と六地蔵

▼ 不動明王は、本来インドの神で、大日如来の命を受けて悪を懲らしめる使者である。剣を持ち、怒りに燃えた形相ながら庶民に親しまれてきた。不動尊の手前に、「縁起」と「「江戸五色不動尊」(住所や道順を記す)が置かれていて持って行くことが出来る。

 本郷通りに出るとまた喧騒の只中に放り込まれる。境内は別世界のように静かだったが、この不動明王も高層ビルの谷間の中で肩身の狭い思いをしているのかもしれない。寺とビルとひっきりなしに車が行き来する大通りというアンバランスの組み合わせが今の東京の街なのだろう。

歴史:南谷寺は、不動尊(注)をもって廻国していた伊賀赤目山の住職の万行和尚が、下駒込村で庵を結んだことに始まる。寛永14年(1637)鷹狩の折にこれを目にとめた三代将軍徳川家光が、現地に寺地を与えたという。本尊の不動尊は目赤不動と呼ばれ、江戸の五色不動の一つで、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の5種の不動尊がある。(「江戸名所記」他)。

 五色(陰陽五行説の五色からと言われる)とは青・黄・赤・白・黒で梵語で言う地・水・火・風・空をあらわし、天海大僧正の具申を受け徳川家光が、この五色不動の目として東西南北中央の五方眼で江戸を守るために(結界)五色不動を設定したという説がある(夏山雑談)。しかし実際には色と方角が一致せず、目黄不動が3ヶ所もあるなど、この説には疑問も多い。(日本歴史地名大名 東京都の地名 平凡社)

(注) 元和年間(1615~24) 比叡山の南谷(みなみだに)に万行和尚がいて、 明王を尊信していた。ある夜、伊勢国(三重県)の赤目山に来たれとの夢見があり、赤目山に登り、 精進を重ねていた時、虚空から御声があって、一寸二分の黄金造りの不動明王像を授けられた。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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