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墓参り・八柱霊園

9月24日(木)
彼岸とは春分・秋分の日を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のことだそうだ。父親の墓が松戸の八柱霊園にある。墓参りに行くのなら彼岸の間のほうがいいだろう。混む休日を避けて母と妹と一緒に出かけた。

八柱霊園は面積105ヘクタールもある広大な公園墓地で、父親の墓のある場所までは八柱霊園のバス停から15分以上歩かなければならない。母は去年の10月頃散歩の途中転んで足を捻り、もうすっかりよくなったのだが、やはり歩行に不安が残り長時間歩くと腰に負担かかるらしい。歩行速度もかなり遅くなってしまった。

photo0.jpg松戸から新京成線に乗換え八柱駅で降りる。そこから通常バスで行くのだが、3人だったということもあり、母の足の事もあり、タクシーで父親の墓の前まで行く事にした。途中馴染みの石材店によって、花と線香を買い、バケツ、箒を借りて墓地まで行った。

一つの区画の中に父親の墓は、父の兄の一族の墓と並んでいる。兄の親族の誰かが石材店と契約をしていて、年2回春と秋の彼岸の時期に草むしりなども含めた墓の掃除を頼んでいる。墓に着いてみると綺麗に掃除が行き届いている。

墓石に水をかけ、花を活け、線香に火を付ければそれで終りだ。待たせておいたタクシーに乗り八柱駅まで戻った。駅を出て、戻るまで40分位だった。あまりにもあっけなく墓参りに行った実感が湧かなかった。

彼岸の仏事は浄土思想に由来しており、浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられていた(西方浄土)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりだ。この事から次第に人々の生活に浄土をしのぶ日、またあの世にいる祖先をしのぶ日として定着してきた。(「大紀元日本」より)

仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸といい、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)という。そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになった。

彼岸にはもち米とあんこで作った「ぼたもち」や「おはぎ」を備えるが、これは春の牡丹、秋の萩から来ている。また古くから小豆は邪気を祓う効果のある食べものとして知られており、それが祖先の供養に結びついたと言われている。

仏教徒でもなく、霊魂の不滅を信じている訳でもないのに何故墓参りなどに行くのだろうか。墓参りは色々な宗教によってそのスタイルが違う。仏教スタイルと言われるのが以下のやり方だ。
 1、墓の上から水をかける
 2、花、供え物を供える
 3、ろうそく、線香に火をつける
 4、墓前で合掌をする
こういった方法が仏教スタイルだとは多くの人は知らないだろう。周りの人が色々やっていることを見て、こんなものだと思ってやっているに過ぎない。

墓参りは仏教が広まる以前から土着の文化として、死者に対する敬意を表す行為として行なわれていたのだろう。死体を墓に埋葬するという行為は、死者を無としてではなく再生するものとして考え死体を粗末に扱うことを忌むべき物として考えたのだろう。その事によって先祖の霊が自分を守ってくれるだろうと考えたことが、やがて信仰へと結びついていったと思う。

無宗教の人でも、通夜や葬式で御経が上げられる事に対して何の抵抗もなく受け入れる事が出来る。墓参りは、死者を供養する、先祖を偲ぶ、死者を慰霊する、先祖と自分の関係を確認する、愛する人がそこにいると思い話に行く、など人によって色々な考え方があるだろう。

だが実際には多くの人が神道を信じていなくても、神社にお参りし、初詣にも行くように、墓参りもそういった風習の一つではないか。無宗教だと思っていても結局長年の生活習慣の中で知らず知らずのうちに、様々な宗教のスタイルを色々取り入れて広く浅くに身につけてしまっているのではないか。だから霊魂の不滅などを全く信じていなくても墓参りに何の抵抗もなく行けるのだろう。

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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ロードオブザリングの映画で、主人公が夕昏のなかエルフとともに船出する最後の場面がとても印象的でした。
ヨーロッパでもかつては、こんな風にして「彼の地」へ旅立つ、と信じられていたことがあったのでしょう。
でも、夕暮れの中の旅立ちはあまりにもさびしいですよね。できれば明るいうちのほうがいいなぁ。なあんて言っても選べないんですけど…。

ところで無宗教でも、お盆やお彼岸があるというのは、ご先祖様への想いを新たにするという意味でいいんじゃないでしょうか。今ある自分の存在を考えるきっかけにもなるかもしれませんし。

宗教によって死後の世界に対する考え方が違うのでしょう。ロードオブザリングに書かれている死後の世界はキリスト教的ではなく、神話から来ているいるような気がします。

小さい頃祖母に地獄が書いてある絵本を見せられ死んだ後悪いことした人は地獄に行くという話をされたことを覚えています。死後の世界は、天国と地獄というイメージで頭の中に焼き付けられています。

天国地獄の存在を信じていなくても、死後の世界をこういったイメージで捉えるのはやはり仏教的世界観のでしょう。知らず知らずと体に染みこんだ観念に人は捕らわれていることがあるのでしょう。

ロードオブザリングは、古いヨーロッパの神話も参考にして、著者が独自の世界を作り出したのでしょう?

ところで、ノルウェーのお土産にトロール人形というのがあって、(「となりのトトロ」の元になった!?)小さくて、“不気味かわいい”のですが、聞くところによるとありとあらゆる自然界のものに存在する精霊だとのこと。どの精霊かによって姿かたちが少しずつ違うそうです。

私はキリスト教のような一神教より、自然に対するこのような考え方のほうが、なんとなく親しめます。古臭い日本人だからかもしれません。
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