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文京区散歩-4 動坂通り寺巡り

11月27日(火)
 文京区は江戸の町の中心からは北側に当たり、「本郷も兼安までが江戸のうち」といわれるように、本郷三丁目に今でも存在する「兼安」より北側は郊外で土地もかなりあって、神田近辺にあったお寺がたびたびの火災の都度、向丘(旧蓬莱町)、本駒込、谷中方面に移築したのだろう。

 本郷通りは日光へ向かい (本郷通り→北本通り→岩槻街道→日光街道・122号)、向丘1丁目(旧追分町)から中仙道(白山通りから中山道・17号へ)に分岐して信州へ向かうのである。

本郷通りと白山通りの両側には無数のお寺が存在する。本駒込の駅を中心にして本郷通りを東大に向かう方向、道坂方面、団子坂方面に地図で見ると25,6のお寺が密集している。本郷通りを駒込方面に向かうと南谷寺、養昌寺、吉祥寺、洞泉寺がある。谷中には墓地を中心にその周辺にかなりの寺院が集中している。

病院から道坂を本駒込駅に向かうと右に徳源禅寺と常徳寺あり、左側には養源寺、蓮光寺、高林寺がある。今日はこの5寺院を回った。どの寺院も広いお墓を擁しており、建物はそれほど大きなものはないが墓は地所の9割くらいを占めているようだ。サクラの木が丁度紅葉しており、寺院に色彩感を与えていた。

 徳源禅寺(慈雲山 臨済宗妙心寺派)
の山門を入ると、左手に日限地蔵(ひぎり)安置。石碑石仏群が参道左に並ぶ。やがて左は鐘楼となり、正面に本堂となる。本堂の右には白木2階建、新築ぴかぴかの庫裏。本堂の左側から奥へかけて墓所がある。この寺院は日限(ひぎり)地蔵で有名だ。

駒込寺院002_edited_convert_20100414183024 本堂

駒込寺院004_edited_convert_20100414183116 日限地蔵

駒込寺院006_edited_convert_20100414183206 千体地蔵

 常徳寺
千体地蔵を見ようと思ったが、安置所が閉まっていて「御用の方は社務所へ」と書いてあったが、わざわざ頼み込んで見せてもらうというのも気がひけて、開けてもらって見る事はせず次の所に向かった。              

駒込寺院007_edited_convert_20100414183258 本堂

 養源寺
道坂からの通りを斜めに戻る形で住宅にはさまれる形で参道があり道路を突っ切って境内がある、という区画整理などのせいなのだろう。趣を欠くものだった。しかし本堂は鬱蒼とした大樹につつまれ森閑としていた。どの寺院も入り口に「檀家以外の方は無断での出入りはご遠慮下さい」と入り口に立て札があるので思い切って中まで踏み込めない雰囲気がある。吉祥寺とか南谷寺にはそんな立て札はなかったが今日行った寺院には皆似たような立て札が立っていた。

駒込寺院001_edited_convert_20100414182915 本堂

 蓮光寺
養源寺から団子坂の方に少し行った所に山門がある。鮮やかな朱色で塗られかなり新しい。本堂も立派な鉄筋造りもので堂々として豪華な感じはする。しかし木造の趣とはかなり隔たった感覚だ。入り口からすぐに小さな六地蔵が並んでいる。常緑樹の大木と紅葉のサクラに囲まれ、きれいに掃除され、建物も含めて敷地全体が小奇麗にまとまっているという感じだった。

駒込寺院009_edited_convert_20100414183435 山門

駒込寺院008_edited_convert_20100414183350 本堂

 高林寺
本駒込駅の近づくと高林寺の看板が目に入る。左に曲がると小学校の入り口がある、それを左に曲がると山門と本堂が目の前にあった。入り口は狭いが本堂の裏手に広い墓地がある。ここの本堂も鉄筋コンクリート製で最近建て替えられたようだ。多くの寺院が老朽化し建て替の時期なのだろう。作り変えるとすれば長持ちのするコンクリート製に越したことはない。木造で昔の建物を再現しようとすると膨大な費用がかかってしまうのだろう。やむをえない選択だとは思うがどうも違和感を覚える。

駒込寺院014_edited_convert_20100414185521 本堂

駒込寺院012_edited_convert_20100414183607 高林寺墓所にある緒方洪庵の墓

寺の歴史
慈雲山 臨済宗妙心寺派 徳源禅寺:この寺院の日限地蔵(日を限って願掛けする)には昔から言い伝えがある。「昔大きな機屋があり、毎晩大入道が出るため家中の騒ぎとなった。ある晩鉄砲で撃ち行ってみると影も形もなかった。明け方に調べてみると点々と血の跡があり、観音院の庭で消えていた。

 ある夜この家の主人の夢枕にお地蔵様が現れ「わたしが毎夜そなたの家の外に立っているのは、そなたの家を守護するため。野天に立っているので衆人の信仰もない。大勢の人々を守護するためお堂を建ててほしい。その時は何日なりと日を限って願掛けをすれば必ず願望をかなえよう。」とお告げがあった。さっそく、大勢の人の浄財でお堂が建てられ盛んな法要と祈願をした、という。」日限地蔵は延命、開運、勝利の地蔵菩薩としてお参りされている。

浄土宗 常徳寺:江戸時代より身代わり地蔵尊で有名なお寺で第二次大戦で焼失したこの地蔵尊を再興するべく 「千体地蔵」奉納を募っている。これは高さ約10cmの木彫りの地蔵を千体作成し、奉納者のお名前、願い事を記して奉納する。

臨済宗 妙心寺派 白華山 養源寺: 初め、湯島切通坂下に建立された。開基は、春日の局の息子の稲葉正勝である。 明暦の大火後この地に移る。境内には稲葉正勝の古塔ほか、墓域には江戸時代の漢学者安井息軒(昌平坂学問所や飫肥藩の藩校で朱子学を取り入れた儒学を教授した)や明治時代の啓蒙学者西村茂樹(明治6年(1873)福沢諭吉や中村正直らとともに明六社を起こし、明治9年には東京修身学舎を設立し日本道徳論を唱えた)等が眠る

重池山 浄土宗 蓮光寺:最近建て替える本堂は消防法の規制があるらしくすべて鉄筋コンクリート。このお寺には荻生徂徠の弟子の儒学者平野金華や江戸時代後期の北方探検家最上徳内(1754~1836)の墓がある。最上徳内は蝦夷地に渡って松前藩主に防備を説く。天明4年(1784)幕府の測量隊とともに蝦夷地に渡り、クナシリ、エトロフを経て日本人として初めてウルップに渡った。また、後にサハリンにも渡っている。

元曹洞宗 金峰山 高林寺:元禄4年(1691)5代将軍徳川綱吉の命により将軍家の武運長久の祈願寺として創建された。将軍にお茶の水を献上したことで有名だが「振袖火事」による大火で炎上、御茶ノ水から現在地に移転してきた。伽藍(がらん)が整い、学寮もあり土塀をめぐらした江戸時代の名刹(めいさつ)であった。

 現在の本堂は昭和51年の再建である。墓地内には、幕末期の蘭学者緒方洪庵夫妻の碑や明治・大正期の歌人岡麓の墓がある。洪庵は大阪で適塾を開校.三千人におよぶ門弟の教育に当たり、この塾からは大村益次郎、橋本佐内、福沢諭吉らが輩出した.(資料:文京区観光案内)

テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記

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昔あった地蔵尊が消えた?

子供の頃、千駄木に住んでいました。祖父の代からワイシャツ屋で不忍通りに家があり今はマンションが建っています。
田端駅から真っ直ぐ動坂下まで歩き更に駒込病院の手前に小さな(当時は大きく感じましたが)公園があり近くに地蔵尊がありました。毎月7の日は縁日が並ぶお地蔵様の日がありましたが、何十年か振りに訪れたら地蔵尊そのものが無くなっていました。どこかへ移転したのでしょうか?ご存知の方は教えてください。

日限地蔵尊か

江戸時代初期の動坂には、伊賀の赤目に由来する赤目不動があったが、家光の命により目赤と名乗るようになった。動坂は堂坂とも書かれる通り、かつて赤目不動の置かれていた動坂上には近年まで目赤不動跡と呼ばれる不動堂が存在していた。こちらも一度戦災で失われ、その後お堂は再建された。

しかし1983年に南谷寺の不動堂が再建されると旧跡地は五色不動としてのランドマークの役割を終え、1985年の区の土地整理の際に取り壊された。2011年現在は駐車場となっている。このお堂には日限地蔵が置かれていたが、取り壊しの際に近所の寺・徳源院(文京区本駒込3丁目7 - 14)に移された。(Wikipedia)

消えた地蔵尊というのは日限地蔵尊のことなのでしょうか。縁日が並ぶお地蔵様の日というところを見ると目赤不動尊のことではないでしょう。日限地蔵尊でしたらWikipediaに書いてあるように徳源院に移転したようです。

ありがとうございました。

幼い頃を過ごした地でしたので詳しくはわからず、でもすっきりしました。ありがとうございました。ぜひ昔、幼き日に見たお地蔵さまに会いに行きたいと思います。
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がん治療とは長く細い道を辿ら
なければならない。その先に希
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