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文京区散歩-5 富士神社

11月29日(木)
 本郷通りを駒込方向から上り、不忍通りと交差しさらに少し行くと「富士神社入口」の標識のある信号がある。そこを左に曲がりすぐ左側に富士神社と書いた額が掲げられた鳥居がある。

駒込周辺・六義園037_convert_20101124184133 神社入口の鳥居

鳥居の左右には文京区指定保護樹木と書かれた大銀杏が黄色く色づいて聳え立っている。更に3,4本あるスタジイの古木も大樹として保護樹林となっている。参道を進むと本殿に向かう石段の横にかやの巨木がしめ縄を巻かれ神木として祭られている。

駒込周辺・六義園038_convert_20101124190011 境内から社殿に上る階段

本殿(社殿)は大きな塚の上にあり、急な石段を上っていく。石段の周りには、富士信仰が火除けの御札を出す為、各鳶(とび)による纏(まとい)の紋章の入った石碑がたくさん建っている。なかでも大きく「奉納加賀鳶」と書き、まさかりが交錯した紋がある石がある。これは縁の深い前田家(金沢藩主)の特設消防隊の加賀鳶が奉納したものである。

駒込周辺・六義園041_edited_convert_20101124184039 天祖神社社殿

延文年間(1356‐61)には既にこの社地は富士塚と呼び、大きな塚があったといわれる。本殿はこの塚の上にある。この塚は一説によると、前方後円の古墳といわれる。この塚を模造の富士山と見立てて、登山道も富士の溶岩で造られた跡が石段の右側に残っている。本殿の周りの石碑の彫り文字は、石段横の石碑もそうだが何故か鮮やかな赤に塗られ、かなり目立つものであった。塚の上も巨木が生い茂り昼でも暗いといった雰囲気をかもし出していた。本殿から塚の前方部分に向かうとそこには小御嶽神社の社がある。

駒込周辺・六義園039_convert_20101124183943 富士塚にある石碑

駒込は一富士二鷹三茄子」と言う江戸時代の川柳があるらしい。その富士がこの富士神社のことだという。“鷹”は、道坂上に幕府の鷹匠屋敷があったからで、近くの天祖神社の裏口にある石柱に鷹匠組の名前が見える。“茄子”は駒込の名産だ。

■歴史:伝承によれば、天正元年(1573)、本郷村の名主が夢に木花咲爺姫を見て、現在の東京大学の地に駿河の富士浅間社を勧請したことにはじまる。 寛永5年(1628)加賀前田家が上屋敷をその地に賜るにあたり、浅間社を現在地に移した。拝殿は富士山に見立てた山の上にあり、江戸期の富士信仰の拠点の一つとなった。

この神社は氏子を持たず富士講組織で成り立っていた。富士の浅間神社にお参りに行く「富士講」が数多くでき、模造の富士山も造られ護国寺の「音羽の富士」、白山神社の「白山の富士」とともに、富士神社も「駒込のお富士さん」として地元の人に親しまれている。(境内にある文京区教育委員会作成の看板より)

富士神社の境内にJA東京グループの出した「江戸東京の農業・駒込なすという看板があった。「大消費地江戸の供給基地として江戸近郊の農家では野菜栽培が盛んになり、神社周辺でもなす、ごぼう、大根などが栽培された。特になすは優れたものができ「駒込なす」として庶民に好まれた。江戸時代、駒込のなすのような特産品が各地で生産された。JA東京中央会企画・発行『江戸・東京ゆかりの野菜と花』の中にそれが書いてあった。

■江戸野菜の起源
①1700年ごろには人口100万都市に⇒政策的に農家化促進
②参勤交代で地方の名産野菜が献上品等として競い合って続々江戸へ→野菜のタネの集積地に
③江戸農民の手で各品種次々に創出、全国へ

■江戸野菜
千住ねぎ(足立・根深ねぎの代表として鍋物あえものに)、小松菜(江戸川・香取神社境内にゆかりの里碑)、目黒のたけのこ(薩摩藩の下屋敷発・孟宗筍栽培記念碑)、寺島なす(墨田区墨田)、練馬大根(たくわんに最適・江戸野菜の王様)、亀戸大根(浅漬け用)、砂村ねぎ・きゅうり・なす(江東区北砂・南砂)小松菜(江戸川発の冬野菜)、寺島なす・本所うり(墨田)、滝野川ごぼう・人参(全国へ)、志村みの早生大根(板橋・早く収穫できることで人気)、駒込なす、雑司が谷かぼちゃ(豊島)、内藤かぼちゃ・鳴子うり・早稲田みょうが(新宿)、居留木橋かぼちゃ(品川)、馬込大太三寸人参・馬込半白きゅうり、吉祥寺うど(杉並)、汐入大根・三河島菜(荒川)、谷中しょうが(台東)、砂川ごぼう(立川)、奥多摩のわさび、三河島菜(荒川)、金町小かぶ(葛飾)、東京長かぶ(=滝の川かぶ)。

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