新宿区落合界隈史跡巡り
12月20日(日)
秋晴れの上天気。気温も上がってきて外出日和だ。「東京23区史跡散歩」というサイトがあって、沿線ごとの地域の様々なコースが紹介されている。西武池袋線沿線として、東長崎〜中井〜下落合を結ぶ「新宿区落合界隈の史跡巡り」が紹介されていた。
午後から思い立って出掛ける散歩なので近場を選んだ。昔西落合に住んでいて哲学堂は近くで散歩に便利だったので何度も行ったが、他の所は前を通り過ぎたことはあってもゆっくりと鑑賞した事はなかった。
新宿区落合界隈史跡巡りコース
岩崎家住宅→トキワ荘記念碑→トキワ荘跡→自性院→中井出世不動堂→中井御霊神社→林芙美子記念館→最勝寺→月見岡八幡神社→せせらぎの里
岩崎家住宅
千川通りに面している岩崎家
千川通り(旧清戸道)にある岩崎家住宅の前は何度も通った事がある。屋敷林が借景のようにこの古民家をひきたたせ、秋になるとケヤキの巨木の紅葉が見事だった。しかしこの家が江戸時代末期に建築された旧長崎村の有力な旧家で店舗を兼ねた古民家であり、肥料や糠を販売していたといったことは全く知らなかった。単に古い家だとしか思っていなかった。知らずに通り過ぎるのと知って見るのとは大違いだ。1918年(大正7年)に一旦解体したが、その後に同じ様式で再建された。
トキワ荘跡
南長崎花咲公園のトキワ荘記念碑
昔トキワ荘はこの路地の奥右側にあった
豊島区主催で「トキワ荘のヒーローたち」展が開催され、それに合わせて西武池袋線の池袋、椎名町、東長崎駅でトキワ荘記念乗車券を発売しているし、しばらく前に「トキワ荘記念碑」が南長崎花咲公園に作られた。トキワ荘のあったニコニコ商店会や地域のメンバーがなどを中心になって、こういった企画をきっかけに街興しを進めている。
トキワ荘というアパートは今はない。商店街に立看板があり、日本加除出版の裏手にかつてあったトキワ荘の場所を示している。木造2階建て、各部屋は4畳半に押入れが一つだけ、それに共同の炊事場とトイレがあるといった昭和の町並にはどこにでも存在していた庶民的なアパートだった。昭和28年(1953)に手塚治虫が入居したことをきっかけに、後の漫画界を背負って立つ若者が次々と手塚を慕って入居したことにより、その住人達が後に著名人になったことから名が知られるようになった。
自性院(真言宗 西光山 無量寺)
自性院本堂
境内入口にある門柱に大きな招き猫が建立されている。これは戦国時代、太田道灌に由来する伝説による。それによると道灌が江古田ヶ原の戦(1469〜1486)で途中で道に迷った際、黒猫が現れて命拾いしたことから猫を尊重し、猫寺という愛称で親しまれるようになり、猫地蔵を安置したという。
自性院の前は何度か通った事があるが、境内に入ったことはなかった。昔は神社、仏閣を見るなどという精神的余裕がなかったのだろう。旅行に行けば見るが、身近な所で鑑賞するという気には全くならなかった。年齢のせいかもしれない。
中井出世不動堂
不動堂
ここの不動明王は有形文化財になっている。安置された本尊の不動明王像及び二体の童子像は、江戸時代の天台宗の僧・円空の作で、東京で唯一の円空仏である。彼は諸国を行脚しながら、行く先々で仏像を造りながら布教を行った。円空が製作した仏像は、原木を活かした粗野で荒々しい彫法である。普段は見る事が出来ない。毎月28日午後御開帳になる。28日に覚えていたら行ってみよう。
中井御霊神社
御霊神社本殿
古くから落合村中井の鎮守であった。毎年1月13日に備射祭が行なわれる。これはその年の豊作を祈り、的を矢で射る祭礼行事で、関東地方各地に現在でも伝承されている。中井御霊神社の備射祭は無形民俗文化財に指定されている。
林芙美子記念館
五の坂から四の坂に向うと木々に覆われた屋敷が目に入る。四の坂の登り口に「林芙美子記念館」と書いてあるプレートが立っている。坂を上るとすぐ入口がある。ここは林扶美子が自ら設計も行い、こよなく愛した自宅を一般公開し、彼女の業績についての展示品が置かれている。
記念館入口
茶の間と庭園
林芙美子は昭和5年(1930)に落合に移り住んだが、昭和14年(1939)この場所に一軒家を建築し始めた。芙美子は、新築にあたって約200冊の建築専門書をよみ、山口文象に設計を依頼し、一流の大工を集め、さらに京都まで民家を見学に行ったりして、我が家の構想を練った。彼女は「東西南北風の吹き抜ける家、愛らしく美しい家。客間には金をかけず、茶の間と風呂と厠と台所に金をかける」という持論を持って家を建てた。庭、裏山、竹林などの家との調和も見逃せない風景だ。
林扶美子が好んで色紙に書いた「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」というよく知られた名句の原典は林芙美子と親交があった「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子さんに送られた一遍の詩だった。
そこには「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」と書いてあり、苦しいだけでなく、むしろ様々な可能性を持っていると言おうとしたのではないかと思う。
最勝寺(真言宗・高天山大徳院・豊山派)
最勝寺本堂
山手通りを中井から東西線の落合方面に向うと右手に大きな寺院が目に付く。ここの境内には一般の人が葬儀に利用できる檀信徒会館があるということで、丁度葬儀が終って会館からお骨を持って出てきた十数人の人と出会った。この寺院裏に落合斎場があり火葬場が併設されている。この寺院で葬儀をして、落合斎場に行ってまた戻って来たのだろう。
本堂は中々格調が高い。この寺院は鎌倉幕府第五代執権北條時頼(1227-1263)によって内藤新宿の三光院境内で開創されたと伝えられている。
月見岡八幡神社
月見岡八幡神社本殿
この神社は、社伝に「源義家奥州征討以前の社にして、義家当社に参詣して戦捷の祈願あり」と伝わる古い社で、旧上落合村の鎮守社であった。境内には、正保4年(1647)銘で区内最古という宝篋印塔型の庚申塔、天明5年(1785)銘の鰐口、旧社殿の板絵の一枚であった谷文晁の絵が残されている。社殿向って左手には溶岩を積みあげた富士塚がある。幼稚園が併設されていてその近代的建物と本殿とのアンバランスが目に付いた。
せせらぎの里
公園の中央に流れるせせらぎ
ここは下水道局落合水再生センター(下水処理場)の地下施設の上部を利用して、昭和62年(1987)に開園した公園だ。この下水処理場では処理した水は神田川に放流している。また一部は西新宿や中野坂上地区のビルのトイレ用水や城南三河川の清流復活事業に活用している。まさに水の再生、リサイクル・システムとなっている。
公園の中央には池・せせらぎがあり、夏場に子どもたちの水遊び場となっている。この池の水も処理水の一部を利用している。水浴びをして子供たちが誤って飲んだとしても衛生的だというほど浄化されているということだ。
参考文献:「東京23区史跡散歩」
秋晴れの上天気。気温も上がってきて外出日和だ。「東京23区史跡散歩」というサイトがあって、沿線ごとの地域の様々なコースが紹介されている。西武池袋線沿線として、東長崎〜中井〜下落合を結ぶ「新宿区落合界隈の史跡巡り」が紹介されていた。
午後から思い立って出掛ける散歩なので近場を選んだ。昔西落合に住んでいて哲学堂は近くで散歩に便利だったので何度も行ったが、他の所は前を通り過ぎたことはあってもゆっくりと鑑賞した事はなかった。
新宿区落合界隈史跡巡りコース
岩崎家住宅→トキワ荘記念碑→トキワ荘跡→自性院→中井出世不動堂→中井御霊神社→林芙美子記念館→最勝寺→月見岡八幡神社→せせらぎの里
岩崎家住宅
千川通りに面している岩崎家千川通り(旧清戸道)にある岩崎家住宅の前は何度も通った事がある。屋敷林が借景のようにこの古民家をひきたたせ、秋になるとケヤキの巨木の紅葉が見事だった。しかしこの家が江戸時代末期に建築された旧長崎村の有力な旧家で店舗を兼ねた古民家であり、肥料や糠を販売していたといったことは全く知らなかった。単に古い家だとしか思っていなかった。知らずに通り過ぎるのと知って見るのとは大違いだ。1918年(大正7年)に一旦解体したが、その後に同じ様式で再建された。
トキワ荘跡
南長崎花咲公園のトキワ荘記念碑
昔トキワ荘はこの路地の奥右側にあった豊島区主催で「トキワ荘のヒーローたち」展が開催され、それに合わせて西武池袋線の池袋、椎名町、東長崎駅でトキワ荘記念乗車券を発売しているし、しばらく前に「トキワ荘記念碑」が南長崎花咲公園に作られた。トキワ荘のあったニコニコ商店会や地域のメンバーがなどを中心になって、こういった企画をきっかけに街興しを進めている。
トキワ荘というアパートは今はない。商店街に立看板があり、日本加除出版の裏手にかつてあったトキワ荘の場所を示している。木造2階建て、各部屋は4畳半に押入れが一つだけ、それに共同の炊事場とトイレがあるといった昭和の町並にはどこにでも存在していた庶民的なアパートだった。昭和28年(1953)に手塚治虫が入居したことをきっかけに、後の漫画界を背負って立つ若者が次々と手塚を慕って入居したことにより、その住人達が後に著名人になったことから名が知られるようになった。
自性院(真言宗 西光山 無量寺)
自性院本堂境内入口にある門柱に大きな招き猫が建立されている。これは戦国時代、太田道灌に由来する伝説による。それによると道灌が江古田ヶ原の戦(1469〜1486)で途中で道に迷った際、黒猫が現れて命拾いしたことから猫を尊重し、猫寺という愛称で親しまれるようになり、猫地蔵を安置したという。
自性院の前は何度か通った事があるが、境内に入ったことはなかった。昔は神社、仏閣を見るなどという精神的余裕がなかったのだろう。旅行に行けば見るが、身近な所で鑑賞するという気には全くならなかった。年齢のせいかもしれない。
中井出世不動堂
不動堂ここの不動明王は有形文化財になっている。安置された本尊の不動明王像及び二体の童子像は、江戸時代の天台宗の僧・円空の作で、東京で唯一の円空仏である。彼は諸国を行脚しながら、行く先々で仏像を造りながら布教を行った。円空が製作した仏像は、原木を活かした粗野で荒々しい彫法である。普段は見る事が出来ない。毎月28日午後御開帳になる。28日に覚えていたら行ってみよう。
中井御霊神社
御霊神社本殿古くから落合村中井の鎮守であった。毎年1月13日に備射祭が行なわれる。これはその年の豊作を祈り、的を矢で射る祭礼行事で、関東地方各地に現在でも伝承されている。中井御霊神社の備射祭は無形民俗文化財に指定されている。
林芙美子記念館
五の坂から四の坂に向うと木々に覆われた屋敷が目に入る。四の坂の登り口に「林芙美子記念館」と書いてあるプレートが立っている。坂を上るとすぐ入口がある。ここは林扶美子が自ら設計も行い、こよなく愛した自宅を一般公開し、彼女の業績についての展示品が置かれている。
記念館入口
茶の間と庭園林芙美子は昭和5年(1930)に落合に移り住んだが、昭和14年(1939)この場所に一軒家を建築し始めた。芙美子は、新築にあたって約200冊の建築専門書をよみ、山口文象に設計を依頼し、一流の大工を集め、さらに京都まで民家を見学に行ったりして、我が家の構想を練った。彼女は「東西南北風の吹き抜ける家、愛らしく美しい家。客間には金をかけず、茶の間と風呂と厠と台所に金をかける」という持論を持って家を建てた。庭、裏山、竹林などの家との調和も見逃せない風景だ。
林扶美子が好んで色紙に書いた「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」というよく知られた名句の原典は林芙美子と親交があった「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子さんに送られた一遍の詩だった。
そこには「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」と書いてあり、苦しいだけでなく、むしろ様々な可能性を持っていると言おうとしたのではないかと思う。
最勝寺(真言宗・高天山大徳院・豊山派)
最勝寺本堂山手通りを中井から東西線の落合方面に向うと右手に大きな寺院が目に付く。ここの境内には一般の人が葬儀に利用できる檀信徒会館があるということで、丁度葬儀が終って会館からお骨を持って出てきた十数人の人と出会った。この寺院裏に落合斎場があり火葬場が併設されている。この寺院で葬儀をして、落合斎場に行ってまた戻って来たのだろう。
本堂は中々格調が高い。この寺院は鎌倉幕府第五代執権北條時頼(1227-1263)によって内藤新宿の三光院境内で開創されたと伝えられている。
月見岡八幡神社
月見岡八幡神社本殿この神社は、社伝に「源義家奥州征討以前の社にして、義家当社に参詣して戦捷の祈願あり」と伝わる古い社で、旧上落合村の鎮守社であった。境内には、正保4年(1647)銘で区内最古という宝篋印塔型の庚申塔、天明5年(1785)銘の鰐口、旧社殿の板絵の一枚であった谷文晁の絵が残されている。社殿向って左手には溶岩を積みあげた富士塚がある。幼稚園が併設されていてその近代的建物と本殿とのアンバランスが目に付いた。
せせらぎの里
公園の中央に流れるせせらぎここは下水道局落合水再生センター(下水処理場)の地下施設の上部を利用して、昭和62年(1987)に開園した公園だ。この下水処理場では処理した水は神田川に放流している。また一部は西新宿や中野坂上地区のビルのトイレ用水や城南三河川の清流復活事業に活用している。まさに水の再生、リサイクル・システムとなっている。
公園の中央には池・せせらぎがあり、夏場に子どもたちの水遊び場となっている。この池の水も処理水の一部を利用している。水浴びをして子供たちが誤って飲んだとしても衛生的だというほど浄化されているということだ。
参考文献:「東京23区史跡散歩」
テーマ : 思ったこと・感じたこと
ジャンル : 日記


